まろやか@トコトコラーメン日記🍜🐈

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@redcentx

ラーメン大好きな猫!ずるずるず!毎日ラーメン健康生活実施猫!年間500杯位に制限してラーメン啜ってます🍜ステッカー持歩いてます!気軽によろです☆ 別垢▶︎@maro_maron511 良く出没する場所▶︎まさき・夢者・たかのちゅめ・燎・39名^•ω•^ฅ所沢のまーみん的な存在になりたい!江國香織さんの作品が好きです!

まさき-夢者-たかのちゅめ-燎-39名 Beigetreten Ocak 2012
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緊急事態発生!!緊急速報!! 人生でベスト3に嬉しかったことに余裕でくい込む事件がありました!! 本当に泣きそうです!! いや少し泣きました!! コレからも毎日ずるずるするぜ!! ちょめめぇーーーい!! #ラーメン
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中華麺店 喜楽 渋谷(1952年創業) ワンタン麺 今宵、再び老舗へ。 昨日の ホープ軒 千駄ヶ谷 に続き、向かったのは百軒店の灯り。 暖簾は、単なる入口ではない。 それは、ラーメンの歴史に触れるための“導線”だ。   この一杯を語るうえで欠かせないのが、戦後の東京。 屋台から始まり、街に根を張っていった中華そば。 その流れの中で喜楽が提示したのは、 「日常に組み込まれるラーメン」の完成形だった。   揚げネギ。 これは単なるトッピングではない。 台湾系の食文化をルーツに持つ香味油の思想が、日本の中華そばに組み込まれた象徴的要素だ。 ラード文化とも重なりながら、「油で旨味を設計する」という発想がここにある。   もやし、鶏と豚のスープ。 今でこそ当たり前だが、当時はまだ一般的ではなかった要素が、一杯の中で自然に組み上がる。 つまりこの味は、ラーメンが「中華料理の延長線」にあった頃の記憶そのものだ。   そしてワンタン。 ワンタンは本来、広東や上海にルーツを持つ存在。 それがラーメンと融合することで、 「中華料理の多様性」と「日本的な一杯」が同居する形が生まれた。 これはつまり、 ラーメンがまだ「料理の集合体」として成立していた時代の名残だ。   麺を啜る。スープを飲む。ワンタンを沈める。 その一連の動作の中にあるのは、単なる美味しさではない。 時間だ。 屋台から始まり、町中華へ。 そして専門店へと進化していく過程の、ひとつの到達点。   昨日の一杯も、今日の一杯も——。 形は違えど、そこにあるのは同じものだ。 どちらもラーメンという文化の中で、 確かに“生き続けている歴史”だ。 ご馳走様でした。 #ラーメン #渋谷
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和柄。YP@唐揚げの妖精🔥🐲⚽
ここ、前の職場で先輩に連れて行ってもらったお店だけど めちゃくちゃ美味かったのよなぁ
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ホープ軒 千駄ヶ谷 ラーメン 東京に、背脂という“救い”を。 1960年。若干20歳の牛久保英昭が屋台を引き、ラーメンを売り始めたのがすべての起点だった。 当初はあくまでシンプルな醤油ラーメン。しかし、夜を走り続けるタクシー運転手や、締切に追われるマスコミ関係者――“眠らない人々”の胃袋に応えるため、その一杯は進化を遂げる。 背脂を浮かせ、コクを重ね、力強く。こうして現在に連なる“東京豚骨醤油”の輪郭が形作られていった。 やがて1975年。屋台文化の延長線上に、千駄ヶ谷の地で実店舗として結実する。 雑踏の中に屹立するそのビルは、単なる店舗ではない。東京ラーメン史の転換点、そのものだ。 一口すすれば、まず感じるのは背脂の甘みと熱量。だが決して粗暴ではない。醤油ダレのキレが全体を引き締め、自家製の中太麺がその旨味を余すことなく受け止める。そして卓上には山のように積まれたネギ――入れ放題という“自由”が、この一杯にさらなる個性を与える。 “背脂チャッチャ系”という言葉が一般化する遥か以前、その原型はここにあった。 そしてその系譜は、千駄ヶ谷から各地へと広がっていく。 らーめん弁慶 らーめん香月 土佐っ子ラーメン いずれも、この場所から派生した“思想の継承者”たちだ。 ホープ軒は、ただの人気店ではない。 東京の夜と共に進化し、文化として根付いた“機能するラーメン”。 その一杯には、時代を支えた人々の体温が、確かに宿っている。 ご馳走様でした。 #ラーメン #歴史

