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Ken Nannichi
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Ken Nannichi
@Ken_historian
兼業歴史研究者。富山大学ヘルン文庫の創設者の子孫のため、「ばけばけ」関連の投稿が多くなっています
Japan Katılım Mayıs 2009
90 Takip Edilen137 Takipçiler
@ayuko322 八雲の書斎には、「イザベラさん」ことエリザベス=ビスランドさんとマクドナルドさんの2人の写真が飾られていたそうですね。1890年の来日したエリザベスさん。ハーンに日本に行くよう促しすとともに、マクドナルドさんを紹介しました。
日本語
@MaxBoot I bought a copy during my LA visit in Jan 2025: visiting Nixon Library Archives while giving up the Reagan Library amid the great fire. Read it last month in Japan during my Shinkansen commuting between Yokohama and Osaka. Greatly enjoyed!
English
#ばけばけ が終わりましたので史実をまとめて。晩年の小泉八雲の本は海外で不評になっていたということはなく、優れた日本研究者として高い評価を得ていました。このためコーネルやロンドン、スタンフォードなど米英の大学での講義の依頼が舞い込んでいました。「怪談」の書評も、アメリカとイギリスの主要新聞・雑誌をみると好意的です。
ニューヨークとロンドンの文芸界の花形(結婚して記者は引退)として八雲を応援し続けたエリザベス・ビスランドさんは、八雲没後に「ラフカディオ・ハーンの人生と手紙」を出版し、八雲の名声を確固としたものにしました。この中で「怪談」は「子供じみた」シンプルな文体であると書いていますが、シンプルな文体を好意的に評価する文脈での記述で、中身を酷評する意味ではありませんでした。
この時にセツの「思い出の記」のもととなる聞き書きが掲載され、本の印税はセツ夫人に贈られました。エリザベスはさらにハーン書簡集や英語でのハーン全集も出版しています。エリザベスは1911年に初めて小泉家を訪れ、セツ夫人との出会いを喜びました。
エリザベスさんの「人生と手紙」は、日本語の「小泉八雲全集」刊行につながります。編集したのはともに松江から帝大に進んだ「小谷君」こと大谷正信と落合貞三郎や、田部隆次らでした。この全集により初めて日本の一般の人々も八雲の描いたものを読めるようになりました。
帝大時代の弟子たちは、その後の八雲の講義ノートを皆でまとめ、文学論や詩論などとして出版、欧米でも高い評価を受けました。セツの「思い出の記」や長男一雄の「父・小泉八雲」も海外で出版され、評判となっています。
八雲の書斎の蔵書については、田部が親友の西田幾多郎に京都の三校での購入を打診しますが高価でまとまらず、法政大学への売却が決まりかけますが、田部の兄が創設した旧制富山高校が地元の篤志家の支援を得て購入し、いまの「富山大学ヘルン文庫」となりました。第二次世界大戦中には憲兵隊に「敵性語の本だ」と目を付けられそうになりましたが、学生たちが大八車で疎開させて守られました。
第二次世界大戦後は小泉八雲が振り替えられることはあまりなくなりました。今回の「ばけばけ」は、史実と違うところもいろいろありますが、八雲とセツに再び光を当ててくれました。うれしいことでした。
日本語
#ばけばけ が終わりましたので史実をまとめて。晩年の小泉八雲の本は海外で不評になっていたということはなく、優れた日本研究者として高い評価を得ていました。このためコーネルやロンドン、スタンフォードなど米英の大学での講義の依頼が舞い込んでいました。「怪談」の書評も、アメリカとイギリスの主要新聞・雑誌をみると好意的です。
ニューヨークとロンドンの文芸界の花形(結婚して記者は引退)として八雲を応援し続けたエリザベス・ビスランドさんは、八雲没後に「ラフカディオ・ハーンの人生と手紙」を出版し、八雲の名声を確固としたものにしました。この中で「怪談」は「子供じみた」シンプルな文体であると書いていますが、シンプルな文体を好意的に評価する文脈での記述で、中身を酷評する意味ではありませんでした。
