
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)
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Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)
@DataAnalyst1309
未解決事件| 忘れられた事件を発掘 📇 理不尽な出来事や声にならない話があれば、 DMで共有してください。 確認できる範囲で紹介することがあります。




「環境と電気をつなぐ仕事がしたい」 入社時、そう語っていた。 初めての海外赴任。 コロナで事前研修はなかった。 亡くなる前の1ヶ月の残業は149時間。 上司に繰り返し叱責された。 5月に帰れるはずだった。7月まで延長された。 2021年4月30日午後2時20分。 タイの工場、高さ30メートル。 27歳の優貴さんは 帰れなかった。 2021年4月、タイ・ラヨーン県。 「日立造船技術者タイ出張過労自死事件」。 上田優貴さんは1993年生まれ。大学院で電気工学を学び、2018年4月に日立造船株式会社(現・カナデビア)に入社した。入社時は「環境と電気をつなぐ仕事をしたい」と将来の希望を語っていた。2021年1月、タイのラヨーンのごみ焼却施設プラントの電気設備を立ち上げるため、初めて海外赴任した。コロナによる隔離期間後、同年2月5日から電気設備関係の業務に従事した。 優貴さんはどんな人だったのか。 母親の直美さんは記者会見で語った。 「従業員一人一人に大切な家族がいる。労災認定を受けて、会社としての姿勢を聞きたい」 大学院まで進んだ努力家だった。 環境問題と電気工学を結びつける仕事に夢を持っていた27歳だった。 何が起きたのか。 初めての海外勤務だったが、コロナの影響で事前の現地研修がなかった。不慣れな業務でミスをしてしまい、上司から厳しく叱責されることが何度もあった。亡くなる直前、出張期間の7月までの延長が決定していた。 亡くなる前の1ヶ月の時間外労働は149時間に上っていた。 初めての海外。 コロナで研修なし。 月149時間の残業。 上司に繰り返し叱責された。 5月に帰れるはずが、7月まで延長された。 2021年4月30日午後2時20分ごろ、現場工場の高さ30メートルの柵を自ら乗り越えて飛び降り自死した。享年27歳だった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 遺族側の要望を受けて会社が設置した第三者委員会は2023年11月、「時間外労働の急激な増加で疲労が蓄積し、心理的負担が積み重なった」とする調査報告書をまとめた。しかしタイ警察が死因を特定しなかったことを踏まえ、「自殺か事故死かは認定できない」とした。 「疲労が蓄積した」と認めた。 それでも「自殺か事故死か認定できない」と言った。 大阪南労働基準監督署は「海外での不慣れな仕事を担当していたことや、上司からの厳しい指導などが心理的に大きな負担となり精神疾患を発症し、自殺をした」として労災を認定した。 労基署は「自殺」と認定した。 会社の第三者委は「認定できない」と言った。 🔴 労災認定と現在 2023年4月、遺族は労災を申請。大阪南労働基準監督署は労災を認定した。会社への民事訴訟は現在も進行中。 コロナ禍で研修なしに海外に送った。 月149時間働かせた。 帰国を延期した。 上司が繰り返し叱責した。 「疲労が蓄積した」と認めた。 それでも「自殺か事故死か認定できない」と言った。 27歳が帰ってこなかった。 「環境と電気をつなぐ仕事がしたい」と言った青年は タイの工場で30メートル落ちて死んだ。 海外に社員を送る会社に、安全配慮義務はあるのか。 コロナで研修なしに送り出した責任を、誰が負うのか。 あなたは、コロナで研修なし・月149時間残業・出張延長・繰り返しの叱責。 それでも「認定できない」と言った会社に、何を思いますか。









