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「これはね、権力の物語でもあるの。美しい人が愛される。身分の高い人が守られる。でも、声の小さい人、弱い立場の人、忘れられる人もいる。紫式部はそこまで見ていた」先生は黒板に、光源氏の名前を書き、その周りに女性たちの名前を書いた。藤壺。紫の上。葵の上。六条御息所。夕顔。それは人物相関図というより、傷の地図だった。
「誰か一人を主人公として読むと、見えないものがあります。物語は、視点を変えると加害者も被害者も入れ替わるの」
その言葉は、中学生には少し重かった。
だが、不思議と忘れられなかった。
先生は、古文を点数のために教えていたのではない。
人の心を、一方向から決めつけないために教えていたのである。
テスト前になると、先生は急に現実的になった。
「いい?
古文は才能じゃありません。
まず主語を探しなさい。
誰が、誰に、何を思っているのか。
恋も古文も、主語を間違えると全部こじれるの」
男子が笑う。
先生は続けた。
「敬語は身分関係を見るためのライトです。
給ふが出たら、誰に敬意が向いているかを見る。
敬語は昔の人の上下関係センサーなの」
助動詞も、敬語も、係り結びも、先生の手にかかると急に物語の道具になった。
「ぞ・なむ・や・か・こそが出たら、作者がそこを強く見てほしいという合図です。
現代で言えば、そこだけ太字にしているの」
なるほど、と思った。
係り結びとは、平安時代の強調表示だったのである。
ある日の放課後、吾輩は忘れ物を取りに教室へ戻った。
先生が一人、窓際で源氏物語を読んでいた。
いつもの明るい声ではなかった。
小さく、ほとんど祈るように読んでいた。
「先生、本当に紫式部が好きなんですね」
そう言うと、先生は少しだけ笑った。
「好きというより、助けられたのよ」
それ以上は言わなかった。
だが、その時の横顔だけは覚えている。
アイドルみたいに明るく、少し変で、授業中はいつも華やかな先生にも、誰にも見せない夜があるのだと思った。
大人になってから、古文の授業を思い出すことがある。
仕事で疲れ、人間関係に削られ、言葉が雑になってしまいそうな夜。
ふと「いとあはれ」という言葉が浮かぶ。
昔は訳語でしかなかったそれが、今では心の避難所のように感じられる。
綺麗だけではない。
正しいだけでもない。
人間は、寂しくて、愚かで、誰かを傷つけ、それでも誰かを思ってしまう。
紫式部は、千年前からそれを見ていた。
そして、あの先生はそれを中学生に見せてくれた。
古文とは、古い言葉を読むことではない。
今の自分では言えない気持ちに、千年前の誰かが先に名前をつけてくれていたと知ることだった。
思い返すと、本当に先生に恵まれた学生時代であった。
数学の先生は、点の取り方を教えてくれた。
音楽の先生は、点数にならない心の守り方を教えてくれた。
そして、あの古文の先生は、時間を越えて人間を読む方法を教えてくれた。
あの人は、少しやばかった。
紫式部の話になると目の色が変わり、源氏物語の人物をまるで同級生の噂話のように語り、清少納言を日常描写の怪物と呼んだ。
だが、間違いなく天才であった。
あの教室で起きていたのは、ただの古文の授業ではない。
騒がしく、不器用で、まだ自分の感情に名前をつけられない中学生たちが、千年前の言葉に手を引かれながら、自分の心の奥へ降りていくための、小さな時間旅行だった。
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