シュウ2 Shu2

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@syuronron

Interesting Metaverse! 😆Long-term NFT COLLECTOR😆 @OthersideMeta #68336 @MutantHounds #653 @cnp_en#14883😆Own more than 600 NFTs!😆 Gallery No. 1 to No. 15😆⬇

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ミナト
ミナト@8J8w8·
藤沢を離れます。心が折れた。子供達は藤沢生まれ藤沢育ち。奥さんは長年のママ友親友が多い。本音は離れたくないけど、ここ数年急速に、治安・景観・市政が悪化し改善は絶望だ。ルールを守らない中国人が移住しムスリムも入ってきた。外国人の立ちんぼが増えた。多文化共生?もう勝手にしてくれ
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夏樹蒼依
夏樹蒼依@hokkori_nekko·
【は???なんだこの国😡💢】 亡くなった高校生の遺族が 「実名報道やめて」って 泣きながら頼んでるのに😭😭 マスコミは完全無視で 実名垂れ流し💀💀💀 で❓❓❓ 加害者の船長の名前は❓❓❓ 全社一斉に隠蔽🤬🤬🤬 被害者の名前は晒して 加害者は守るって 逆だろ‼️‼️‼️
東郷ゆう子の旦那@togootto

辺野古転覆事故で亡くなった高校生 遺族が「実名での報道を控えてほしい」とお願いしていたにも関わらずお構いなし なのに加害者である平和丸の船長の名は一斉に伏せて隠蔽するマスコミ そこに正義はあるのだろうか note.com/beloved_tomoka

