のんじ
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『暗君』の作者が贈る、”その後”の物語
『青と黒 ー1740年年代記ー』
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——大志なく、熱情なく、知恵なく、力もない。
深い青の軍装に身を包んだ黒髪の青年は、自身の眼前、部屋の窓際を落ち着きなく歩き回る女の姿を無言で眺めた。そんなことを考えながら。
女の揺れる髪は午後の清冽な光によく映える。類い希な金糸。そして青い瞳。
青と金の奔流。
——美しさと名前(ルロワ)だけだ。この女の中にあるものは。
青年レオ・ルガールは自身の上官を心内そう断ずる。偽らざるところである。
うち捨てられたブルテ地方の片隅、石工の三男として生を受けた彼にとって、目の前の女は、その存在においてあまりにも脆弱なものである。彼は粗悪な鑿で削り出された木の器。見栄えは悪いが役に立つ。扱いも適当でよい。一方で、女は透き通るほどの、青味すら浮き上がる白磁。金の縁取りがよく似合う。
本来——つまり旧史の社会では——出会うことのない二つの食器が、今、何の因果か同じ食卓の上に並んで置かれている。
「司令官殿。我ら幕僚の意見は出揃いました」
彼はある種の冷酷さをもって、先刻告げた会議の結論——サンテネリ国家親衛軍近衛連隊幕僚陣による——を想起させる。女に。
女は腰に下げた大ぶりの剣、その柄を撫でている。男が佩けばちょうどよい諸刃のそれは、女の細身には”大きすぎる”。
「ねえルガール殿、知っている?」
「何を、でしょうか」
「この剣のこと」
女が抜剣した。不器用に。
室内では明らかに不躾な行為である。だが敢えて彼女はそれを為した。
剣は重い。女には”重すぎる”。
問いかけられたルガールは、古めかしい鉄塊を掲げる上官の腕が小刻みに震える様を、常変わらぬ無感動とともに眺めた。
「なんで、私なの……」
女の声はあまりにもか細く、男の耳には届かない。それは意図的な発話ではあり得なかった。にも関わらず口をついて出た。女の薄く、ふわりと開く花弁のごとき唇から。
無意識の信頼。その表れであったかもしれない。二人は知り合ってもう十年近く経つ。
「柄にはこんな言葉が彫られているの。”貫き通さむ”って」
「……」
青年は答えを持たない。独白に応答はいらない。
「これは呪いね。重い、重い呪い。この剣そのもの。……ほら、私の腕を見て? 重すぎて、震えが止まらないわ」
台詞の後半は冗談めかしたもの。笑い混じりの。
事実、右肩章の房がはねるほどに彼女の腕は微動を繰り返していた。
か弱い筋肉は明らかに、重荷に耐えかねている。何かの。
しかし。
女は剣を鞘に収め、しばし瞳を閉じた。
十の十倍の瞬きの刻が過ぎた。
部屋は依然光に溢れている。身を隠す場所はどこにもない。白日の下に彼女は在る。
ゆえに彼女は語り続けねばならなかった。
「皆さんの議論は尽くされたかしら?」
「はい。報告の通りに」
ルガールの返答を受けて女はゆっくり瞼を開く。唇と同時に。
「まず、サンテネリ王国を想い日々心を捧げてくれる皆さんに感謝を。私は今、こうして皆さんの導いた結論を受け止めました。その上で、そう為すように命じます。近衛連隊司令官として。あなたがたに」
女——メアリ・アンヌ・エン・ルロワの口ぶりに迷いはなかった。
枢密院からの指令はない。彼女の唯一の上官たる国軍元帥からの命令もない。シュトロワ擾乱の最中、連絡は途絶えたまま。
ゆえに彼らは独自の「選択」を為さねばならなかった。与えられた権限の範囲を明らかに逸脱したそれを。
傍観するか、あるいは、進むか。
幕僚達は行動を求めた。
これは「反乱」であり「鎮圧」は義務である。悪戯に機を逃してはならない、と。
現状において即応の可能性を持つ部隊が一つしかないことは明白であった。
シュトロワから最短の位置に陣を構え、国王グロワス十四世の姉を司令官に戴く国家親衛軍近衛連隊こそがそれである。
だが、独断であることには変わりがない。
つまるところ、彼女は軍を私(わたくし)するのだ。どんな事情があるにせよ。