この時にセツの「思い出の記」のもととなる聞き書きが掲載され、本の印税はセツ夫人に贈られました。エリザベスはさらにハーン書簡集や英語でのハーン全集も出版しています。エリザベスは1911年に初めて小泉家を訪れ、セツ夫人との出会いを喜びました。
エリザベスさんの「人生と手紙」は、日本語の「小泉八雲全集」刊行につながります。編集したのはともに松江から帝大に進んだ「小谷君」こと大谷正信と落合貞三郎や、田部隆次らでした。この全集により初めて日本の一般の人々も八雲の描いたものを読めるようになりました。
帝大時代の弟子たちは、その後の八雲の講義ノートを皆でまとめ、文学論や詩論などとして出版、欧米でも高い評価を受けました。セツの「思い出の記」や長男一雄の「父・小泉八雲」も海外で出版され、評判となっています。
八雲の書斎の蔵書については、田部が親友の西田幾多郎に京都の三校での購入を打診しますが高価でまとまらず、法政大学への売却が決まりかけますが、田部の兄が創設した旧制富山高校が地元の篤志家の支援を得て購入し、いまの「富山大学ヘルン文庫」となりました。第二次世界大戦中には憲兵隊に「敵性語の本だ」と目を付けられそうになりましたが、学生たちが大八車で疎開させて守られました。
第二次世界大戦後は小泉八雲が振り替えられることはあまりなくなりました。今回の「ばけばけ」は、史実と違うところもいろいろありますが、八雲とセツに再び光を当ててくれました。うれしいことでした。
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#ばけばけ 最終週のイザベラさんと「思い出の記」の関係はやはり残念でした。「怪談」出版当時の米英メディアの書評もいくつか見てみましたが、「子供じみた」という書評は見ないようです(日露戦争でロシアと戦う同盟国だったこともあるでしょうが)。またそもそもハーンの日本関係の本は日本に関する本として高く評価されていて、晩年までコーネル、ロンドン、スタンフォード各大学で講義を行う話が続きました(日本人に帰化したからフィリピンはじめ海外に行けないということはありませんでした)。
もしハーンが酷評されたのだとしたら、それはむしろ日本国内のエリート層です。西洋化にまい進していた日本のエリート層の中にはは、古い日本が素晴らしく新しい日本をよくないと描いて海外に発信するハーンを迷惑に思う人々がいたとされています。
だから八雲とセツにとって恩人であったエリザベス・ビスランドさんをゆがめて、無理やりに「恨めしい」ストーリーを作り出してしまったように見えることが、残念です。ドラマなので架空のストーリーですが、やはり史実に関わるドラマなので。
とはいえ、全体としてはやはり、小泉八雲とセツを全国の皆さんに紹介していただいてうれしかったし、毎朝とても楽しかったです。NHKさん、ありがとうございました。
QHT
#ばけばけ 「怪談」書評。アトランティック・マンスリー誌、1904年7月号。
ハーンは『怪談、あるいは奇妙なものの物語と研究』の中で、繊細で物悲しく美しい日本の怪談を集めている。―それらはすべて、死に対するあの愛すべき見方が優しく浸透しており、その完璧な姿は極東まで行かなければ見つけることができない。そして、東京帝国大学の英文学講師がこれまで何度も素晴らしい例を示してきたように、共感に満ちた洞察と軽妙な言葉遣いで英語に翻訳されている。
怪談の後に続くのは、日本と中国の資料から集められた3つの昆虫研究である。蝶、蚊、そして蟻についてである。最初の研究には、日本の発句、つまり17音節の詩のいくつかの絶妙な英語訳が含まれている。最後の一節は、社会や性に関する厄介な問題のいくつかが、正式な社会においてとうの昔に完全に解決されていたことを厳粛に指摘することで、ここしばらくで最も繊細で愉快な風刺作品の一つを提供している。
国家の中立という理論的義務について、我々は何を主張し、宣言しようとも、今まさに、極東の勇敢な小ダビデと、彼がロシアのゴリアテに対してこれまで繰り広げてきた勇敢な戦いに、我々全員が感じている高揚した共感の念を隠すことはできない。」
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@Ken_historian 返信をありがとうございます!
