ぱぴるす@思考置き場
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ぱぴるす@思考置き場
@2025Pasca1
✏️紆余曲折ありながらも自走ときどき伴走にて2025中学受験終了🌾→雑多へ🔖時と場合によりISFP冒険家又はINFJ 提唱者📚頑張る子どもたちに幸あれ🙌🏻❤︎有益なことはつぶやきません🧩文体不一致の人🪼常に揺らいでいます🚪開けたり閉じたり

医者のほうが生活保護や精神疾患の方に厳しいのもこの理由だと思ってる。 医者は基本的に「強いカードを配られた人」だし元々同じ境遇の人が周りに多い。 働き始めてから弱いカードを配られた人に出会っても「努力不足」と考えてしまう。 正直に言うと自分も精神科医になるまではそう思っていた節があった。 けれど今は本当に努力とか工夫ではどうにもならないこともある、って知れたから精神科医になってよかったと思ってる。

個人的にびっくりした話。長男が歴史にハマって学校の図書館で講談社と小学館の同じ時代の歴史マンガを借りてきて見比べてるんだが、「長篠の戦いで手縄銃を使うんだけど球を仕込むのに30秒かかるから工夫が必要で、

以前もポストしたと思うんだけどね。 大人になっても、小学生の頃のままの“純度の高い倫理観”を持ってる人っているのよ。 その純度の高い倫理観って、世界が自分の正しさに合わせて動く前提なんだよね。 本来ね、大人になって倫理観が成熟すると、倫理観とは、他人を裁くためのものではなく、まず自分を律するための軸だとわかってくるのよ。 だから、「私はこうありたい」「私はこれはしない」 「私はここで線を引く」って自分に向けるものになる。 でも未成熟な倫理観のままだと、 「普通こうするべき」 「人としておかしい」 って他人に向くのよ。 つまり、倫理観の顔をした支配になるのね。 本当に成熟した倫理観って、決して声が大きい正義じゃなくて、自分の欲望や怒りや被害者意識を、どこまで自分で引き受けられるかなんだと思うよ。

以前もポストしたと思うんだけどね。 大人になっても、小学生の頃のままの“純度の高い倫理観”を持ってる人っているのよ。 その純度の高い倫理観って、世界が自分の正しさに合わせて動く前提なんだよね。 本来ね、大人になって倫理観が成熟すると、倫理観とは、他人を裁くためのものではなく、まず自分を律するための軸だとわかってくるのよ。 だから、「私はこうありたい」「私はこれはしない」 「私はここで線を引く」って自分に向けるものになる。 でも未成熟な倫理観のままだと、 「普通こうするべき」 「人としておかしい」 って他人に向くのよ。 つまり、倫理観の顔をした支配になるのね。 本当に成熟した倫理観って、決して声が大きい正義じゃなくて、自分の欲望や怒りや被害者意識を、どこまで自分で引き受けられるかなんだと思うよ。


俺の母親は専業主婦だった 母親はありえないほど社会性が低い 親戚など他の大人と交流すると、母親の社会性の低さが目立ち、子供ながらに 「なんで失礼なことを言ってしまうんだろう」 「なんで気が利かないんだろう」 と思っていた 小学4年生くらいからは、母親のことをバカだと思って、言うことをまったく聞かなくなった 今振り返ってもそれは正解だったと思う (育ててもらったことには感謝してるし、母親としては尊敬してる) 恐らく、父親と母親が結婚した当時は、お互い社会人として社会性があったんだろう ただ、専業主婦になり、社会から離れ、家の中で生活が完結するようになってしまったが故に、社会性が徐々に失われていった 人間って使わない能力は、どんどん失われてくいからな