子どもたちの支えになりたくて 大学院まで進んだ。 臨床心理士の資格を持つ27歳が、子ども・家庭相談員として採用された。 入職してわずか9ヶ月で、重度のうつ病と診断された。 退職し、治療を続けながら別の職場に再就職した。 しかし2015年5月21日、27歳の佳奈さんは死んだ。 労災を申請しようとした両親に、市は言った。 「非常勤だから申請できません」 2015年5月、福岡県北九州市。 「北九州市非常勤職員パワハラ自殺事件」。 森下佳奈さんは大学院で臨床心理士の専門課程を修了後、困難を有する子どもたちの支えになりたいと北九州市戸畑区の家庭児童相談センターに非常勤相談員として就職した(2012年4月)。入職して間もない時期から上司による執拗なパワハラに遭い、2013年1月に重度のうつ病と診断され、同年3月31日に退職した。 その後、同市教育委員会の特別支援教育相談センターに嘱託職員として勤務しながら治療を続けていたものの、2015年5月21日、自死するに至った。 佳奈さんはどんな人だったのか。 大学院まで進み、臨床心理士の資格を取った。子どもたちの力になりたいという思いで公務員の道を選んだ。夢を持ち、真面目に生きた27歳だった。 何が起きたのか。 佳奈さんはパワハラ被害に加えて、新人が対応するには難しい相談者を任された。助けを必要としていながら上司に相談できず、むしろ追い込まれるようなことを言われてますます追い詰められた。 非正規の立場で、上司の評価が低いと契約を更新してもらえないのではないか、生活できなくなるのではないかといった不安も大きかった。 相談できなかった。 相談すれば契約を切られる恐怖があった。 入職9ヶ月で重度のうつ病になった。 退職した。治療しながら別の職場で働いた。 それでも死んだ。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 両親が2016年8月、公務災害の遺族補償手続きを市に問い合わせたところ、「本人や遺族による請求は認められていない」と回答された。 市の条例は非常勤職員本人や遺族による公務災害の認定請求について規定しておらず、申請そのものを門前払いした。 娘がパワハラで死んだ。 市の答えは「申請できません」だった。 「上司にしてみればパワハラなどがあっても、問題化する前に契約を切ればいい。このため管理職にも、非正規を含めた職場全体をマネジメントしようという意識が働かない」と専門家は指摘した。 問題が起きる前に契約を切ればいい。 非常勤という立場が沈黙を強いた。 🔴 判決 両親は市に約160万円の損害賠償を求めて福岡地裁に提訴した。2019年4月19日、福岡地裁は請求を棄却。「当時の条例に違法性はなく、市の職員の対応も誤りはない」とした。 控訴審でも2019年12月23日、福岡高裁は一審判決を支持し、遺族の訴えを退けた。 一審も負けた。 高裁も負けた。 パワハラは認定されなかった。 労災申請すらできなかった。 裁判でも認められなかった。 子どもたちの支えになりたかった27歳が、パワハラを受けた末に重度のうつ病になり死んだ。 市は「申請できません」と言った。 裁判所は「条例に違法性はない」と言った。 非常勤だから申請できない。 非常勤だから守られない。 遺族は申請すらできなかった。 この国の「非常勤」という言葉は、命の重さを変えるのか。 あなたは、パワハラで死んだ非常勤職員の遺族が労災申請すら門前払いされ、裁判でも全敗したこの事件に、何を思いますか。





夢を持ってトヨタに入社した。 世界一の会社で働くことが誇りだった。 しかし変則勤務が続いた。 月144時間の残業が続いた。 深夜1時に帰宅し、翌朝6時25分に出勤した。 2002年2月9日、30歳の内野健一さんは堤工場で倒れ、死んだ。 愛知県豊田市。 「トヨタ自動車堤工場社員過労死事件」。 内野健一さんは1989年4月、高校卒業後すぐにトヨタ自動車に入社した。豊田市内の堤工場でカムリ・ウィンダムの車体品質検査を担当していた。子どもの頃から車が好きで、世界トップのトヨタ本社で正社員として働くことに非常な誇りを持っていた。 健一さんはどんな人だったのか。 いつもニコニコした優しい人で、疲れているのに家事もよく手伝い、子どもの面倒もよく見ていた。妻の博子さんとの間には当時3歳と1歳の子どもがいた。 何が起きたのか。 トヨタの「連続二交代制(連二)」の勤務体制。一直は午前6時25分から午後3時15分、二直は午後4時10分から深夜1時まで。これが1週間交代で続いた。 深夜1時に帰宅する。 翌朝6時25分に出勤する。 睡眠は5時間しかとれなかった。 亡くなる最後の1ヶ月間の残業時間は144時間に達した。2002年2月9日早朝、博子さんは突然の知らせを受けた。 「あまりにも突然の知らせでした。病気もしなかった夫がなぜ……。過労による致死性不整脈で死んでしまったのです」 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 会社は何をしていたのか。 全国紙で大きく報道されることはなかった。世界的企業の過労死事件にもかかわらず、多くの人に知られなかった。 世界一の自動車会社の社員が死んだ。 全国紙は大きく報道しなかった。 豊田労働基準監督署は労災申請を却下した。妻の博子さんが審査請求したが、これも却下。2005年7月22日、国を相手取って裁判を起こした。 労基署が「業務外」と言った。 妻が一人で闘い始めた。 🔴 判決 2007年11月30日、名古屋地裁は月144時間の残業を認定。「創意くふう提案活動」などの「自主活動」も業務と認定し、過労死を認める判決を言い渡した。 博子さんは語った。 「夫が亡くなる最後の1ヶ月間は残業時間が144時間にもなる過酷な状況でした。夫は家族のために一生懸命働いたんだ、その頑張りを認めてもらうために私は闘うことにしたのです」 月144時間の残業を認定した。 「自主活動」も業務と認めた。 過労死が確定した。 しかし認定まで5年以上かかった。 その間ずっと妻が一人で闘った。 3歳と1歳の子どもを抱えながら。 月144時間残業させた。 深夜1時に帰らせ、朝6時25分に来させた。 「自主活動」という名の強制業務があった。 労基署は「業務外」と言った。 全国紙は大きく報道しなかった。 世界一の利益を誇るトヨタが、30歳の命の対価を認めるまで5年かかった。 あなたは、月144時間残業させ「業務外」と言い張った会社と、それを大きく報道しなかったマスコミに、何を思いますか。