ニューヨークタイムズの書評も拝読いたしました。ハーンさんが失意のうちに亡くなったのではない、と知り安堵しました。エリザベスさんはハーン夫妻の良き友人だったのですね。ここは史実通りに描いてもヨカッタような気がしますが…
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イザベラさんのモデルの方の本当の姿を教えていただき、安心しました。
ドラマと史実が違うのは仕方ないですが…エリザベスさんが真の意味でハーンさんの理解者であったことに救われました。
#ばけばけ
#ラフカディオ・ハーン
Ken Nannichi@Ken_historian
#ばけばけ イザベラさんのモデルのエリザベス・ビスランドさんの「怪談」のとらえ方は、ドラマとは違うようです。 彼女が著した”Life and Letters of Lafcadio Hearn”では、神戸時代の「仏の畠の落穂」から東京時代の「影」「日本雑記」「骨董」にかけては、ハーンが「自分の中の炎が消えてしまった」と悩んでいた時期の炎のない作品たちが続いたとしています。 そうした中で「怪談」については、文体や表現がシンプルになっていくことで、「子供じみたほど単純でありながら、心に響く、言葉では言い表せないものを暗示している」と評しています。さらに「怪談」の最後の「蟻」でハーンのインスピレーションは再び輝きを取り戻し、最後の驚くべき作品「日本:解釈の試み」((神国日本」)の執筆につながった、としています。 中身を「子供じみた」と言って酷評しているのではないように思います。
日本語
@asadora_bk_nhk 「小谷君」こと大谷正信は、小泉八雲全集の編集者でした。ヘブン先生没後の今の段階で、もう一度出てくるかなと期待していました。
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#ばけばけ イザベラさんの元になったエリザベス・ビスランドさん。ハーンがニューオリンズで新聞編集者だった時代に彼の文芸記事に憧れて新聞記者になり、あっという間にニューヨークやロンドンの文芸界の花形になりました。雑誌記者時代に80日間世界一周競争に駆り出されたりもしましたが、その後は弁護士・会社社長の夫人として暮らしながら、ハーンを応援しました。
ハーンの書斎には、永遠の憧れエリザベスさんと、親友マクドナルドさん(横浜グランドホテル支配人)の、二人の顔写真が飾られていたそうです。
ハーン没後、1907年に「ラフカディオ・ハーンの生涯と書簡集」を刊行し、印税を小泉セツ夫人に贈って小泉家を支えました。同書は日本で「小泉八雲全集」が刊行されて日本人が小泉八雲を日本語で読めるようになるきっかけともなりました。
1911年に初めて小泉家を訪問してセツ夫人にあい、旧友ハーンが善良で穏和な夫人を得たことを喜んだ、と報じられました。
QHT
#ばけばけ イザベラさんのモデル,エリザベス=ウィットモア夫人(旧姓ビスランド)が初めて小泉家訪れたときの記事。
「今からちょうど23年前、私がインドへ行く途中初めて日本に立ち寄り、いたくその風光、人情等に心酔して、帰国後ハーン氏にその物語して、日本こそ真にハーン、君の技量を試す絶好の土地であるとつとにその来遊を勧めました。」
「その翌年にいよいよ渡来することになったのです。私はそれ以来、書信の多くをしていたが、ついに再び氏に会う機会を有せずにいました。」
ウィットモア夫人は一昨日大久保のハーン未亡人を見舞ってその遺児を見、その旧友がかくのごとく善良・穏和なる婦人を生涯の友としたことを喜んだという。
「旧友のあとを偲びて ウィットモア女史 ハーン未亡人を訪ふ」(東京朝日新聞1911.4.11) 小泉八雲・セツの孫、稲垣明男氏の平成23年度富山八雲会講演会より
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#ばけばけ イザベラさんのモデルのエリザベス・ビスランドさんの「怪談」のとらえ方は、実際には大分違うようです。
彼女が著した”Life and Letters of Lafcadio Hearn”では、神戸時代の「仏の畠の落穂」から東京時代の「影」「日本雑記」「骨董」にかけては、ハーンが「自分の中の炎が消えてしまった」と悩んでいた時期の炎のない作品たちが続いたとしています。
そうした中で「怪談」については、文体や表現がシンプルになっていくことで、「子供じみたほど単純でありながら、心に響く、言葉では言い表せないものを暗示している」と評しています。さらに「怪談」の最後の「蟻」でハーンのインスピレーションは再び輝きを取り戻し、最後の驚くべき作品「日本:解釈の試み」((神国日本」)の執筆につながった、としています。
中身を「子供じみた」と言って酷評しているのではないように思います。
ヘルン先生没後、初めて小泉家を訪れた時(松江では訪れていない)も、良い訪問であったと、記者に語っています。
日本語
