Mr. HB
1.4K posts

Mr. HB
@USHist_English
1970-80年代アメリカ史を専門としています。英語圏の日本史もやってます。最近は英語圏の清朝史にも関心あります。

@USHist_English Most US south slaves were owned by jews, like the Monsanto family





聖書は明確にこれをやる事は禁じてるんだけど、(ヤハウェは礼拝のための神殿建設すら好まなかった) 残念ながらMAGAになるような牧師は聖書を体系的には理解せず、恣意的な解釈でちょい読みしかやらないから、なぜこの行為が批判されるのかが分からないみたいだね。 反知性主義も大概にしないとね。

そのあと弁護士の親が乗り込んできます(実話) 夜に研究室に一人でいる時にやられたときは、わたし今日ここで死ぬんだな…と思ったし、F(不可)をつけるたびに銃乱射の可能性がよぎります

「文系不要論」「文系は科学ではない」という理系からの批判は1990年代に、他の学術専門BBSでも散々出てきました。 Twitterなどない時代に、同様の炎上がなん度もありました。 2001年に、文科省が学術分科会で、「人文学(Humanities)」とは何か」という定義と議論を始め,サイエンスではないが、必要な学問としてその意義を認め,応用をしています。これは、医学に倫理学が必要とされて、医学部に倫理学ポストが設置された時期と重なります。 その後、「人文学不要論」としてまた似たような攻撃が、起こってますが、もう、関係者の間では、何周も周回遅れの議論の繰り返しでうんざりしています。 今の所の結論は出ています。「時間と空間に縛られた」人間という存在である限り、人間の行為や思想を定型化、数式化することに恒久的な意味はありません。時代が変われば、解釈も変わります。 歴史家の中には、歴史の捉え方を科学的に擬似相似形に例えようと試みた人もいます。[ジョン・ルイス ギャディス等『歴史の風景: 歴史家はどのように過去を描くのか』2004] この「文理の論争」の経緯すら、20世紀末の日本の歴史の記録の一つの素材となっています。さらに後、これはどういう議論だったのか、解釈する人がでるでしょう。私としては、学術に資金を出さない社会/政府の問題が背景にあると思ってます。 いずれにしろ、「エビデンスがー」とか「再現性が」とかいう、「人文学」批判は、それ以降も何回も起こっています。 観察するところ、 人文学に価値を見出さない人は、 1.相手を侮辱して「勝った」気になっている/なりたい。 2.「権威」というものを過剰評価しているので、それに自らを不遇と感じているので、相手もそうだろうと思っている。 3.使い古された論議で、人文学の方では、飽きている/呆れているので、まともに相手する気がなくなっている。 4.以上に述べた過去のさまざまな議論を踏まえている人からの知見ではない。 5.したがって既読無視の方は文理問わず結構多くなっている。 ということです。 これを25年近く、相手したり、大抵は一方的な誹謗中傷で終わるのを見てくると、もう少し勉強してくるか、ストレスの発散方法を他に見出してくださいwとしかいえません。 さらに煽ってくる方にはしつこいとブロックします。こちらには相手する時間がもったいないです。 以上です。



社会学系の人と協働することがかなり多い人文学者ですが、発想も受けた訓練も研究方法もてんで違うので、あれは全く違う学問分野ですね…


AIが出力した情報を精査するためのスキルの涵養、これが今の高等教育の専門課程で獲得すべきスキルなんじゃないですかね。その獲得のためにAIを使う。使うが過信しない。そういう話なんじゃないですかね。