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まーみん🍜⚾️【まーみん麺TV】
『千葉県内のJR全駅でラーメンを食べる』 という前代未聞の挑戦を、 YouTubeで始めることにしました🍜 5年間毎日ラーメンを食べ続けてきた 私にしかできないこと。 みんなの力を借りて成し遂げたいです。 千葉県民の皆様、 あなたの近くにある美味しいラーメンや、 おすすめのお店、駅名と共に教えてください。
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Masaki
Masaki@MasakiTaka97275·
@redcentx 1000円に到達したのがついこないだの気がしたが先日前を通ったら1100円になってた。アホか。
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ホープ軒 千駄ヶ谷 ラーメン 東京に、背脂という“救い”を。 1960年。若干20歳の牛久保英昭が屋台を引き、ラーメンを売り始めたのがすべての起点だった。 当初はあくまでシンプルな醤油ラーメン。しかし、夜を走り続けるタクシー運転手や、締切に追われるマスコミ関係者――“眠らない人々”の胃袋に応えるため、その一杯は進化を遂げる。 背脂を浮かせ、コクを重ね、力強く。こうして現在に連なる“東京豚骨醤油”の輪郭が形作られていった。 やがて1975年。屋台文化の延長線上に、千駄ヶ谷の地で実店舗として結実する。 雑踏の中に屹立するそのビルは、単なる店舗ではない。東京ラーメン史の転換点、そのものだ。 一口すすれば、まず感じるのは背脂の甘みと熱量。だが決して粗暴ではない。醤油ダレのキレが全体を引き締め、自家製の中太麺がその旨味を余すことなく受け止める。そして卓上には山のように積まれたネギ――入れ放題という“自由”が、この一杯にさらなる個性を与える。 “背脂チャッチャ系”という言葉が一般化する遥か以前、その原型はここにあった。 そしてその系譜は、千駄ヶ谷から各地へと広がっていく。 らーめん弁慶 らーめん香月 土佐っ子ラーメン いずれも、この場所から派生した“思想の継承者”たちだ。 ホープ軒は、ただの人気店ではない。 東京の夜と共に進化し、文化として根付いた“機能するラーメン”。 その一杯には、時代を支えた人々の体温が、確かに宿っている。 ご馳走様でした。 #ラーメン #歴史
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Blaze💙💛
Blaze💙💛@japanmevius1·
@redcentx 笹塚のホープ軒よく行ったなぁ。 私が引っ越した後、もらい火で焼けちゃったみたいだが。
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ひろちゃん
ひろちゃん@hirochan_0707·
ララァ…見えるぞ!私にも背脂が見える!!
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ホープ軒 千駄ヶ谷 ラーメン 東京に、背脂という“救い”を。 1960年。若干20歳の牛久保英昭が屋台を引き、ラーメンを売り始めたのがすべての起点だった。 当初はあくまでシンプルな醤油ラーメン。しかし、夜を走り続けるタクシー運転手や、締切に追われるマスコミ関係者――“眠らない人々”の胃袋に応えるため、その一杯は進化を遂げる。 背脂を浮かせ、コクを重ね、力強く。こうして現在に連なる“東京豚骨醤油”の輪郭が形作られていった。 やがて1975年。屋台文化の延長線上に、千駄ヶ谷の地で実店舗として結実する。 雑踏の中に屹立するそのビルは、単なる店舗ではない。東京ラーメン史の転換点、そのものだ。 一口すすれば、まず感じるのは背脂の甘みと熱量。だが決して粗暴ではない。醤油ダレのキレが全体を引き締め、自家製の中太麺がその旨味を余すことなく受け止める。そして卓上には山のように積まれたネギ――入れ放題という“自由”が、この一杯にさらなる個性を与える。 “背脂チャッチャ系”という言葉が一般化する遥か以前、その原型はここにあった。 そしてその系譜は、千駄ヶ谷から各地へと広がっていく。 らーめん弁慶 らーめん香月 土佐っ子ラーメン いずれも、この場所から派生した“思想の継承者”たちだ。 ホープ軒は、ただの人気店ではない。 東京の夜と共に進化し、文化として根付いた“機能するラーメン”。 その一杯には、時代を支えた人々の体温が、確かに宿っている。 ご馳走様でした。 #ラーメン #歴史