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njjper(ニーパー)✨
【中川 郁子(ゆうこ)さんの重要な証言】1/2 夫は、帰国して成田空港を出て、わたしと電話で話をするまで、ローマの記者会見について、日本のテレビやネットで大炎上していたことを知らなかった… 同行していた財務省の方々が、なぜ、夫に伝えなかったのか。 今でも疑問に思います。 〜〜〜〜 2009年2月13日、ローマでのG7会合の合間を縫って 夫は、日本の財務金融担当大臣として、IMFのストロスカーン専務理事と調印式を行いました。 リーマンショック後の金融危機に対応するため日本からI MFに1000億ドルの融資を実施するという合意文書に調印したのです。 日本がIMFの資金基盤を強化し、新興国を含む世界経済の安定に貢献するための重要な金融支援でした。 日本が世界的な金融危機に大きな貢献をし、その危機管理能力を高く評価されるものと、夫も、麻生太郎総理大臣も確信していたのでした。 夫は、成田空港到着後、財務省の公用車に乗りこむと直ぐに、わたしに電話をかけ、 「日本のテレビはどうだった?ずいぶん褒めていただろう?」 と聞きました。 日本では、IMFとの調印式について全く報道されないどころか、 朝から「酩酊会見、日本の恥だ!」 テレビもネットも大騒ぎだったのです。 スマホ、タブレットもSNSもない時代です。 本人は、役所の方々から聞かされなければ何も知ることは出来ません。 ローマには、篠原尚之財務官も玉木林太郎国際局長やその他の幹部職員も、財務省側の秘書官などたくさんの方々が同行していました。 成田空港には、大臣出張を出迎えるほかの幹部もいたはずです。 成田空港到着は午後3時過ぎ、わたしがテレビで見たのは午前9時。息子がインターネットで大騒ぎになっていることをわたしに知らせてくれたのはそれより前です。 なぜ、夫には情報は伝わっていなかったのか? わたしは、夫の問いに 「なにも知らないのですか?その車に乗っている秘書官にすべて聞いて下さい!」 と答えるのが、やっとでした。 翌朝、山本高史秘書(中川事務所)が泣きながら、わたしの家に来ました。 IMF調印式のあと「今日の会見はなくなりました」と財務省側の事務秘書官から言われたので、財務大臣会合で各国の大臣からいただいたお土産などを、パッキングするために自分の部屋に 戻ったのだそうです。 しかし、その後、 「会見が始まります」と言って誰かが連れ出したのだ、 と説明をしました。 後日、夫を連れ出したのは、玉木林太郎国際局長だったことがわかります。 山本秘書が部屋に戻ったのを確認すると、玉木林太郎国際局長は、まず、夫をランチに誘いました。 オフィシャルなランチ会合は既に終わっていましたが、内輪でやり直そう、と玉木林太郎さんがセッティングしました。 そこには、読売新聞の越前谷知子記者、日本テレビ原聡子記者がいました。 越前谷さんは、玉木林太郎さんとは特段の仲らしく、わたしは面識はありません。 一方、原聡子記者は、夫の好きな「笑点」の公開録画に誘うなどずいぶん近づいていましたが、日本テレビ社内的には担当外でした。 夫も、玉木林太郎さんから「記者会見はなくなりました」と聞いたそうです。 このとき、夫は、越前谷さんから、「記者会見がなくなったのなら、この薬を飲んで食事のあと、ゆっくり休んだら?」と言われて、渡された薬を飲みワインを一口だけ飲んだのだそうです。 夫は、ワイン好きでしたが、海外出張のときは飲まないようにしていました。 この直後、越前谷知子記者は、「おもしろいことが起こるわよ」と、複数の人に伝えていたそうです。 事件後、越前谷記者は、アメリカ勤務になり日本からは姿を消しています。 原聡子記者は、誰より先にわたしたちの自宅前に到着して夫の帰宅時にマイクを向けていました。 その後、日本テレビの花形情報番組の「バンキシャ!」のキャスターに抜擢されています。 話は戻ります。 ランチのあと、部屋に戻り休んでいる夫を、玉木林太郎さんが 「記者会見は、やはりやることになったので」と言って迎えに来たのです。 夫の死後、葬儀が終わったあとになってやっと現れた玉木林太郎さんは 「ホテルの部屋にお迎えに行ったとき、中川昭一大臣は酩酊状態ではなく、しっかりとしておられました。これによって中川大臣の名誉は保たれます。」 と言われました。 わたしからは 「財務省の名誉が保たれる、の間違いではないですか?」 とお応えしました。 玉木林太郎さんは、麻布高校の同級生でしたが、在学中も卒業後も全くお付き合いはありませんでした。 夫が玉木さんを認識したのは、玉木さんが在アメリカ合衆国日本大使館経済公使になられた頃です。 ワシントンで、別の経済公使から紹介されました。 facebook.com/share/p/1CPQu9…
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原口 一博
原口 一博@kharaguchi·
中川昭一代議士は、財務大臣として歴史的なことをしようとしていた。それは何か?1,000億ドルの拠出とは? Claude 資料が揃いました。深く掘り下げます。 中川昭一財務大臣の「歴史的行為」の全貌 Ⅰ 調印の事実——IMFプレスリリースが語る重さ 2009年2月13日、ドミニク・ストロスカーン IMF専務理事と中川昭一財務大臣は、日本によるIMFへの最大1,000億米ドルの資金提供に関する融資取極に署名した。同取極に基づく日本の資金提供は総額670億SDR相当で、IMFの総クォータ(出資割当額)の31パーセントに相当する。 ストロスカーン専務理事は「世界的な経済・金融問題に対する多国間の取り組みにおいて、日本がリーダーシップを発揮し、貢献を続けることを明確に示したものだ」と評価した。 これは単なる大型融資ではありません。その意味は三層構造で理解する必要があります。 Ⅱ 三層の歴史的意義 第一層:規模の歴史的前例のなさ 日本は新興・中小国の救済のために、IMFに外貨準備金の一部を拠出する取り決めに署名した。その額(1,000億米ドル)は、IMF加盟国による資金提供としては過去最大規模であり、IMF専務理事のドミニク・ストロス=カーンは「日本による融資は、これまでの人類史上で最大規模のものだ」という謝意を表明した。 「人類史上最大」——この言葉の重さを、当時の日本メディアはほとんど報じませんでした。 第二層:「中川構想」という制度設計の先駆性 調印はゴールではなく、より大きな構想の一部でした。 財務大臣就任後間もない2008年10月、先進7ヶ国財務相・中央銀行総裁会議に出席した中川は、IMFに新興・中小国向けの新たな緊急融資制度を設けることを提案し、各国から高い評価を受けた。この「中川構想」には、ブラジルを始めとする中南米諸国が歓迎を公式に表明し、その後実際にウクライナ、ベラルーシ、パキスタンが「中川構想」に基づく緊急融資を受けることで救済された。 中川氏は単にお金を出したのではなく、リーマンショック後の国際金融秩序を新興・中小国が生き残れる制度に再設計しようとしていたのです。 日本は今回のIMF改革において非常に良いリーダーシップを発揮した。G7以降、日本の提案を受けていくつもの改革がIMFで実現した。これには担当の財務官僚や当時の財務大臣の中川昭一さんの功績もあったと思います。 第三層:米国債の「使い道」という地政学的含意 ここが最も深い層です。 我が国の外国為替資本特別会計(外為特会)の主な資産は、円高を抑制するために購入させられた大量の米国債であり、日本の外貨準備高約1兆ドルのうち、その大半が米国債とみられる。日本が米国債を処分するために円買いすれば円高基調になって輸出企業への打撃が深刻となるため、これを売却して介入資金に充てることが事実上できない。 つまり日本は約1兆ドルの米国債を「塩漬け」にせざるを得ない構造的な罠の中にあります。中川氏がやったことは、その「使えない米国債」を担保として活用し、IMFに融資するという迂回路を開いたことでした。 今回の資金提供は基本として1年間、情勢をかんがみて最大5年間まで延長が可能。金利が適用され利子も支払われる(0.62%/年)。IMFでの日本の役割・発言力も増すことになる。 財政負担ゼロで、利子収入を得ながら、IMFでの発言権を拡大する——しかもIMFを通じることで、特定国への個別融資より公平性・安全性が高い。中川氏はこの構造を完全に理解して設計していました。
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北村晴男
北村晴男@kitamuraharuo·
この事件の真相は是非とも明らかにしなければいけない。
高橋洋一(嘉悦大)@YoichiTakahashi

