Charlie Gordon
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「異性愛者の恋人に異性と二人であって欲しくない」は気持ちとして理解できるけど、それを相手に要求する合理的理由は無いじゃん

「重なり合う合意」という中立は、結局は多数派による抑圧だ。市場の非人格性こそが、誰の「善」も評価せず、合意から漏れた個人の自律をも守る唯一の盾となります。経済的合理性はイデオロギーではなく、有限な世界で豊かさを存続させるための物理法則でしかありません。

引用元をお願いします。 JSミル(危害原理)の影響かハイエク(自生的秩序)の影響かよく分からないのと、純粋にあなたと話していてフリードマンに興味を持ち始めたので。

フリードマンの自由は「他人の権利を侵害しない限り、国家は介入すべきではない」というもので、これは自然法的な義務というより、「社会が円滑に回るための、最もコストの低い、中立的な合意形成のルール」程度のニュアンスだと解釈してますがどうなんでしょう。

人権や憲法は常に権力の「解釈」に晒されますが、市場価格は個人の「理由」を問いません。この非人格性こそが価値多元社会における唯一の中立な土台です。


なぜ自由かつ平等で普遍的な基本的人権やそれを保護する義務体系としての憲法よりも、経済的合理性が中立で最小限の土台になるのか分からない。

水が100度で沸騰するのを「物理学というイデオロギー」とは呼びません。同様に、自由な市場が繁栄をもたらし、介入が停滞を招くのは、歴史が証明した「法則」です。

私はフリードマンを念頭においていますね。(ハイエクやフリードマン、ノージックは同じ"新自由主義"に分類されるがかなり毛色が違う) 少なくとも、経済的合理性は、多様な個人がそれぞれの「正解」を追求するための、中立で最小限の土台だからです。

なぜ、文化や民族など、諸条件が同じ北朝鮮と韓国でここまで差がついたのでしょうか?「豊かな国」と「貧しい国」の根本的な差とはなんなのでしょうか?これを考えるのに難しい政治学の知識は必要ありません。

公共財に限らず規制など政府のする政策は費用便益分析をし、費用が超過するならばやめるべきでしょう。社会全体の便益が超過するならやる。費用が超過するならやめる。 当たり前の話です
