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日本語
霜川月
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日本の友人へ 最近、日本語は単なる「文字の言語」ではなく、一種の「情報圧縮システム」のように感じるようになりました。 最初は、ひらがな・カタカナ・漢字の混在は単なる「複雑さ」だと思っていました。 しかし今では、それぞれが特定の役割を持った設計構造のように見えます。 ひらがなは音を運ぶ流れる骨格のように感じられます。 カタカナは外来要素を取り込む翻訳ツールのように機能しているように思えます。 漢字は意味を一瞬で圧縮するデータパケットのように感じられます。 そして気づいたのは、日本語は単に「読む」ものではなく、「理解しながら展開(解凍)する」言語なのではないか、ということです。 そこでいくつか質問があります。 なぜ日本語はこのような層構造のシステムへと発展したのでしょうか? もし漢字だけ、あるいはひらがなだけに統一されていたら、日本語における「思考のスピード」は変わっていたと思いますか? また、学習者にとって本当に難しい部分はどこにあるのでしょうか? 発音でしょうか?漢字の暗記でしょうか?それとも文脈によって意味が変わるという感覚でしょうか? そしてもう一つ: 日本語学習者は、どの段階で「言葉を読む」ことから「雰囲気そのものを理解する」ようになるのでしょうか? ナイジェリアから見ていると、日本語は単なる言語というよりも、一種の思考プロトコルのように感じられます。 皆さんはどう思いますか?