#ばけばけ イザベラさんのモデルのエリザベス・ビスランドさんの「怪談」のとらえ方は、ドラマとは違うようです。
彼女が著した”Life and Letters of Lafcadio Hearn”では、神戸時代の「仏の畠の落穂」から東京時代の「影」「日本雑記」「骨董」にかけては、ハーンが「自分の中の炎が消えてしまった」と悩んでいた時期の炎のない作品たちが続いたとしています。
そうした中で「怪談」については、文体や表現がシンプルになっていくことで、「子供じみたほど単純でありながら、心に響く、言葉では言い表せないものを暗示している」と評しています。さらに「怪談」の最後の「蟻」でハーンのインスピレーションは再び輝きを取り戻し、最後の驚くべき作品「日本:解釈の試み」((神国日本」)の執筆につながった、としています。
中身を「子供じみた」と言って酷評しているのではないように思います。
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@UTokyo_News @yakumokai 曽祖父が富山大学ヘルン文庫の創設に関わりました。いつか東京大学のハーン文庫も訪れる機会があればと思います。
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#小泉八雲 こと #ラフカディオ・ハーン。#ばけばけ のモデルとなった彼は、東京帝大で「ヘルン先生」と呼ばれ学生に愛されました。文学の本質を伝える教育者としての姿について、文学部に残る草稿や蔵書から、後輩にあたる阿部公彦と与良美紗子の両先生が紹介します。#淡青 u-tokyo.ac.jp/focus/ja/featu…
日本語
#ばけばけ 「ラフカディオの空想:怪談」。ニューヨークタイムズ紙書評、1904年4月30日(自動翻訳を一部修正)
日本が西洋の手法を積極的に取り入れ、西洋兵器を巧みに操る能力を証明しつつある今、宣教師や商人が訪れず、近代化の影響を受けていない古き良き日本に常に魅了されてきたラフカディオ・ハーンが、小冊子『怪談』を通して、島国日本からほとんど消えつつある興味深く魅力的な特質を人々に思い出させてくれるのは、実に意義深いことと言える。それらのほとんどは古い日本の書物から取られたもので、中にはおそらく文字に書き記されることのなかった民話もいくつかあると彼は言う。そして、それらはすべて、内容においても精神においても、まさに今世界的な関心を集めている、極めて実利的でビジネスライクな日本とはかけ離れているように思われる。しかし、東郷と海上で戦っている多くの武士たちが、ハーン氏が彼らの古い物語集から抜き出したような、数々のグロテスクで恐ろしくも美しい空想を知り、固く信じており、しかもそれが彼らが最新の科学的知識を駆使することに何ら影響を与えないとしても、決して驚くべきことではないだろう。
『怪談』を読んだ読者は、日本人のような極めて感受性の強い人々が、精霊や妖怪、そしてあらゆる種類の魔術といった、信じがたいほどに古典神話を凌駕するような信仰から一体どのような喜びを見出すのか理解しがたいかもしれない。しかし、この作品を読めば、ラフカディオ・ハーン氏ほどこれらのことを魅力的に描き出す作家はいないという確信を改めて抱くに違いない。おそらく、他の西洋作家で、日本人の本質をこれほど深く理解し、熱烈に敬愛し、西洋文明が日本人に及ぼした影響をこれほど心から嘆いている作家はいないからだろう。ハーン氏は、この稀有な存在を「蓬莱」という珠玉の物語の中で見事に描き出している。蓬莱は古き良き日本を象徴しており、この精緻な言葉遣いによって、少なくとも一時的には、「祝福されし蓬莱」に関する著者の考え方に賛同しない人はほとんどいないだろう。
最後にハーン氏は、蝶、蚊、アリについて実に興味深い話を披露した。蓬莱でも蚊は厄介な害虫であるとしながらも、現代的な駆除方法が広く普及することはまずないだろうと嘆く。なぜなら、それは事実上、古来の墓地の破壊と、それに付随する仏教寺院の荒廃を招くからだという。古い墓地では、どの墓の前にも水入れや貯水槽があり、石油を使った駆除方法の難しさを考えてみよう。多くの場合、それは墓石の台座に彫られた長方形のくぼみ、時には独立したタンク、そして最も身分の低い墓では竹製の杯といった具合だ。日本では死者には水が必要であり、こうした無数の水入れから日本の蚊が大量に集まってくるのである。
アリに関して、ハーン氏はモーリス・メーテルリンクがミツバチに対して抱いたのとほぼ同じような賞賛の念を抱いているようで、彼がアリに帰する驚異的な知性は、先に述べた日本人の想像力豊かな想像力と非常によく調和しているように思われる。しかしながら、この東洋的な西洋人が、アリに見られる賞賛と模倣の対象として挙げている資質が、個性の完全な喪失と、まるで動く自動人形のような種族を生み出すいう代償を伴うものであることは、興味深い点である。
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