中川 郁子さんの投稿 夫は、帰国して成田空港を出て、わたしと電話で話をするまで、ローマの記者会見について、日本のテレビやネットで大炎上していたことを知らなかった… 同行していた財務省の方々が、なぜ、夫に伝えなかったのか。 今でも疑問に思います。 〜〜〜〜 2009年2月13日、ローマでのG7会合の合間を縫って 夫は、日本の財務金融担当大臣として、IMFのストロスカーン専務理事と調印式を行いました。 リーマンショック後の金融危機に対応するため日本からI MFに1000億ドルの融資を実施するという合意文書に調印したのです。 日本がIMFの資金基盤を強化し、新興国を含む世界経済の安定に貢献するための重要な金融支援でした。 日本が世界的な金融危機に大きな貢献をし、その危機管理能力を高く評価されるものと、夫も、麻生太郎総理大臣も確信していたのでした。 夫は、成田空港到着後、財務省の公用車に乗りこむと直ぐに、わたしに電話をかけ、 「日本のテレビはどうだった?ずいぶん褒めていただろう?」 と聞きました。 日本では、IMFとの調印式について全く報道されないどころか、 朝から「酩酊会見、日本の恥だ!」 テレビもネットも大騒ぎだったのです。 スマホ、タブレットもSNSもない時代です。 本人は、役所の方々から聞かされなければ何も知ることは出来ません。 ローマには、篠原尚之財務官も玉木林太郎国際局長やその他の幹部職員も、財務省側の秘書官などたくさんの方々が同行していました。 成田空港には、大臣出張を出迎えるほかの幹部もいたはずです。 成田空港到着は午後3時過ぎ、わたしがテレビで見たのは午前9時。息子がインターネットで大騒ぎになっていることをわたしに知らせてくれたのはそれより前です。 なぜ、夫には情報は伝わっていなかったのか? わたしは、夫の問いに 「なにも知らないのですか?その車に乗っている秘書官にすべて聞いて下さい!」 と答えるのが、やっとでした。 翌朝、山本高史秘書(中川事務所)が泣きながら、わたしの家に来ました。 IMF調印式のあと「今日の会見はなくなりました」と財務省側の事務秘書官から言われたので、財務大臣会合で各国の大臣からいただいたお土産などを、パッキングするために自分の部屋に 戻ったのだそうです。 しかし、その後、 「会見が始まります」と言って誰かが連れ出したのだ、 と説明をしました。 後日、夫を連れ出したのは、玉木林太郎国際局長だったことがわかります。 山本秘書が部屋に戻ったのを確認すると、玉木林太郎国際局長は、まず、夫をランチに誘いました。 オフィシャルなランチ会合は既に終わっていましたが、内輪でやり直そう、と玉木林太郎さんがセッティングしました。 そこには、読売新聞の越前谷知子記者、日本テレビ原聡子記者がいました。 越前谷さんは、玉木林太郎さんとは特段の仲らしく、わたしは面識はありません。 一方、原聡子記者は、夫の好きな「笑点」の公開録画に誘うなどずいぶん近づいていましたが、日本テレビ社内的には担当外でした。 夫も、玉木林太郎さんから「記者会見はなくなりました」と聞いたそうです。 このとき、夫は、越前谷さんから、「記者会見がなくなったのなら、この薬を飲んで食事のあと、ゆっくり休んだら?」と言われて、渡された薬を飲みワインを一口だけ飲んだのだそうです。 夫は、ワイン好きでしたが、海外出張のときは飲まないようにしていました。 この直後、越前谷知子記者は、「おもしろいことが起こるわよ」と、複数の人に伝えていたそうです。 事件後、越前谷記者は、アメリカ勤務になり日本からは姿を消しています。 原聡子記者は、誰より先にわたしたちの自宅前に到着して夫の帰宅時にマイクを向けていました。 その後、日本テレビの花形情報番組の「バンキシャ!」のキャスターに抜擢されています。 話は戻ります。 ランチのあと、部屋に戻り休んでいる夫を、玉木林太郎さんが 「記者会見は、やはりやることになったので」と言って迎えに来たのです。 夫の死後、葬儀が終わったあとになってやっと現れた玉木林太郎さんは 「ホテルの部屋にお迎えに行ったとき、中川昭一大臣は酩酊状態ではなく、しっかりとしておられました。これによって中川大臣の名誉は保たれます。」 と言われました。 わたしからは 「財務省の名誉が保たれる、の間違いではないですか?」 とお応えしました。 玉木林太郎さんは、麻布高校の同級生でしたが、在学中も卒業後も全くお付き合いはありませんでした。 夫が玉木さんを認識したのは、玉木さんが在アメリカ合衆国日本大使館経済公使になられた頃です。 ワシントンで、別の経済公使から紹介されました。 夫が財務大臣に就任してから、玉木林太郎さんも国際局長へとジャンプアップし、なにかにつけて相談しているようで、いちばん近くにいた印象があります。 帰国後、予算委員会での審議の2日目の夜、自民党から慶應病院に入院するように促され、テレビのテロップで「財務大臣更迭」を知らされました。 「病室ではテレビを見ないでね」と、 高校生だった息子が、TSUTAYAで夫が大好きな映画をたくさん借りて来ました。 数ヶ月後、会見を見たのか恐る恐る尋ねると、 「見た、信じられなかった…」 そのときの夫の顔を忘れることができません。 わたしは、その後、何度も「記者会見」を見ましたが、ろれつがまわっていない夫の両脇には、篠原尚之財務官と白川日銀総裁が、何も言わず、表情をひとつ変えずに座っていたこと、テーブルにはワインが置かれていたことは、極めて不自然に思いましたし、今でも不思議でなりません。 玉木林太郎さんは、その後、財務官に昇格し、夫の死後は、 OECD事務次長へと異例の出世をして行きます。 夫に玉木林太郎さんを紹介した方もその後、民主党政権で外務事務次官に昇格しましたが、自民党に政権が戻ると、安倍総理から事実上の更迭、僅か9ヶ月で退任することになります。 安倍総理は、何かを知っていたのかも知れません。 〜〜〜〜 「自分は、アメリカから殺される」 「こどもたちを頼む」 夫が繰り返し、わたしにそう話すようになったのは、亡くなる10年ほど前からだったと、思います。

