ぺんでゅらむ@大阪
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アメリカの映画館では買えるらしいプロジェクト・ヘイル・メアリーのワッペン、外交上ちょっと気まずい国の国旗が全部取っ払われた結果なんか日本主導の計画みたいになっちゃってて面白い


でもエンドロールで感動してたら「パリの地で夢を掴んだフジコと千鶴こそ、日の本女子の誉れ! いや……”パリに咲くエトワール”か!」(豪烈・弥太郎作画)って浮かんできたの本当に最悪だった

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』読了。大変読みやすい上に面白かった。映画公開前日ということで、極力ネタバレせずに感想を整理してみる。結論から書くと、私は小説を読んで「この面白さを映像媒体で再現するのは不可能」と思い映画への期待値を下げたし、小説から先に触れたほうが良いと思った。 ① 一人称視点であることの面白さ 本作は、とある理由で記憶を失った主人公の「一人称視点」で物語が綴られていく。自分が何者で、今どこにいて、これまで何をしていたのか、最初は何も分からない。 しかし、自分が科学や物理学の専門知識に精通していることに徐々に気付き始め、目の前に広がるあらゆる情報や手持ちの道具を使った実験などを駆使して科学的な推理を展開し、やがて「自分の置かれた状況」を突き止めていく。冒頭から繰り広げられるこのパートは小説全体の1/6程度に過ぎないが、個人的にはここが作品全体のなかで抜きんでて面白かった。 一人称視点でなおかつ文体が軽妙であるため、時に複雑で、時にトボけた主人公の思考をトレースしながら読み進めるのが楽しく、また構成が上手いので、主人公と同じ気持ちになって、アッと驚く体験が出来る。この没入感と面白さは、間違いなく小説ならではのものだろう。 ②交互に重なる「過去」と「現在」 また本作は、主人公が徐々に記憶を取り戻していくという形をとって、過去と現在が同時並行で描かれていく。 あまりにも頻繁に、かつシームレスに過去と現在を行き来するので、読み始めは戸惑う部分もあったが、例えば「現在」で新たに抱く疑問に対し、続く「過去」で答えが明かされたりと、物語を複雑化するのではなく、逆に分かりやすくするために機能していたと思う。 どんな結末になるのか分からない「現在」と、次第に明らかになる「過去」。それぞれのラストが重なり合って示されたときの読後感は、すぐに二周目を読み始めねばならないと思ったほど格別だった。 さて、これが映画になると果たしてどうなるだろうか。 確実に言えるのは、小説とは全く違う味わいの作品になるということだ。映像媒体では小説のような一人称視点ではなく三人称視点になるので、主人公の思考をトレースしていくような楽しみ方は出来ないと考えるべきだろう。 さらに言うと、映画版は、読者が主人公と一緒にアッと驚く小説内の最大のサプライズ要素を、あろうことか予告編でアッサリと明かしてしまった。予告編が公開されたとき、原作読者がみな口をそろえて「予告編を見るな」と言っていたのも大いに納得である(私自身、予告映像を見ていなくてよかったと心底安堵した)。 どうもこの映画版は、私が原作小説に感じた面白さとは違う部分に魅力を見出し、そこに力点を置いていくらしい。より具体的に言えば、一人称視点や回想を駆使することで構成や描写の巧さが光る小説版に対して、映画版は(まだ公開前なので定かではないが)「友情・努力・勝利」といった感情面にフォーカスしていくようだ。 上下巻もある小説を156分の映像にまとめる以上、情報の取捨選択を免れることは出来ない。しかし、それでもその切り取り方は、作品の持つ魅力を少々陳腐なものにしてしまわないだろうか。自分が危惧して期待値を落としたのはこの点にある。 映画単体の感想・評価は明日本編を観てから改めて書くが、どんな作品か全く知らない、予告映像も幸いまだ目にしていないという方は、是非小説から触れてみてほしい。素晴らしい読書体験が出来ることを保証する。
























