平安京航空自衛隊
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平安京航空自衛隊
@HeianJASDF
世に蔓延る怪異から都の空を守護する為、陰陽師によって結成された航空自衛隊の秘密部隊「平安京航空自衛隊」の広報アカウントです。 業務内容のほか、隊員の雅な日常などをツイートします。 隊員:鰐軍壮 爆戦 マサキタケオ ※当組織はフィクションです。

『2011年3月11日 14:46。あの日から15年。』 あの日、最大震度7、巨大な津波を伴う「東日本大震災」が発生しました。 翌12日には、福島第一原子力発電所で水素爆発が発生し、防衛省・自衛隊は、「大規模震災災害派遣」と「原子力災害派遣」が同時に進行する、かつて経験したことのない複合事態への対応を迫られました。 この未曽有の事態に対し、防衛省・自衛隊は、統合任務部隊(Joint Task Force)を編成。陸・海・空自衛隊の総力を結集し、全国から10万人を超える規模の部隊・隊員を投入しました。また、即応予備自衛官・予備自衛官も、制度創設後初めての招集が行われ、現役隊員と一体となって、命を救う活動に当たりました。 「当たり前の日常を取り戻す。できることは、すべてやる。」 その共通の思いを胸に、防衛省・自衛隊は、長期にわたり被災地での災害対応に全力を尽くしました。 『あの日、命をつなぐために。』 陸上自衛隊は、被災者の最も近くで、最も長く向き合いました。 極寒の中での昼夜を分かたぬ捜索・救助、ご遺体に敬意を払いながらの収容・搬送、 道路啓開や物資輸送、さらには命をつなぐ生活支援を続けました。 石巻市では、発災から3日後に生後4か月の女児を救助するなど、「国民の命を守り抜く」という揺るぎない信念のもと、最前線で黙々と現場に向き合い続け、数多くの尊い命を救いました。 海上自衛隊は、途切れた日常を「海」からつなぎました。 「全艦艇出航せよ」。指揮官の命令のもと、艦艇は直ちに東北沖へ向かい、被災地沿岸に展開。洋上に拠点を構え、荒れる海の上から命を探し続けました。 港湾機能が失われた地域では、輸送艦やエアクッション艇を活用し、海岸へ直接物資を届け、孤立を孤独にしない支援を続けました。 航空自衛隊は、被災地を「空」から見つめ続け、次の一手を導きました。 発災直後から固定翼機やヘリコプターが出動し、刻々と変化する被害の現実を上空から捉え、地上に伝え続けました。 同時に、津波に流されまいと必死に耐える、今にも消えそうな命を見逃すことなく救い上げ、被災地へ希望の光を運びました。 米軍は「トモダチ作戦」を展開し、その献身的な活動は、困難な時こそ支え合う日米同盟の揺るぎない絆を世界に示すものとなりました。さらに、豪州をはじめとする多くの国々から寄せられた支援は、困難な時こそ支え合う国際社会の絆を、被災地で確かに示しました。 『教訓は、今も受け継がれている。』 東日本大震災では、地震・津波に加え、「原子力災害」という極めて困難な事態にも直面しました。 防衛省・自衛隊は、政府全体の対応の一翼を担い、強い使命感のもと、極限の緊張と過酷な環境の中で対応に当たりました。 そこで下された判断と行動の一つひとつは、今日に至るまで、防衛省・自衛隊の危機管理対応の根底として、確かに受け継がれています。 現場では、省庁の枠を超えた連携も行われました。 DMATの医師が自衛隊のヘリコプターを誘導する場面に象徴されるように、「ひとりでも多くの命を守り抜く」という目的の前に、垣根は存在しませんでした。 また、前線での活動を支えた後方の部隊や隊員(自衛官・事務官・技官・教官)の存在も忘れてはなりません。彼らも駐屯地や基地において、後方支援、関係機関との調整、制度面での対応など、それぞれの持ち場で支え続けました。 そして、任務を支え続けたご家族の深い理解と支えがありました。 その支えのもと、防衛省・自衛隊は「ワンチーム」として力を重ねながらこの困難に立ち向かってきました。 私たちは、震災の記憶と教訓を決して風化させることなく、国民の命と平和な暮らしを守り抜く決意を胸に、これからも全力で任務に当たってまいります。 ▼防衛省HP「東日本大震災への対応」 mod.go.jp/j/approach/def… ▼防衛省統合幕僚監部HP「フォトギャラリー」 mod.go.jp/js/photo/photo…