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高橋洋一(嘉悦大)
高橋洋一(嘉悦大)@YoichiTakahashi·
中川 郁子さんの投稿 夫は、帰国して成田空港を出て、わたしと電話で話をするまで、ローマの記者会見について、日本のテレビやネットで大炎上していたことを知らなかった… 同行していた財務省の方々が、なぜ、夫に伝えなかったのか。 今でも疑問に思います。 〜〜〜〜 2009年2月13日、ローマでのG7会合の合間を縫って 夫は、日本の財務金融担当大臣として、IMFのストロスカーン専務理事と調印式を行いました。 リーマンショック後の金融危機に対応するため日本からI MFに1000億ドルの融資を実施するという合意文書に調印したのです。 日本がIMFの資金基盤を強化し、新興国を含む世界経済の安定に貢献するための重要な金融支援でした。 日本が世界的な金融危機に大きな貢献をし、その危機管理能力を高く評価されるものと、夫も、麻生太郎総理大臣も確信していたのでした。 夫は、成田空港到着後、財務省の公用車に乗りこむと直ぐに、わたしに電話をかけ、 「日本のテレビはどうだった?ずいぶん褒めていただろう?」 と聞きました。 日本では、IMFとの調印式について全く報道されないどころか、 朝から「酩酊会見、日本の恥だ!」 テレビもネットも大騒ぎだったのです。 スマホ、タブレットもSNSもない時代です。 本人は、役所の方々から聞かされなければ何も知ることは出来ません。 ローマには、篠原尚之財務官も玉木林太郎国際局長やその他の幹部職員も、財務省側の秘書官などたくさんの方々が同行していました。 成田空港には、大臣出張を出迎えるほかの幹部もいたはずです。 成田空港到着は午後3時過ぎ、わたしがテレビで見たのは午前9時。息子がインターネットで大騒ぎになっていることをわたしに知らせてくれたのはそれより前です。 なぜ、夫には情報は伝わっていなかったのか? わたしは、夫の問いに 「なにも知らないのですか?その車に乗っている秘書官にすべて聞いて下さい!」 と答えるのが、やっとでした。 翌朝、山本高史秘書(中川事務所)が泣きながら、わたしの家に来ました。 IMF調印式のあと「今日の会見はなくなりました」と財務省側の事務秘書官から言われたので、財務大臣会合で各国の大臣からいただいたお土産などを、パッキングするために自分の部屋に 戻ったのだそうです。 しかし、その後、 「会見が始まります」と言って誰かが連れ出したのだ、 と説明をしました。 後日、夫を連れ出したのは、玉木林太郎国際局長だったことがわかります。 山本秘書が部屋に戻ったのを確認すると、玉木林太郎国際局長は、まず、夫をランチに誘いました。 オフィシャルなランチ会合は既に終わっていましたが、内輪でやり直そう、と玉木林太郎さんがセッティングしました。 そこには、読売新聞の越前谷知子記者、日本テレビ原聡子記者がいました。 越前谷さんは、玉木林太郎さんとは特段の仲らしく、わたしは面識はありません。 一方、原聡子記者は、夫の好きな「笑点」の公開録画に誘うなどずいぶん近づいていましたが、日本テレビ社内的には担当外でした。 夫も、玉木林太郎さんから「記者会見はなくなりました」と聞いたそうです。 このとき、夫は、越前谷さんから、「記者会見がなくなったのなら、この薬を飲んで食事のあと、ゆっくり休んだら?」と言われて、渡された薬を飲みワインを一口だけ飲んだのだそうです。 夫は、ワイン好きでしたが、海外出張のときは飲まないようにしていました。 この直後、越前谷知子記者は、「おもしろいことが起こるわよ」と、複数の人に伝えていたそうです。 事件後、越前谷記者は、アメリカ勤務になり日本からは姿を消しています。 原聡子記者は、誰より先にわたしたちの自宅前に到着して夫の帰宅時にマイクを向けていました。 その後、日本テレビの花形情報番組の「バンキシャ!」のキャスターに抜擢されています。 話は戻ります。 ランチのあと、部屋に戻り休んでいる夫を、玉木林太郎さんが 「記者会見は、やはりやることになったので」と言って迎えに来たのです。 夫の死後、葬儀が終わったあとになってやっと現れた玉木林太郎さんは 「ホテルの部屋にお迎えに行ったとき、中川昭一大臣は酩酊状態ではなく、しっかりとしておられました。これによって中川大臣の名誉は保たれます。」 と言われました。 わたしからは 「財務省の名誉が保たれる、の間違いではないですか?」 とお応えしました。 玉木林太郎さんは、麻布高校の同級生でしたが、在学中も卒業後も全くお付き合いはありませんでした。 夫が玉木さんを認識したのは、玉木さんが在アメリカ合衆国日本大使館経済公使になられた頃です。 ワシントンで、別の経済公使から紹介されました。 夫が財務大臣に就任してから、玉木林太郎さんも国際局長へとジャンプアップし、なにかにつけて相談しているようで、いちばん近くにいた印象があります。 帰国後、予算委員会での審議の2日目の夜、自民党から慶應病院に入院するように促され、テレビのテロップで「財務大臣更迭」を知らされました。 「病室ではテレビを見ないでね」と、 高校生だった息子が、TSUTAYAで夫が大好きな映画をたくさん借りて来ました。 数ヶ月後、会見を見たのか恐る恐る尋ねると、 「見た、信じられなかった…」 そのときの夫の顔を忘れることができません。 わたしは、その後、何度も「記者会見」を見ましたが、ろれつがまわっていない夫の両脇には、篠原尚之財務官と白川日銀総裁が、何も言わず、表情をひとつ変えずに座っていたこと、テーブルにはワインが置かれていたことは、極めて不自然に思いましたし、今でも不思議でなりません。 玉木林太郎さんは、その後、財務官に昇格し、夫の死後は、 OECD事務次長へと異例の出世をして行きます。 夫に玉木林太郎さんを紹介した方もその後、民主党政権で外務事務次官に昇格しましたが、自民党に政権が戻ると、安倍総理から事実上の更迭、僅か9ヶ月で退任することになります。 安倍総理は、何かを知っていたのかも知れません。 〜〜〜〜 「自分は、アメリカから殺される」 「こどもたちを頼む」 夫が繰り返し、わたしにそう話すようになったのは、亡くなる10年ほど前からだったと、思います。
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ずんだもち
ずんだもち@zunda_mochi_ex·
これは衝撃だ。 メディアは間違いなく黙殺するが、SNSでは大拡散されるだろう。 参考までに、 左:玉木林太郎氏 右上:越前谷知子氏 右下:原聡子氏
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清水ひろあき@北九州市@shimihiro_kitaq

