RYU.T.ANDELSEN
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根津神社。文京区根津。 東京十社。数多くの重要文化財を有する神社。古くは「根津権現」と称されました。 4月1日-4月30日まで「文京つつじまつり」を開催。期間中は「つつじまつり限定切り絵御朱印」を頂けます。数量限定でなくなり次第終了。今年は片面サイズの切り絵御朱印です。 今年は開花が遅かったようですが見頃は例年と同じくらいのタイミング。現在早咲き中咲きなど多くの品種が見頃になっています。今週が良いタイミングがもしれません。美しいつつじの数々。 毎年この時期に参拝していますが今年のつつじはまずまずの咲き。年によって差が結構あるのでそれも毎年の楽しみです。 ※あとで雰囲気が伝わる動画も作って載せておきます。 今年からつつじ苑の入苑寄進金が変動式になっています。500-1,000円の間で変動。見頃や混雑状況によって変わるようです。本日は800円でした。今週末は1,000円になるかも? 今年もキッチンカーや露店も出ています。つつじ苑からは完成した森鴎外旧居も少し見えていますが昨年は移築工事中だったので景色が変わっています。森鴎外旧居も中に入れるようになったので(有料)そちらは別postで詳細を書きます。(最高でした) 朝イチで参拝しましたのでまだそこまで混雑していなかったものの時間が経つにつれて大混雑に。外国人観光客の数もかなり多く人気の観光スポットになっているようです。今週末はかなりの人出が予想されます。 国の重要文化財たっぷりの境内。千本鳥居、完成した森鴎外旧居、そして見頃のつつじと最高に楽しめます。 そんな根津神社は1900年余前に日本武尊(やまとたけるのみこと)によって千駄木に創建したと伝わる古社です。 今の姿になったのは江戸時代のこと。 宝永元年(1704)、第五代将軍・徳川綱吉が徳川綱豊(後の第六代将軍・家宣)を跡継ぎに定めます。将軍世嗣となった綱豊は綱吉の養子となり家宣と改名。江戸城西の丸に入城しました。 宝永二年(1705)、当社が家宣の産土神であった事から、家宣が住んでいて生誕地でもあった江戸屋敷(旧甲府藩邸)を当社に寄進。綱吉の命によって社殿など境内造営が行われました。 江戸幕府が全国の諸大名に命令し行わせた土木工事、いわゆる天下普請(てんかぶしん)というやつです。これにより現在地への遷座と共に500石もの朱印地を賜り幕府より大いに庇護される事に。 この時の建造物がかなり現存しているのが特徴です。本殿・幣殿・拝殿・唐門・西門・楼門・透塀が現存。大変貴重な文化財で昭和六年(1931)には国宝(現在の重要文化財)に指定。現在も国指定の重要文化財となっています。 神仏習合の歴史をそのまま伝える社殿などの建造物。至る所に「卍(まんじ)」が残っていますので注目して見て下さい。卍は仏教で用いられる吉祥の印。現在の日本では仏教を象徴する記号としてよく知られます。神仏習合の時代ならではです。 当社の境内社の乙女稲荷は千本稲荷も美しい撮影スポットとしても人気ですが、この千本鳥居の途中に徳川家宣胞衣塚(えなづか)があります。第六代将軍・徳川家宣の生誕地であるため家宣の胞衣(えな)が納められた塚です。※胞衣(えな)とは胎児を包んだ膜と胎盤の事です。 大いに栄えた根津権現の門前には根津門前町と呼ばれた当社の門前町が出来ていました。実はこちらには多くの岡場所(幕府非公認の遊郭)があった時代も。これらは天下普請で当社の境内整備をするために多くの職人が集まったため、それを相手するための酒屋、そして私娼が集まった事が原因と見られています。 その後天保の改革によって禁止され新吉原に移されたものの、実際の営業は続いていたとか。幕末には正式な根津遊郭として許可される事に。※明治に東京大学が当地周辺に移転してきたことに伴い根津遊郭は廃止されています。 明治になると森鴎外や夏目漱石などの文豪や落語家など数々の著名人にも愛されその作品や噺などにも「根津権現」としてよく登場するなど文化人に愛された神社です。そうした経緯があるため森鴎外旧居が当社に移築される事にもなり昨年完成しました。 都内屈指の江戸時代の風景を残しつつ美しい神社。ぜひ参拝してみてください。 #御朱印 #限定御朱印
























































