


aasha55
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【ULTRA R.I.P】2024/8/9師匠の田名網敬一が88歳で死去されました。大回顧展開幕の儀,葬儀,お別れ会,NANZUKAと共に全ての追悼に関わり言葉を贈りましたが10/28に #DOMMUNE で集大性追悼番組を配信します!また04年に宇川が制作した田名網彫刻が現在国立新美術館に降霊!写真は浅野忠信先生との3ショット! ____________ 師匠は弟子の手によってイコンと化し、聖像として姿を定着させましたが、故人の魂と接触/交信するシャーマニックなウルトラインスタ映えスポットになっておりますので、是非田名網師匠に逢いに行ってSNSで2ショットを世界の側に拡散してあげて下さい。 <美術手帳 2024.10.16:田名網敬一お別れの会、国立新美の回顧展会場で実施> bijutsutecho.com/magazine/news/… 僕がなぜ、田名網敬一の弟子となったかは、 2016年7月15日号の「BRUTUS」に掲載されていますが、改めて再掲しますと、 まず、僕がグラフィックデザインを開始したのは1988年で、その後様々なスタイルに表現領域を拡張しましたが、当時から一度も先人が存在する現場にいたことがなかった。当時のデザイン業界には師弟制度があって、ある特権的な立場の人しか仕事に携わることができなかった。 にも関わらず、僕のデビュー(1988年)と同年にDTP革命が起きる。マッキントッシュが実用化され、デスクトップで完全版下が作れるようになった。つまりDTP第1世代。それ以前はマニュアルが存在せず、現場でじかに師匠の技巧に触れて学び取るよりほかなかった。 でも革命以降、師匠はマニュアルにとって代わられ、アプリケーションそのものが、脳や身体の延長としてデザインをアシストしてくれる時代になった。そして、90年代半ば、QuickTimeが発明されて、絵と音が同期した時間軸を編集できる時代が到来した。 そこで、僕は誰に教わることもなくミュージッククリップをディレクションし、VJシーンを育んだ。そして2010年、ソーシャルメディアの夜が明けて、現在、僕はライブストリーミングを表現の主軸としているし、生成AIを率先して表現に導入している。 つまり、僕の表現領域は新しいテクノロジーを乗りこなし、そしてそれらを裏切って、エクストリームに突き抜けながら、未踏の実験領域にのみに魅了されて成り立っていると言っても過言ではありません。 つまりその現場は実験の最前衛であって、常に先人が存在しないので、師匠もいないし、継承されるべきDNAもない.... とにかく自分は突然変異であり続けていたのです。にもかかわらず僕は元来犬派なので、師弟制度への憧れがあった。 その後も実験の最前衛に魅了されると同時に、芸人の方々の芸歴が導く上下関係や、襲名や世襲のような人間関係に基づいた、爵位や伝統、技術や思想の継承に興味があった。そこで、2011年、43歳の頃、遂に弟子入りを決意しました(笑)。師匠は2人、田名網敬一先生と松本俊夫先生です。 なぜこの2人だったかというと、答えは明白。それぞれの現場で実験を繰り返してきた二大巨頭だから。松本先生は映画と映像の違いも概念化されていなかった50年代から「映像」という思想を伝え広め、実験映像という方法論を推し進めた巨匠。 田名網先生も同じで、商業イラストレーター、デザイナーとして活躍しつつ、60年代の半ばに先陣を切ってアニメーション制作を始めたり、現代アートの世界に切り込みながら独自の地位を確立した。だから、常に実験的な活動をされていたお2人のことは一方的に尊敬し、交流を持たせていただいていた。 直接お会いしたのは、90年代終わり。後から聞いた話だと、松本、田名網両先生も僕に会った時に同胞的な匂いを感じ取ってくださっていたようです。それはきっと、僕の活動に対して“実験”精神を見た、隔世遺伝的なDNAの継承を感じたからだと。そこで、“実験”を軸に直系尊属的に暗黙の師匠と弟子の関係になった。だけどしばらく経って、本当の弟子にしてほしくなり(笑)、弟子認定をもらいに行きました。 それは、松本先生の日芸の最終講義の日。田名網先生も講義を聞きにいらしていたので、まずは聴講席側にいた田名網先生に突然「改めて弟子にしてください」って言いました。いきなり。当時43歳の僕が(笑)。「え?何言ってるの?」って先生に笑われたので、こうお伝えしました。 美術の文脈というのは歴史時間軸で串刺しになっている。だから、アーティストは美術史的批評に常に晒されている。美術史の中で作品が生き続けないと、存在は消えてしまう。逆説的には歴史的なありかが、作品を生かしてもくれる。しかし、グラフィックデザインや映像は、本来、トレンドとテクノロジーに加担している文化だから、消費が前提としてある。 だからこそ僕は、独自的な歴史時間軸形成を欲していたし、遺伝子的な伝統を継承していく道筋と存在=師匠が欲しかった。田名網先生には直接教えは被っていないけれど、その活動と背中を見て勝手にたくさんのことを学ばせていただいたので、リスペクトを込め、そのことをカミングアウトしたかったんです、と。すると、田名網先生は、笑いながら「いいよ」と言ってくださいました(笑)。 松本先生にも講義の後に、「デザインの師匠は、田名網先生が引き受けてくださったので、僕を映像の弟子にしてください」って言ったら「今さら?(笑)」と。結果、弟子認定をしてくださって、いきなり2人の師匠が降臨しました。43歳で..... 当時、僕に湧き起こったこの感情は、そのままインターネットネイティヴの世代に響くと思います。21世紀は、師匠不在ではなく“師弟”のかたちが変わっていく。直接教えを授かるのではなく、様々な現場で学んだ後、先駆的存在を勝手に師と仰ぎ、リスペクトを発露としながら、進んで伝統を継承する師弟関係もありなんだと。 テクノロジーを味方に、最前衛の実験の現場に身を投じる人たちは、その知識や技術を直接伝授する師匠がいないのは当たり前。でも、僕にとっての田名網先生や松本先生のような、生き方や姿勢、佇まいを学べる存在はいるはず。 そして、 2017年4月12日 松本俊夫、85歳で逝去。 2024年8月09日 田名網敬一、88歳で逝去。 僕は、弟子として、今後も田名網イズム、松本イズム、を継承していくつもりです。 <BRUTUS No.828 2016年7月15日号:『一流が育つ仕事場。』> brutus.jp/ukawa-naohiro_…