国士、中川昭一氏の妻である中川郁子さんが先ほど衝撃的な投稿をしています。 捏造された酩酊会見の裏側。財務省と読売新聞に嵌められて薬を飲まされた経緯。 「俺はアメリカから殺される」 「子供達を頼む」 以下、投稿を転載します。 夫は、帰国して成田空港を出て、わたしと電話で話をするまで、ローマの記者会見について、日本のテレビやネットで大炎上していたことを知らなかった… 同行していた財務省の方々が、なぜ、夫に伝えなかったのか。 今でも疑問に思います。 〜〜〜〜 2009年2月13日、ローマでのG7会合の合間を縫って 夫は、日本の財務金融担当大臣として、IMFのストロスカーン専務理事と調印式を行いました。 リーマンショック後の金融危機に対応するため日本からI MFに1000億ドルの融資を実施するという合意文書に調印したのです。 日本がIMFの資金基盤を強化し、新興国を含む世界経済の安定に貢献するための重要な金融支援でした。 日本が世界的な金融危機に大きな貢献をし、その危機管理能力を高く評価されるものと、夫も、麻生太郎総理大臣も確信していたのでした。 夫は、成田空港到着後、財務省の公用車に乗りこむと直ぐに、わたしに電話をかけ、 「日本のテレビはどうだった?ずいぶん褒めていただろう?」 と聞きました。 日本では、IMFとの調印式について全く報道されないどころか、 朝から「酩酊会見、日本の恥だ!」 テレビもネットも大騒ぎだったのです。 スマホ、タブレットもSNSもない時代です。 本人は、役所の方々から聞かされなければ何も知ることは出来ません。 ローマには、篠原尚之財務官も玉木林太郎国際局長やその他の幹部職員も、財務省側の秘書官などたくさんの方々が同行していました。 成田空港には、大臣出張を出迎えるほかの幹部もいたはずです。 成田空港到着は午後3時過ぎ、わたしがテレビで見たのは午前9時。息子がインターネットで大騒ぎになっていることをわたしに知らせてくれたのはそれより前です。 なぜ、夫には情報は伝わっていなかったのか? わたしは、夫の問いに 「なにも知らないのですか?その車に乗っている秘書官にすべて聞いて下さい!」 と答えるのが、やっとでした。 翌朝、山本高史秘書(中川事務所)が泣きながら、わたしの家に来ました。 IMF調印式のあと「今日の会見はなくなりました」と財務省側の事務秘書官から言われたので、財務大臣会合で各国の大臣からいただいたお土産などを、パッキングするために自分の部屋に 戻ったのだそうです。 しかし、その後、 「会見が始まります」と言って誰かが連れ出したのだ、 と説明をしました。 後日、夫を連れ出したのは、玉木林太郎国際局長だったことがわかります。 山本秘書が部屋に戻ったのを確認すると、玉木林太郎国際局長は、まず、夫をランチに誘いました。 オフィシャルなランチ会合は既に終わっていましたが、内輪でやり直そう、と玉木林太郎さんがセッティングしました。 そこには、読売新聞の越前谷知子記者、日本テレビ原聡子記者がいました。 越前谷さんは、玉木林太郎さんとは特段の仲らしく、わたしは面識はありません。 一方、原聡子記者は、夫の好きな「笑点」の公開録画に誘うなどずいぶん近づいていましたが、日本テレビ社内的には担当外でした。 夫も、玉木林太郎さんから「記者会見はなくなりました」と聞いたそうです。 このとき、夫は、越前谷さんから、「記者会見がなくなったのなら、この薬を飲んで食事のあと、ゆっくり休んだら?」と言われて、渡された薬を飲みワインを一口だけ飲んだのだそうです。 夫は、ワイン好きでしたが、海外出張のときは飲まないようにしていました。 この直後、越前谷知子記者は、「おもしろいことが起こるわよ」と、複数の人に伝えていたそうです。 事件後、越前谷記者は、アメリカ勤務になり日本からは姿を消しています。 原聡子記者は、誰より先にわたしたちの自宅前に到着して夫の帰宅時にマイクを向けていました。 その後、日本テレビの花形情報番組の「バンキシャ!」のキャスターに抜擢されています。 話は戻ります。 ランチのあと、部屋に戻り休んでいる夫を、玉木林太郎さんが 「記者会見は、やはりやることになったので」と言って迎えに来たのです。 夫の死後、葬儀が終わったあとになってやっと現れた玉木林太郎さんは 「ホテルの部屋にお迎えに行ったとき、中川昭一大臣は酩酊状態ではなく、しっかりとしておられました。これによって中川大臣の名誉は保たれます。」 と言われました。 わたしからは 「財務省の名誉が保たれる、の間違いではないですか?」 とお応えしました。 玉木林太郎さんは、麻布高校の同級生でしたが、在学中も卒業後も全くお付き合いはありませんでした。 夫が玉木さんを認識したのは、玉木さんが在アメリカ合衆国日本大使館経済公使になられた頃です。 リプ欄に続く↓

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ポッピンココ
ポッピンココ@Coco2Poppin·
🚨亡くなった国士 中川昭一氏の妻 中川郁子さんがFacebookに衝撃投稿‼️ 中川昭一さんは奥様に、 「自分は、アメリカから○される」 「こどもたちを頼む」 と言っていたとのこと…。
清水ひろあき@北九州市@shimihiro_kitaq

