


イタリア降伏後に同国海軍から鹵獲した魚雷艇(MAS, MS)で編成された24.S-FlottilleのS621型Sボート どの艇か不明だが側面に潜水艦と水兵らしきイラストが描かれている
🕊️𐒅𐒡
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@DKMWWII
🧐1930-1940年代のKriegsmarine(旧ドイツ海軍)に関係する古写真を紹介しています。ウォーターマーク入り画像は私個人の蒐集品をスキャンしたもので、Web等からの拾い画ではありません。元の写真の変色や傷、露出の偏りや傾き等は随意に補正してあります。 🫖お茶好き🍵



イタリア降伏後に同国海軍から鹵獲した魚雷艇(MAS, MS)で編成された24.S-FlottilleのS621型Sボート どの艇か不明だが側面に潜水艦と水兵らしきイラストが描かれている


ツォポット、1941年4月29日 海軍視察団が滞在するホテルで20時から開かれた天長節の祝宴で挨拶する団長の野村海軍中将



1943年頃のブダペスト、ドナウ川を燃料節約の為曳船に繋がれて進む3.R-FlottilleのRボートがハンガリーの国会議事堂に差し掛かる。




ジェノヴァにて、イタリアの未成空母Aquilaを背景に憩う水雷艇TA32の乗組員たち 一人はイタリア軍の迷彩生地を利用して製作されたトラウザーズを履いている


@DKMWWII これは興味深い写真を拝見しました! 何より帝國海軍で言う「短艇敷物」らしきものが見えるのが面白いです。ありがとうございました。

【戦車に撃沈された駆逐艦の話】 ドイツのティーガー重戦車の伝説の一つとして、「シチリア島で駆逐艦と撃ち合った」というものがあります。 実際は上陸用舟艇を攻撃しようとしたところ、駆逐艦が出てきて(その後には軽巡も来て)撤退したという感じみたいですね。 ティーガーの8.8cm砲が陸戦でいかに強力でも、水上艦艇に対しては駆逐艦に対してすら、砲の口径、射程、門数や照準能力が違うから太刀打ちできない、そもそも土俵が違う……という話です。 ところが、実際に戦車に撃沈された(とも言える)駆逐艦(?)があったんです。 それが、ドイツ海軍のTA11水雷艇。 この艦は元々フランス海軍のラ・メルポメーヌ級水雷艇「リフィジェニー」で、1942年12月8日にチュニジアのビゼルトでドイツ海軍に接収されました。 その後、イタリア海軍に移管されてFR.43に改名、1943年4月5日には再びドイツ海軍に戻されてSG48哨戒艇として再就役し、同年5月15日に水雷艇に転籍されてTA11となりました。 このような艦歴をたどったTA11は、1943年9月10日、姉妹艦のTA9とともに、イタリアのピオンビーノを訪れます。 ピオンビーノはイタリア半島西岸、エルバ島の向かいにある海上交通路の要衝。 9月8日のイタリア降伏後、ドイツ軍は北イタリアのイタリア軍を武装解除する「アクセ」作戦を実行しており、ピオンビーノにも部隊を送り込みます。 TA9とTA11はドイツ軍歩兵を乗せた輸送船を護衛してピオンビーノに入港したのです。 ところが、駐留していたイタリア軍の一部は同市を明け渡すのを良しとせず、武装した民間人を含め、ドイツ軍に抵抗します。 10日夜、イタリア戦車部隊(一説にはM15/42中戦車と自走砲)と地上砲台が、港に停泊していたTA9とTA11を攻撃。 TA11は機関を損傷した後、イタリアのMAS魚雷艇にとどめを刺されて、11日朝に沈没してしまいました。 これがTA11が「戦車に撃沈された」経緯です。 最後はMAS魚雷艇の戦果ですが、戦車(など)の攻撃で機関を損傷させているので、共同での撃沈戦果と言ってもいいのではないでしょうか。


エッカーンフェルデ、1941年4月7日 ドイツ海軍の魚雷実験所(TVA Eckernförde)にて 魚雷総監クメッツ(Oskar Kummetz)少将と共に施設を回る野村直邦 中将 2枚目は頼惇吾 造兵大佐(後に呉工廠魚雷実験部長)と海軍監督官の奥明 造兵中佐(眼鏡姿)