4ニャン
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【拡散希望 迷子捜索】 4月19日、福島県田村市大越駅付近の住宅から脱走 セーブルホワイト:オス 連絡先:090-4949-2869 吉井 #シェルティ #迷子犬

誕生日の練習でおめかししてみたら “今日が誕生日です”みたいな顔してる🎀🤍 本番が楽しみすぎる…🐾 #猫 #猫のいる暮らし #猫好きさんと繋がりたい

動物は、人のようには後悔しない。 自分の一生を振り返って 「あの時こうしていれば」と考えているかどうかは、はっきりしていません。 少なくとも、人と同じ意味では語れない、という程度の話です。 それでも、現場で見えてくるものがあります。 動物は 「別の選択をしていた自分」を想像して 立ち止まることが、ほとんどない。 あるのは、その時の状態と、環境。 食べられるなら食べる。 無理なら、やめる。 近くにいたいなら寄ってくるし、 離れたいなら、離れる。 それ以上でも、それ以下でもない。 看取りの場にいると、 この“揺れの少なさ”は、よく見えてきます。 弱っていく身体の中でも、 動物は最後まで いまの自分にできる範囲で どう過ごすかを選び続ける。 ある個体は、最後まで食べようとする。 ある個体は、静かに水だけを選ぶ。 そして、ある日を境に、どちらもやめる。 それは、 身体の変化として起きていることです。 その隣で 人は、少し違う動きをします。 「もっとできたかもしれない」 「これでよかったのか」 触れている時間が、減っていくほど 触れられなかった時間が、増えていく。 でも その時間には もう、触れることができない。 動物の側にあるのは その時、その場所で過ごした時間だけです。 良かったかどうかではなく、 どう過ごしたか。 撫でた回数でも、 与えた量でもなくて そこにいた、という事実だけが残る。 看取りは 命が終わる瞬間を見る時間ではなくて それまでにあった時間を 受け取り直すような時間でもあります。 最後の一日だけを切り取れば、 足りなかったことはいくらでも見つかる。 でも その一日だけで 関係が決まることは、ほとんどない。 動物は 与えられた時間を そのまま使い切る。 そして 一緒にいた時間の中で 受け取ったものだけを持って、離れていく。 残される側だけが 手の中にあったはずの時間を あとから探し続ける。 でも 探しているもののほとんどは もうどこにもないのではなくて 最初から 「今」にしか置かれていなかったものです。 だから もし、まだ隣にいるなら 特別なことをしなくていい。 少し長く触る。 少しだけ、目を合わせる。 それで十分なことが、多い。 最後に残るのは やらなかったことの数ではなく 確かにそこにあった時間の感触です。



