国士、中川昭一氏の妻である中川郁子さんが先ほど衝撃的な投稿をしています。 捏造された酩酊会見の裏側。財務省と読売新聞に嵌められて薬を飲まされた経緯。 「俺はアメリカから殺される」 「子供達を頼む」 以下、投稿を転載します。 夫は、帰国して成田空港を出て、わたしと電話で話をするまで、ローマの記者会見について、日本のテレビやネットで大炎上していたことを知らなかった… 同行していた財務省の方々が、なぜ、夫に伝えなかったのか。 今でも疑問に思います。 〜〜〜〜 2009年2月13日、ローマでのG7会合の合間を縫って 夫は、日本の財務金融担当大臣として、IMFのストロスカーン専務理事と調印式を行いました。 リーマンショック後の金融危機に対応するため日本からI MFに1000億ドルの融資を実施するという合意文書に調印したのです。 日本がIMFの資金基盤を強化し、新興国を含む世界経済の安定に貢献するための重要な金融支援でした。 日本が世界的な金融危機に大きな貢献をし、その危機管理能力を高く評価されるものと、夫も、麻生太郎総理大臣も確信していたのでした。 夫は、成田空港到着後、財務省の公用車に乗りこむと直ぐに、わたしに電話をかけ、 「日本のテレビはどうだった?ずいぶん褒めていただろう?」 と聞きました。 日本では、IMFとの調印式について全く報道されないどころか、 朝から「酩酊会見、日本の恥だ!」 テレビもネットも大騒ぎだったのです。 スマホ、タブレットもSNSもない時代です。 本人は、役所の方々から聞かされなければ何も知ることは出来ません。 ローマには、篠原尚之財務官も玉木林太郎国際局長やその他の幹部職員も、財務省側の秘書官などたくさんの方々が同行していました。 成田空港には、大臣出張を出迎えるほかの幹部もいたはずです。 成田空港到着は午後3時過ぎ、わたしがテレビで見たのは午前9時。息子がインターネットで大騒ぎになっていることをわたしに知らせてくれたのはそれより前です。 なぜ、夫には情報は伝わっていなかったのか? わたしは、夫の問いに 「なにも知らないのですか?その車に乗っている秘書官にすべて聞いて下さい!」 と答えるのが、やっとでした。 翌朝、山本高史秘書(中川事務所)が泣きながら、わたしの家に来ました。 IMF調印式のあと「今日の会見はなくなりました」と財務省側の事務秘書官から言われたので、財務大臣会合で各国の大臣からいただいたお土産などを、パッキングするために自分の部屋に 戻ったのだそうです。 しかし、その後、 「会見が始まります」と言って誰かが連れ出したのだ、 と説明をしました。 後日、夫を連れ出したのは、玉木林太郎国際局長だったことがわかります。 山本秘書が部屋に戻ったのを確認すると、玉木林太郎国際局長は、まず、夫をランチに誘いました。 オフィシャルなランチ会合は既に終わっていましたが、内輪でやり直そう、と玉木林太郎さんがセッティングしました。 そこには、読売新聞の越前谷知子記者、日本テレビ原聡子記者がいました。 越前谷さんは、玉木林太郎さんとは特段の仲らしく、わたしは面識はありません。 一方、原聡子記者は、夫の好きな「笑点」の公開録画に誘うなどずいぶん近づいていましたが、日本テレビ社内的には担当外でした。 夫も、玉木林太郎さんから「記者会見はなくなりました」と聞いたそうです。 このとき、夫は、越前谷さんから、「記者会見がなくなったのなら、この薬を飲んで食事のあと、ゆっくり休んだら?」と言われて、渡された薬を飲みワインを一口だけ飲んだのだそうです。 夫は、ワイン好きでしたが、海外出張のときは飲まないようにしていました。 この直後、越前谷知子記者は、「おもしろいことが起こるわよ」と、複数の人に伝えていたそうです。 事件後、越前谷記者は、アメリカ勤務になり日本からは姿を消しています。 原聡子記者は、誰より先にわたしたちの自宅前に到着して夫の帰宅時にマイクを向けていました。 その後、日本テレビの花形情報番組の「バンキシャ!」のキャスターに抜擢されています。 話は戻ります。 ランチのあと、部屋に戻り休んでいる夫を、玉木林太郎さんが 「記者会見は、やはりやることになったので」と言って迎えに来たのです。 夫の死後、葬儀が終わったあとになってやっと現れた玉木林太郎さんは 「ホテルの部屋にお迎えに行ったとき、中川昭一大臣は酩酊状態ではなく、しっかりとしておられました。これによって中川大臣の名誉は保たれます。」 と言われました。 わたしからは 「財務省の名誉が保たれる、の間違いではないですか?」 とお応えしました。 玉木林太郎さんは、麻布高校の同級生でしたが、在学中も卒業後も全くお付き合いはありませんでした。 夫が玉木さんを認識したのは、玉木さんが在アメリカ合衆国日本大使館経済公使になられた頃です。 リプ欄に続く↓

