とっち
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@dokushodiary 超長編ですよね。
読了スゴイです👍
遅読なのですが、奥田英朗ファンとして、私も読みたい気持ちが湧いてきました。ありがとうございます😄読む💪
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「報連相ができる人がいい」と聞くと、なんだか“まめな人”とか“連絡が早い人”を思い浮かべるかもしれません。
でも本当の意味で大事なのは、「相手の気持ちを想像できる人」なんですよね。
たとえば、帰りが遅くなるときに「今日は遅くなるね」と一言伝える。
それって単なる連絡じゃなくて「きっと心配してるかも」「もしかしたら待ってるかも」という思いやりの表現。
つまり、“報連相”とは、情報の共有というより“気持ちの共有”なんです。
恋愛って、すれ違いが起きるときほど“想像力の欠如”から始まります。
「言わなくてもわかるでしょ」「忙しいのくらい察してよ」
そう思った瞬間から、関係に小さな距離が生まれるもの。
でも、“ちょっとした気づかい”を積み重ねられる人は、その距離を広げない。
「一言だけでも伝えておこう」
その心が、信頼をつくっていく。
報連相って、堅苦しいルールではありません。
恋人同士なら、もっとやわらかくていい。
「今こんなことがあったんだ」「今日は疲れた〜」
そんな日常の共有が、“安心”に変わります。
相手の立場に立って「この一言があったら嬉しいかな?」と考えられる人は、自然と相手の心を軽くできる人。
逆に、何も言わない人は、相手に余計な不安を与えてしまうもの。
「どうしたんだろう」「怒ってるのかな」って、何もないのに相手の心をざわつかせることになる。
恋愛において沈黙は、時に優しさよりも残酷なんですよね。
だから、「報連相ができる人がいい」というのは“まめに連絡してくれる人がいい”という話ではなく“あなたを思いやる感性を持っている人がいい”ということ。
たとえ短いメッセージでも、そこに「あなたを気にかけてる」という温度があるなら、それだけで心はちゃんとつながります。
恋人関係を長く穏やかに続ける秘訣は、連絡の多さではなく、「伝える優しさ」を持っているかどうか。
“相手を想う報連相”ができる人は、どんな日常も穏やかに育てていける人なんですよね。
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@tsubushiro_2 本当に素晴らしい文章!
そうなのそうなのその通り、と思いながら読み進めました😂
言語化していただき、ありがとうございます👏
久保田利伸最高最強です🎵
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久保田利伸のすごさって、40年追ってきた人に対して軽く語れるものじゃないけど、あえて本気で言葉にすると、やっぱり「歌がうまい」では全然足りないんだと思う。
まず一番大きいのは、“技術が前に出すぎない”こと。
実際にはとんでもなく高度なことをやってる。音程、リズム、フェイク、地声と裏声のつなぎ、言葉の置き方、どれを取っても一流どころじゃなくて別格。
でも、そのすごさを「どうだ、うまいだろう」で見せない。あくまで音楽の気持ちよさ、曲の世界、感情の流れの中に全部溶かしてくる。
だから聴いてる側は、理屈より先に“気持ちいい”とか“刺さる”とか“泣ける”で受け取ってしまう。ここが本当にすごい。
いわゆる歌唱力だけで成立してる人じゃない。
本質は“グルーヴの人”なんだと思う。
日本のシンガーで、あそこまで自然にブラックミュージックの体温、ノリ、間、揺れを自分のものとして鳴らせる人は本当に少ない。
ただ洋楽が好きで影響を受けました、ではなくて、身体の中にちゃんとソウルやR&Bが入っていて、それが日本語の歌として成立している。
ここが唯一無二なところだと思う。
海外っぽいのに借り物じゃない。黒っぽいのにわざとらしくない。しゃれてるのに冷たくない。
この絶妙なバランス感覚は、やっぱり久保田利伸にしか出せない。
あと、ファン歴が長い人ほど分かると思うけど、この人は“ヒット曲の人”で終わらない。
もちろん「Missing」「流星のサドル」「You were mine」「LA・LA・LA LOVE SONG」みたいな代表曲の強さは圧倒的。
でも本当にすごいのは、その時代ごとの曲にちゃんとその時代の空気、その時の自分、その時の声が入っていること。
つまり、昔の曲を聴いても懐メロになり切らない。
その曲に、その時代の久保田利伸の呼吸がちゃんと残っているから。
しかもライブで歌うと、昔の曲なのに“今の曲”として立ち上がる。
これは名曲だからだけじゃなくて、歌い手自身がずっと進化してるからできることだと思う。
さらに言うと、“声そのものに人生が乗る人”だと思う。
若い頃の鋭さ、色気、跳ねる感じもすごいけど、年齢を重ねてからの深み、余白、少し滲む感じ、力で押し切らない凄みがまたすごい。
昔より衰えた、ではなくて、表現の重心が変わってる。
だから同じ曲でも、昔は若さや勢いで来ていたものが、今は経験や余韻や静けさで届く。
その変化を40年見られるって、ファンにとってものすごく贅沢なことだと思う。
ライブも本当に特別。
単に歌うまい人のコンサートではなくて、1本のライブとしての完成度が高い。
セトリの流れ、テンションの上げ方、緩め方、聴かせ方、最後の着地まで、全部に意味がある。
盛り上げるだけで終わらず、最後にちゃんと余韻を置いて帰らせる。
あれはもうエンタメというより“作品”なんだと思う。
特に最後の一曲で会場の空気を全部持っていって、終わった瞬間に静寂が生まれるようなライブは、誰でもできるものじゃない。
歌唱力だけでも無理だし、人気だけでも無理。
長年積み上げてきた信頼と表現力があるからこそ、観客がその一音一音をちゃんと受け取ろうとする。
あの空気自体が、久保田利伸というアーティストの格なんだと思う。
それと、照明や演出まで含めて“久保田利伸の音楽”になっているのも大きい。
派手に見せるための照明じゃなくて、曲の感情を可視化するための照明になっている。
シルエット、暗さ、広がり、色温度、そういうものが全部、歌の邪魔をせずに歌を深くしている。
つまり、歌が中心にあって、演出がその歌をより立体的にしている。
ここも本当に大人のライブだと思う。
あと、ファン歴40年の人に送るなら絶対に言いたいのは、久保田利伸って“ずっと久保田利伸であり続けてる”こと自体がすごい。
流行に寄りすぎず、でも古くもならず、自分の核を持ったまま走り続けてる。
時代に媚びないのに時代から置いていかれない。
これって簡単そうで、実は一番難しい。
多くのアーティストは、変わりすぎるか、変わらなすぎるかのどちらかに寄るけど、久保田利伸はその間をずっと高いレベルで歩いてる。
だから昔からのファンほど、ただ懐かしいんじゃなくて、今もちゃんとかっこいいと思えるんだと思う。
久保田利伸のすごさって、一つに絞れない。
歌唱力、グルーヴ、楽曲、声、色気、ライブ、演出、存在感、その全部が高いレベルでそろっている。
でもその全部をまとめて一言で言うなら、
「久保田利伸は、歌を聴かせる人じゃなくて、人生のある時期の感情そのものを音楽にして残せる人」
なんだと思う。
だから40年ファンでいる人は、曲を聴いているというより、きっとその時代その時代の自分まで一緒に聴いてるんだと思う。
そこまで深く人生に入ってくるアーティストって、本当に少ない。
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