行為が意味するところを幕僚達は皆理解していた。当然のことながら彼女も。
しかし、そうあってなお「選択」は為される必要がある。
畢竟彼女はそのためにのみ存在するのだ。
「そのように、皆さんに伝えて下さる? ルガール殿」
「よろしいのですね?」
「もちろん。私がそう決めました。あなたも十分お分かりのように、私は”何も出来ないお飾り”に過ぎません。でも、この後”必要なこと”は万事、皆さんがやってくださるでしょう?」
メアリ・アンヌの顔面に張り付いた薄い笑みは、ルガールの目には精緻な仮面のごとく映る。その下にどのような”本当の顔”が隠されているのかを、彼は知らない。否、正確には知っている。軍学校の訓練で足を捻挫したときに見せた泣き顔。そのあたりだろう。
——我らが司令官殿は何も出来ない。細かいことは何も。
軍学校の教育課程を一応修了してはいるが、彼女の成績は決して優れたものではなかった。
——だが、メリア殿がなぜ”それ”をする必要がある? ”それ”は俺たちの仕事だ。彼女は今、立派に”自分の仕事”をした。ならば次は俺たちの番だ。
ブルテ地方の貧しい石工の三男坊は、今や近衛連隊幕僚の一員であった。
——彼女は美しさと名前と、もう一つ、ささやかな美徳を持っている。俺たちはそれをよく知っているぞ。……彼女は”踏みとどまる”。いつも。こうして。
青年の脳裏に蘇る過去。軍学校で同期の面々と過ごした日々。
サンテネリ王女メアリ・アンヌは、王女であると同時に彼らの同期、仲間であった。男どもの中に女一人(当然お付きの女官は数人居たが)。たっぷりと手加減されたものであったが、彼女は座学も実地訓練も、結果はどうあれ最後までやりきった。算術は苦手だ、泥まみれは嫌だ、と情けない愚痴をこぼしながら。正確には”皆でこぼしあい”ながら。
そうして少年達と少女は成長し、”男達”と”女”になった。
かつて少年であった男たちは、もはや女を遙かに仰ぎ見る”王女様”とは見なさなかった。特にルガールのような平民出自の者にとって、ルロワ王女のために命を捧げる志などない。王や貴族は自分たちとは関係の無い「別の世界の存在」である。極言すれば路傍の石と変わりない。
しかし、同期の女となれば話は別だ。
軍学校の薄暗い教場で、周囲を貴族の子弟に囲まれて疎外感にその身を浸したルガールに、ごく自然な、飾り気のない挨拶をよこした女に。
それは気さくを装う貴種の「素振り」ではなかった。少女が少年に声をかけた。ただそれだけのこと。
「”場違い仲間”として仲良くしてくださいね」と。
少女は飛び抜けた高位の、少年は突き抜けた低位の存在として、貴族と上層市民の息子が大半を占める軍学校において、明らかに”場違い”であった。
だが、最終的に彼らはみな溶け合った。
座学も教練も最劣等に近い落ちこぼれの少女は、しかし、人々を吸引し攪拌する術だけは誰にも負けなかった。
ゆえに彼は決めていた。
この女のために、俺は十を十回かけたほどの死すらも厭わない、と。
そして、同様の思いを他の男達も抱いているであろうことを知っていた。
——我らが司令官殿は明らかに無能だが、明らかに”サンテネリの女”だ。サンテネリの男なら誰だって、そんな女のために喜んで死ぬだろう。
「司令官殿。我々が全てやります。——あなたのために」
レオ・ルガールは余計なことは何も言わなかった。修辞は必要ない。
我らが司令官殿の決断が為されたのだから。それ以上は何も必要なかった。
◆
正教新暦1742年、サンテネリ王国首府シュトロワ擾乱の報に接し、隣接するバロワ領内に本拠を構える国家親衛軍近衛連隊は”独自の”軍事行動を開始した。
司令官メアリ・アンヌ・エン・ルロワ准将率いるこの集団——旧史的な色を多分に残す属人的な、いわば軍閥に近い存在——は、後に続く祖国戦争を最前線で、最後まで戦い抜くこととなる。
ゆえに連隊は軍隊以上のものとなった。
それはサンテネリ共和国が誇る”最新の”神話の一つとなった。
市民メリアと”猛々しいお友達”の戦いの記録こそがそれである。
『青と黒 ——1740年年代記ー』
2026年4月より「ノベルライターになろう」で連載開始!
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