「死ねばいいのに」 先輩に毎日言われた。 入社わずか2ヶ月目から。 異動を求めた。 会社は動かなかった。 2017年7月、21歳の整備士は死んだ。 北海道、札幌トヨタ自動車。 「札幌トヨタ自動車整備士パワハラ自殺事件」。 石崎来輝さんは2016年4月、自動車販売会社「札幌トヨタ自動車」に入社し、室蘭市内の支店で整備士として働き始めた。入社2ヶ月後の6月ごろから、先輩社員に「死ねばいいのに」などの暴言を繰り返し受けるようになった。適応障害と診断され、別の支店への異動を会社に求めたが、かなわなかった。その後もパワハラが続き、2017年7月に21歳で自殺した。 来輝さんはどんな人だったのか。 夢を持って整備士の道を選んだ。自動車が好きで、手に職をつけようとしていた21歳だった。 何が起きたのか。 入社からわずか2ヶ月後、「死ねばいいのに」という言葉が始まった。適応障害と診断された後も、会社への異動申請は却下された。パワハラは止まらなかった。 医師に適応障害と診断された。 異動を求めた。 却下された。 パワハラは続いた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 一審の札幌地裁はパワハラを認定し会社に賠償を命じたが、自殺との因果関係は否定した。 パワハラは認めた。 死との因果関係は「否定」した。 適応障害になるほどのパワハラを受けた。 異動を却下された。 死んだ。 それでも「因果関係なし」と言った。 父親は諦めなかった。 🔴 和解と結末 父親が約4300万円の損害賠償を求めて提訴した裁判で、会社側はパワハラを自殺の原因と認め、2022年に和解が成立した。 一審は因果関係を否定した。 それでも父親は闘い続けた。 最終的に会社はパワハラと自殺の因果関係を認めた。 父親(45)は記者会見で語った。 「もっと早く対応していれば息子の命は助かったかもしれない。二度と起きてほしくない」 「もっと早く対応していれば」 その言葉がすべてを語っている。 「死ねばいいのに」と言われた。 適応障害になった。 異動を求めた。 却下された。 21歳で死んだ。 会社は最初「因果関係なし」と言った。 父親が闘って、ようやく認めた。 21歳の整備士は死んだ。 しかし、直接「死ねばいいのに」と言った人物への刑事責任は問われなかった。 あなたは、「死ねばいいのに」と言われ続け、異動申請も却下された21歳の死に対し、会社が最初「因果関係なし」と言ったことを、どう思いますか。


「死ねばいいのに」 先輩に毎日言われた。 入社わずか2ヶ月目から。 異動を求めた。 会社は動かなかった。 2017年7月、21歳の整備士は死んだ。 北海道、札幌トヨタ自動車。 「札幌トヨタ自動車整備士パワハラ自殺事件」。 石崎来輝さんは2016年4月、自動車販売会社「札幌トヨタ自動車」に入社し、室蘭市内の支店で整備士として働き始めた。入社2ヶ月後の6月ごろから、先輩社員に「死ねばいいのに」などの暴言を繰り返し受けるようになった。適応障害と診断され、別の支店への異動を会社に求めたが、かなわなかった。その後もパワハラが続き、2017年7月に21歳で自殺した。 来輝さんはどんな人だったのか。 夢を持って整備士の道を選んだ。自動車が好きで、手に職をつけようとしていた21歳だった。 何が起きたのか。 入社からわずか2ヶ月後、「死ねばいいのに」という言葉が始まった。適応障害と診断された後も、会社への異動申請は却下された。パワハラは止まらなかった。 医師に適応障害と診断された。 異動を求めた。 却下された。 パワハラは続いた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 一審の札幌地裁はパワハラを認定し会社に賠償を命じたが、自殺との因果関係は否定した。 パワハラは認めた。 死との因果関係は「否定」した。 適応障害になるほどのパワハラを受けた。 異動を却下された。 死んだ。 それでも「因果関係なし」と言った。 父親は諦めなかった。 🔴 和解と結末 父親が約4300万円の損害賠償を求めて提訴した裁判で、会社側はパワハラを自殺の原因と認め、2022年に和解が成立した。 一審は因果関係を否定した。 それでも父親は闘い続けた。 最終的に会社はパワハラと自殺の因果関係を認めた。 父親(45)は記者会見で語った。 「もっと早く対応していれば息子の命は助かったかもしれない。二度と起きてほしくない」 「もっと早く対応していれば」 その言葉がすべてを語っている。 「死ねばいいのに」と言われた。 適応障害になった。 異動を求めた。 却下された。 21歳で死んだ。 会社は最初「因果関係なし」と言った。 父親が闘って、ようやく認めた。 21歳の整備士は死んだ。 しかし、直接「死ねばいいのに」と言った人物への刑事責任は問われなかった。 あなたは、「死ねばいいのに」と言われ続け、異動申請も却下された21歳の死に対し、会社が最初「因果関係なし」と言ったことを、どう思いますか。