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清水ひろあき@北九州市
清水ひろあき@北九州市@shimihiro_kitaq·
アメリカも酷いが、日本の中にいる魂を売り渡したような売国奴どもに虫唾が走る。 リーマンショック直後IMFで、大きな圧力の中しっかりと日本の立場を守り、マスコミは随分褒めていただろう?と言っていた中川さんが、帰国後の報道を見た時の心境を想うと胸が締め付けられる。
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清水ひろあき@北九州市
清水ひろあき@北九州市@shimihiro_kitaq·
ワシントンで、別の経済公使から紹介されました。 夫が財務大臣に就任してから、玉木林太郎さんも国際局長へとジャンプアップし、なにかにつけて相談しているようで、いちばん近くにいた印象があります。 帰国後、予算委員会での審議の2日目の夜、自民党から慶應病院に入院するように促され、テレビのテロップで「財務大臣更迭」を知らされました。 「病室ではテレビを見ないでね」と、 高校生だった息子が、TSUTAYAで夫が大好きな映画をたくさん借りて来ました。 数ヶ月後、会見を見たのか恐る恐る尋ねると、 「見た、信じられなかった…」 そのときの夫の顔を忘れることができません。 わたしは、その後、何度も「記者会見」を見ましたが、ろれつがまわっていない夫の両脇には、篠原尚之財務官と白川日銀総裁が、何も言わず、表情をひとつ変えずに座っていたこと、テーブルにはワインが置かれていたことは、極めて不自然に思いましたし、今でも不思議でなりません。 玉木林太郎さんは、その後、財務官に昇格し、夫の死後は、 OECD事務次長へと異例の出世をして行きます。 夫に玉木林太郎さんを紹介した方もその後、民主党政権で外務事務次官に昇格しましたが、自民党に政権が戻ると、安倍総理から事実上の更迭、僅か9ヶ月で退任することになります。 安倍総理は、何かを知っていたのかも知れません。 〜〜〜〜 「自分は、アメリカから殺される」 「こどもたちを頼む」 夫が繰り返し、わたしにそう話すようになったのは、亡くなる10年ほど前からだったと、思います。
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国士、中川昭一氏の妻である中川郁子さんが先ほど衝撃的な投稿をしています。 捏造された酩酊会見の裏側。財務省と読売新聞に嵌められて薬を飲まされた経緯。 「俺はアメリカから殺される」 「子供達を頼む」 以下、投稿を転載します。 夫は、帰国して成田空港を出て、わたしと電話で話をするまで、ローマの記者会見について、日本のテレビやネットで大炎上していたことを知らなかった… 同行していた財務省の方々が、なぜ、夫に伝えなかったのか。 今でも疑問に思います。 〜〜〜〜 2009年2月13日、ローマでのG7会合の合間を縫って 夫は、日本の財務金融担当大臣として、IMFのストロスカーン専務理事と調印式を行いました。 リーマンショック後の金融危機に対応するため日本からI MFに1000億ドルの融資を実施するという合意文書に調印したのです。 日本がIMFの資金基盤を強化し、新興国を含む世界経済の安定に貢献するための重要な金融支援でした。 日本が世界的な金融危機に大きな貢献をし、その危機管理能力を高く評価されるものと、夫も、麻生太郎総理大臣も確信していたのでした。 夫は、成田空港到着後、財務省の公用車に乗りこむと直ぐに、わたしに電話をかけ、 「日本のテレビはどうだった?ずいぶん褒めていただろう?」 と聞きました。 日本では、IMFとの調印式について全く報道されないどころか、 朝から「酩酊会見、日本の恥だ!」 テレビもネットも大騒ぎだったのです。 スマホ、タブレットもSNSもない時代です。 本人は、役所の方々から聞かされなければ何も知ることは出来ません。 ローマには、篠原尚之財務官も玉木林太郎国際局長やその他の幹部職員も、財務省側の秘書官などたくさんの方々が同行していました。 成田空港には、大臣出張を出迎えるほかの幹部もいたはずです。 成田空港到着は午後3時過ぎ、わたしがテレビで見たのは午前9時。息子がインターネットで大騒ぎになっていることをわたしに知らせてくれたのはそれより前です。 なぜ、夫には情報は伝わっていなかったのか? わたしは、夫の問いに 「なにも知らないのですか?その車に乗っている秘書官にすべて聞いて下さい!」 と答えるのが、やっとでした。 翌朝、山本高史秘書(中川事務所)が泣きながら、わたしの家に来ました。 IMF調印式のあと「今日の会見はなくなりました」と財務省側の事務秘書官から言われたので、財務大臣会合で各国の大臣からいただいたお土産などを、パッキングするために自分の部屋に 戻ったのだそうです。 しかし、その後、 「会見が始まります」と言って誰かが連れ出したのだ、 と説明をしました。 後日、夫を連れ出したのは、玉木林太郎国際局長だったことがわかります。 山本秘書が部屋に戻ったのを確認すると、玉木林太郎国際局長は、まず、夫をランチに誘いました。 オフィシャルなランチ会合は既に終わっていましたが、内輪でやり直そう、と玉木林太郎さんがセッティングしました。 そこには、読売新聞の越前谷知子記者、日本テレビ原聡子記者がいました。 越前谷さんは、玉木林太郎さんとは特段の仲らしく、わたしは面識はありません。 一方、原聡子記者は、夫の好きな「笑点」の公開録画に誘うなどずいぶん近づいていましたが、日本テレビ社内的には担当外でした。 夫も、玉木林太郎さんから「記者会見はなくなりました」と聞いたそうです。 このとき、夫は、越前谷さんから、「記者会見がなくなったのなら、この薬を飲んで食事のあと、ゆっくり休んだら?」と言われて、渡された薬を飲みワインを一口だけ飲んだのだそうです。 夫は、ワイン好きでしたが、海外出張のときは飲まないようにしていました。 この直後、越前谷知子記者は、「おもしろいことが起こるわよ」と、複数の人に伝えていたそうです。 事件後、越前谷記者は、アメリカ勤務になり日本からは姿を消しています。 原聡子記者は、誰より先にわたしたちの自宅前に到着して夫の帰宅時にマイクを向けていました。 その後、日本テレビの花形情報番組の「バンキシャ!」のキャスターに抜擢されています。 話は戻ります。 ランチのあと、部屋に戻り休んでいる夫を、玉木林太郎さんが 「記者会見は、やはりやることになったので」と言って迎えに来たのです。 夫の死後、葬儀が終わったあとになってやっと現れた玉木林太郎さんは 「ホテルの部屋にお迎えに行ったとき、中川昭一大臣は酩酊状態ではなく、しっかりとしておられました。これによって中川大臣の名誉は保たれます。」 と言われました。 わたしからは 「財務省の名誉が保たれる、の間違いではないですか?」 とお応えしました。 玉木林太郎さんは、麻布高校の同級生でしたが、在学中も卒業後も全くお付き合いはありませんでした。 夫が玉木さんを認識したのは、玉木さんが在アメリカ合衆国日本大使館経済公使になられた頃です。 リプ欄に続く↓
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とうしろう(5号)守若 冬史郎🙄
アフリカ難民たちが、日本を含む欧米への移住を前に出発前訓練を受けている。 集団でナイフを構え、刺突動作を繰り返す訓練… これ、本当に「働く」ための準備に見えますか? 完全に戦闘訓練じゃん🤦‍♂️ 🇯🇵 政府の言う「高度人材」の受け入れって本当なの? 日本は大丈夫?
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🇯🇵砂川 泉🎌
🇯🇵砂川 泉🎌@26ers_bp115·
ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアへの移住に先立ち、出発前訓練を受けているアフリカ難民の様子だそうだ。 移住する前から危害を加える気満々なのか? こんな連中と共生出来る訳がない。
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Lico零号機🇯🇵
中川郁子さん、決死の告白 やはり、こいつらだった 篠原尚之  財務省 玉木林太郎 財務省 原聡子   日テレ 越前知子  読売新聞 陰謀論じゃなかった 真実だった
Lico零号機🇯🇵 tweet media
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奥村こうき@再生の道 代表
Xで意図を伝え切るのは難しいので、近日中にライブで話します。 政治参加したら、政治を知らない頃には戻れない。だからこそ当選を目指します。 ただ、中心は政治再生です。選挙は手段です。当選を中心にしてはならない。 それがハッシャダイであり、間違ってはいけません。
奥村こうき@再生の道 代表@Okumura_Islands

