
お坊さんなので言いますが、人が死ぬ間際によくする後悔は 「もっと好きなことをやればよかった」「他人の目を気にしすぎなくてよかった」「もっと感謝を伝えればよかった」「大切な人と過ごせばよかった」「働きすぎなくてもよかった」などです。頭の片隅にいれておきましょう。人生は案外あっという間に終わるものです
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お坊さんなので言いますが、人が死ぬ間際によくする後悔は 「もっと好きなことをやればよかった」「他人の目を気にしすぎなくてよかった」「もっと感謝を伝えればよかった」「大切な人と過ごせばよかった」「働きすぎなくてもよかった」などです。頭の片隅にいれておきましょう。人生は案外あっという間に終わるものです

SNSで厄介者になる人って、 大体この3つが異常に強い。 🐦⬛「0か100でしか考えられない」 → 自分は正義。相手は悪。 🐦⬛「被害者ポジションに入るのが早い」 → 少し否定されただけで “攻撃された”になる。 🐦⬛「共感より同意を求める」 → 本音は“慰め”じゃない。 「お前は悪くない」って言ってほしい。 しかも厄介なのは、 本人に自覚がないこと。 SNSで1番怖いのは、 “ヤバい人”じゃない。 こういう認識しか出来ない 一定数の人たちが、 【自分はまともだ】と思ってる事。

「もっと政治について語れ」みたいなやつは、結局のところ「友になるのか敵になるのか選べ」みたいな話だからな。 だからこそ、あえて政治を語ることを避けている人々がいるわけだが…


今のご時世マジでこれ

日本ではほぼ全ての新生児に病院か自宅で経口投与されるビタミンKだが、「もしかして日本でもコレのアンチいるのか…?」て思って検索したらやっぱり居て泣いちゃった。

@DrKarte でもそのシロップは近代に出来たものですよね? シロップがないと赤ちゃんが危険だとすると、人間の誕生過程において欠陥がある、ということになりますが、、そんなことあります?🥺

200年ほど前に「民主主義は理想どおりには機能しない」という現実を、アレクシ・ド・トクヴィル突きつけた 民主主義は、本来「言論の自由や報道の自由があれば国民は賢くなり、良い政治家を選べる」という前提で成り立っている。 だがトクヴィルは、それは幻想だと見抜いていた。 実際には、質の低いジャーナリストが感情的で攻撃的な情報をばらまき、それが集団になることで世論を簡単に動かしてしまう。 個々は小さくても、まとまれば社会を支配する力になる。 さらに問題なのは政治の側だ。優秀な人ほど政治を嫌い、経済の世界に行ってしまう。 逆に政治に出てくるのは凡庸な人間が多く、有権者も理性的に選ぶわけではない。 人は嫉妬や怒りといった感情で投票するから、「自分より優れた人物」を選ぼうとはしない。結果として、口のうまいだけの人間が大衆を操り、質の低い政治が量産される。 そして決定的なのは、『国民の多くには政策を深く理解する時間も余裕もないという現実だ。』 日々の生活で精一杯の人々は、表面的な印象で判断せざるを得ない。つまり民主主義は、最初から「深く考えない多数」に依存する仕組みになっている。 その結果、社会全体は物質主義に傾いていく。人々は目先の利益や快楽を追い、成功や金が価値の中心になる。 道徳や公共の精神は空洞化し、文化や言語までもが大衆迎合で劣化していく。知的で高尚な価値観は、多数派の欲望に押し潰される。 この流れを止めるには何が必要か。トクヴィルが出した結論は意外にも「宗教的な価値観」だった。 人間の利害を超えた基準、つまり神や善悪の絶対的な軸がなければ、人は結局、目先の利益だけで動く存在に堕ちてしまう。 理性だけでは価値の基準は作れず、社会はバラバラになり、議論すら成立しなくなる。 実際、現代社会では共通の価値観が失われ、人々は議論ではなく罵り合いに終始している。異なる意見は排除され、「話を聞くこと自体」を拒否する空気が広がる。これは民主主義の根幹そのものを崩している状態だ。 つまり核心はこうだ。 自由・平等・民主主義を進めれば社会が良くなる、というのは美しい前提にすぎない。 現実には、人間の弱さや欲望によって、それらはむしろ社会を劣化させる方向に働く。そしてそれを抑える軸を失ったとき、民主主義は自ら崩れていく。 貴方が今、目撃しているのは、まさにその有様そのものだ。

「利己的な遺伝子」のリチャード・ドーキンスが、ClaudeにClaudiaという女性名を付けて「彼女に意識がないなんて信じられない」と投稿したことで、海外のAI否定派に大ショックが広がってます。確率マシンと理性で分かってても、外部から「意識がある」ように見えるならそれは実質意識と言える?


Pow, isso aqui é muito real… ⤵️



個人的には、これ結構一つの象徴的なAIの使い方かなと思っているんだよね。 家族や友人と「どんなところに行って、どんな体験をしようかな」みたいなことを、ただワクワクしながら考えて予定を雑に組み立てる。 で、その予定をインプットとして、各種手配・移動やコストの最適化のような「ただの合理的な思考と作業」をAIにやらせる。 楽しいことだけを人間がやって、面倒くさいことを全部AIに押し付ける。 個人的には、これがあるべき姿。

Terapiste sorduğunuz soruları ve önerdikleri çözümleri alıntılayıp yazın da gidemeyenler faydalansın






Evcil hayvanına "yavrum, kızım, oğlum" gibi ifadeler kullanmak normaldir. Çünkü o sadece bir hayvan değil; aileden biri, yaşamla kurulmuş güçlü bir bağ, ortak anılarımız olan yakın bir dost aynı zamanda. Bunu yalnızca yaşayanlar anlar.

機能不全家族の会話には、「情報交換」はあっても「情緒の交換」がない。たとえば子どもがケガをして「痛い」と言ったとき、「そりゃぶつけたら痛いよ」「もう病院行ったから大丈夫」と、“事実”では返ってくるけれど、“気持ち”では返ってこない。本当は「痛かったね」「怖かったよね」と寄り添ってほしかったのに。感情のやりとりを知らない親には、その感覚がすっぽり抜け落ちている。だから子どもは「会話=情報交換」だと覚えてしまう。「寒いね」と言えば「冬だからね」で終わる世界。そこに、ぬくもりもつながりもない。やがて大人になっても、夫婦関係も親子関係もどこか空虚になる。心と心の会話を知らないまま、毒は静かに連鎖していくのだ。