特定非営利活動個人・源朝臣(あっそん)
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特定非営利活動個人・源朝臣(あっそん)
@genwat
ボーっと生きてます。殆どがテレビとラジオの感想と、チラシの裏がわりのメモ(備忘録)です。

そういう能力とは違いますが、下北沢で行われたクリスマスパーティーの、たしか二次会に参加していた新井素子さんが、ちょっと離れたカウンターで原稿を書き始め、他の参加者や僕は「よくこんな所で書けるよね」と囁き合ったことがあります。確か短編一本上げたんじゃなかったかと。すごい人はいますね。

古い荷物から発掘した。 家なき子(1977)の作監修正。 一枚目、動画用紙の下端にマジックの印があるのが、作監(総作監)修正の印。 この頃はまだ色つきの修正用紙とかがあまり出回っていなかったので、普通の動画用紙の束の下部側面にマジックで線を引いて、修正原画だと見分けられるようにしていた。



【家族よりのご報告】突然のお知らせとなりますが、夫・祖父江慎は3月15日に逝去いたしました。略儀ながらここにご報告し、生前、皆様から受けたご厚情に、深く感謝申し上げます。故人の意向と親族の思いから詳細は控えさせていただきますことをご容赦ください。なお葬儀は家族葬にて執り行いました。

日本の友人へ 最近、日本語は単なる「文字の言語」ではなく、一種の「情報圧縮システム」のように感じるようになりました。 最初は、ひらがな・カタカナ・漢字の混在は単なる「複雑さ」だと思っていました。 しかし今では、それぞれが特定の役割を持った設計構造のように見えます。 ひらがなは音を運ぶ流れる骨格のように感じられます。 カタカナは外来要素を取り込む翻訳ツールのように機能しているように思えます。 漢字は意味を一瞬で圧縮するデータパケットのように感じられます。 そして気づいたのは、日本語は単に「読む」ものではなく、「理解しながら展開(解凍)する」言語なのではないか、ということです。 そこでいくつか質問があります。 なぜ日本語はこのような層構造のシステムへと発展したのでしょうか? もし漢字だけ、あるいはひらがなだけに統一されていたら、日本語における「思考のスピード」は変わっていたと思いますか? また、学習者にとって本当に難しい部分はどこにあるのでしょうか? 発音でしょうか?漢字の暗記でしょうか?それとも文脈によって意味が変わるという感覚でしょうか? そしてもう一つ: 日本語学習者は、どの段階で「言葉を読む」ことから「雰囲気そのものを理解する」ようになるのでしょうか? ナイジェリアから見ていると、日本語は単なる言語というよりも、一種の思考プロトコルのように感じられます。 皆さんはどう思いますか?



@nekoyamaseven さまざまな名作漫画(藤子不二雄含め)には「当時のパロディ」が、当然ながらあり、そしていま、その8割ぐらいが忘れられてるようです。いま、かろうじて知っている人間が”注釈”をつけるしかないが、そんなことどこもやらない。 x.com/nekoyamaseven/…

【家族よりのご報告】突然のお知らせとなりますが、夫・祖父江慎は3月15日に逝去いたしました。略儀ながらここにご報告し、生前、皆様から受けたご厚情に、深く感謝申し上げます。故人の意向と親族の思いから詳細は控えさせていただきますことをご容赦ください。なお葬儀は家族葬にて執り行いました。



