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ゼブラ(zebra-meiji)
深夜に食べたいラーメン
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ホープ軒 千駄ヶ谷 ラーメン 東京に、背脂という“救い”を。 1960年。若干20歳の牛久保英昭が屋台を引き、ラーメンを売り始めたのがすべての起点だった。 当初はあくまでシンプルな醤油ラーメン。しかし、夜を走り続けるタクシー運転手や、締切に追われるマスコミ関係者――“眠らない人々”の胃袋に応えるため、その一杯は進化を遂げる。 背脂を浮かせ、コクを重ね、力強く。こうして現在に連なる“東京豚骨醤油”の輪郭が形作られていった。 やがて1975年。屋台文化の延長線上に、千駄ヶ谷の地で実店舗として結実する。 雑踏の中に屹立するそのビルは、単なる店舗ではない。東京ラーメン史の転換点、そのものだ。 一口すすれば、まず感じるのは背脂の甘みと熱量。だが決して粗暴ではない。醤油ダレのキレが全体を引き締め、自家製の中太麺がその旨味を余すことなく受け止める。そして卓上には山のように積まれたネギ――入れ放題という“自由”が、この一杯にさらなる個性を与える。 “背脂チャッチャ系”という言葉が一般化する遥か以前、その原型はここにあった。 そしてその系譜は、千駄ヶ谷から各地へと広がっていく。 らーめん弁慶 らーめん香月 土佐っ子ラーメン いずれも、この場所から派生した“思想の継承者”たちだ。 ホープ軒は、ただの人気店ではない。 東京の夜と共に進化し、文化として根付いた“機能するラーメン”。 その一杯には、時代を支えた人々の体温が、確かに宿っている。 ご馳走様でした。 #ラーメン #歴史

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🐶ぽち🐶@ITぶちょー💻 🇺🇦🐯
ここ旨いよね。
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猫語の先生
猫語の先生@akira534·
@redcentx めちゃくちゃ面白いストーリーですね!映像にしてみたい
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ABU
ABU@nonone12722954·
@redcentx ホープとか弁慶からでしか得られない栄養素がありますよね
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ABU
ABU@nonone12722954·
確かに東京のラーメンって 睡眠削ってフラフラになった時に染み渡るような味付けな気がする
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ホープ軒 千駄ヶ谷 ラーメン 東京に、背脂という“救い”を。 1960年。若干20歳の牛久保英昭が屋台を引き、ラーメンを売り始めたのがすべての起点だった。 当初はあくまでシンプルな醤油ラーメン。しかし、夜を走り続けるタクシー運転手や、締切に追われるマスコミ関係者――“眠らない人々”の胃袋に応えるため、その一杯は進化を遂げる。 背脂を浮かせ、コクを重ね、力強く。こうして現在に連なる“東京豚骨醤油”の輪郭が形作られていった。 やがて1975年。屋台文化の延長線上に、千駄ヶ谷の地で実店舗として結実する。 雑踏の中に屹立するそのビルは、単なる店舗ではない。東京ラーメン史の転換点、そのものだ。 一口すすれば、まず感じるのは背脂の甘みと熱量。だが決して粗暴ではない。醤油ダレのキレが全体を引き締め、自家製の中太麺がその旨味を余すことなく受け止める。そして卓上には山のように積まれたネギ――入れ放題という“自由”が、この一杯にさらなる個性を与える。 “背脂チャッチャ系”という言葉が一般化する遥か以前、その原型はここにあった。 そしてその系譜は、千駄ヶ谷から各地へと広がっていく。 らーめん弁慶 らーめん香月 土佐っ子ラーメン いずれも、この場所から派生した“思想の継承者”たちだ。 ホープ軒は、ただの人気店ではない。 東京の夜と共に進化し、文化として根付いた“機能するラーメン”。 その一杯には、時代を支えた人々の体温が、確かに宿っている。 ご馳走様でした。 #ラーメン #歴史