再生の道は、政治に参加してしまった者たちの組織。 関わった瞬間に見えてくる、市民が、そして日本がぶち当たる壁。それを先んじて体当たりし、次に来る人のために地図を作り続ける。 勝利を中心に目指すようになったのなら、他の党へ行けばいい。 私たちは、市民が政治に踏み出すときにぶつかる壁を、自ら引き受け、体現し続ける。 後世に感謝されれば良い。

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シュウ2 Shu2
シュウ2 Shu2@syuronron·
@Okumura_Islands いつも応援しています!😸コミッチー達の参加についてのベースはほぼ同じです!🥳出来れば、AI達と民主主義的な意見・提案の熟議・投票が出来る新しい場所!との説明を分かり易く図解や動画も交えてお話頂けると皆さんもより興味が湧くと思います!🐯透明な明るい場所になる事を楽しみにしています!😄
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奥村こうき@再生の道 代表
再生の道は、政党ではありません。 再生の道は、ハッシャダイとなるプラットフォームです。 人件費をかけずに運営する以上、最終的にはAIで完全自動化した方がサステナブルだとさえ思っています。
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Elise Vanessa
Elise Vanessa@ev0123456789·
🇬🇧【最悪の首相スターマー】 英国は今、不法移民による少女レイプの流行に苦しんでいる。 小型ボートで到着した庇護希望者(不法移民)たちが、英国の10代少女たちを次々と標的にレイプしている。 「彼らはあなたの監視下にいるんだ!」 アレックス・フィリップス氏が、キア・スターマー首相に激怒。 「あなたは女性と少女を守ろうとしない。本物の偽善者だ!」 この無策は許されない。 英国の娘たちを守れ!と叫ぶ。🎯
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Kosei Murata 🇯🇵
Kosei Murata 🇯🇵@ilovetheworld1·
スペインで集団レイプ被害を受けた少女ノエリアさんが安楽死を選んだ。 栃木でも、夫の目前で集団レイプされ妊娠し、自ら命を絶った若い女性がいた。 異なる国で、同じ手口。そして加害者はいずれもイスラム系移民の集団。 欧州では、イスラム系移民による性暴力が突出して多い。 日本が同じ轍を踏まぬよう、他国の価値観や文化を暴力的な教義で塗り替えようとするイスラム系移民の受け入れを即刻中止し、国内に留まる40万人以上のムスリムを速やかに帰国させるべきだ。
Kosei Murata 🇯🇵@ilovetheworld1

【欧州の悲劇を、これ以上、日本の明日にしないために】 バルセロナ近郊、サン・カミル病院。昨日午後18時、ノエリア・カスティージョ・ラモスの人生は安楽死という形で幕を閉じた。 2022年、家族の困難から施設に預けられた彼女を待っていたのは、北アフリカ系移民グループによる集団暴行。心は砕け、5階から身を投げた彼女は一命を取り留めるも全身不随となった。 スペイン当局が提示した「解決策」は、手厚い支援ではなく死への案内。昨日、病院に集まった人々の祈りも虚しく、彼女は逝った。 彼女を壊した加害者たちは一人も逮捕されず、今も自由を享受している。 📝日本でも、公園を散歩していた若い夫婦が移民グループに襲われ、夫の目の前で妻が蹂躙される悲劇が起きた。その後、身を籠った妻は自ら死を選んだ。 不条理が、どこでも命を削り続けている。欧州の悲劇をこれ以上日本で繰り返さないため、日本を守りたい一人一人が声を出し、行動する時が訪れた。

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