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ジャグ爺🐰
ジャグ爺🐰@EYnkaY7zbU8esGL·
@redcentx ですよね😂もう30年くらいご無沙汰なのでラーメン舌の肥えた現在食べたらどんな印象を抱くのか久しぶりに食べてみたいです。当時はラーメン屋さんで食べるラーメンってホープ軒のラーメンだけだったので😂
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ジャグ爺🐰
ジャグ爺🐰@EYnkaY7zbU8esGL·
まだ若い頃、国立競技場での仕事の時は昼ご飯はホープ軒がお決まりでした😂(すぐ近くだったので) 🍜に背脂がかかってるラーメンを初めて食べたのがホープ軒🍜 今は食べられないかな~😓
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ホープ軒 千駄ヶ谷 ラーメン 東京に、背脂という“救い”を。 1960年。若干20歳の牛久保英昭が屋台を引き、ラーメンを売り始めたのがすべての起点だった。 当初はあくまでシンプルな醤油ラーメン。しかし、夜を走り続けるタクシー運転手や、締切に追われるマスコミ関係者――“眠らない人々”の胃袋に応えるため、その一杯は進化を遂げる。 背脂を浮かせ、コクを重ね、力強く。こうして現在に連なる“東京豚骨醤油”の輪郭が形作られていった。 やがて1975年。屋台文化の延長線上に、千駄ヶ谷の地で実店舗として結実する。 雑踏の中に屹立するそのビルは、単なる店舗ではない。東京ラーメン史の転換点、そのものだ。 一口すすれば、まず感じるのは背脂の甘みと熱量。だが決して粗暴ではない。醤油ダレのキレが全体を引き締め、自家製の中太麺がその旨味を余すことなく受け止める。そして卓上には山のように積まれたネギ――入れ放題という“自由”が、この一杯にさらなる個性を与える。 “背脂チャッチャ系”という言葉が一般化する遥か以前、その原型はここにあった。 そしてその系譜は、千駄ヶ谷から各地へと広がっていく。 らーめん弁慶 らーめん香月 土佐っ子ラーメン いずれも、この場所から派生した“思想の継承者”たちだ。 ホープ軒は、ただの人気店ではない。 東京の夜と共に進化し、文化として根付いた“機能するラーメン”。 その一杯には、時代を支えた人々の体温が、確かに宿っている。 ご馳走様でした。 #ラーメン #歴史

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ジャンフジ
ジャンフジ@t0K89B7uTsp7UTR·
国立での試合前や試合後によく行ってたなあ。国立での試合とセットでたくさんの思い出がある店。
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たかちゃん
たかちゃん@KcvdIAzgVGb0wbn·
@redcentx 最近はかなり並ばないと食べられないですね~🍜 ナイター終わっても長い列見かけました。 昔は3、4人待ったぐらいな気がしましたので。
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