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円束
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円束
@SandwichDust
大学4年生 なんでも、低浮上 留年確定済 ブルアカをやったりなかったり ミリタリー、特に銃器・エアガン系 そろそろアカウントを分けたほうが良いと思う
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1935年、日本統治時代に全羅南道小鹿島に建立された小鹿島神社。日本が朝鮮半島に建築した神社79社、神祠1,062社のうち、2026年現在、韓国に現存する唯一の神社である。
祭神は天照大神であり、例大祭は毎年5月28日に執り行われていた。また、『神社本廳教學研究所紀要』第3号(1998年2月)に掲載された佐藤弘毅の『資料紹介 戦前の海外神社一覧(2)朝鮮・関東州・満州国・中華民国』によれば、社掌として横田信幸(よこた のぶゆき)という人物がいたとされる。
日本が建築した神社の大部分は、韓国の独立直後に撤去された。では、この神社はいかにして現存し得たのか。それは、小鹿島が離島であった上に、長年にわたってハンセン病患者の隔離収容施設として使用されていたためである。
ただし、鳥居自体は光復直後に破壊され、残存した本殿と拝殿もこれといった管理がなされないまま、カビや苔が生えるなど放置されていた。しかし2004年2月6日、「高興旧小鹿島更生院 神社」の名称で国家登録文化財第71号に指定され、現在は国家遺産として修復・管理されている。これは、日本による植民地支配を記憶し、後世への教訓として残すという教育的価値が認められたためである。
本殿と拝殿のみが残るごく小規模な神社ではあるが、韓国に残る唯一の神社であることから、時折日本人観光客も訪れるという。現在の所在地は「전라남도 고흥군 소록선창길 98-6, (全羅南道高興郡小鹿ソンチャンギル 98-6), (チョルラナムド コフングン ソロクソンチャンギル 98-6)」である。
(写真出典:Googleマップ、ネイバーブログ「docuin」、国家遺産庁)
(写真説明)
1.2025年1月時点の小鹿島神社
2. 2018年時点の小鹿島神社
3,4. 2005年修復以前に撮影された小鹿島神社
#韓国 #日本 #歴史 #神道




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1986年8月16日、開館を控えた国立中央博物館(旧朝鮮総督府庁舎)。この建物は約10年後の1996年11月13日、竣工70周年を機に解体される。
日本統治時代、1916年7月10日に着工し、1926年10月1日に竣工。1945年8月の日本敗戦まで19年間、朝鮮総督府庁舎として使用された。
日本敗戦後、米軍政が始まると3年間は米軍政庁として使用され、「中央庁」と呼ばれた。その後、大韓民国政府に帰属したが、李承晩大統領は強く解体を主張した。「植民地支配の象徴を、ソウルの中心部に置くことはできない」というのがその理由であった。
しかし当時、最貧国のひとつであった韓国には、この巨大な建物を解体する能力がなかった。解体技術や莫大な費用はもちろん、撤去した石材を運搬する重機すら不足していたためだ。結局、政府は現実と妥協し、この建物を政府庁舎として使用することになる。ところが1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発し、ソウル奪還の過程で大規模な火災が発生。中央ドームと内部が全焼する被害を受けた。戦後復興の困難と予算不足から、骨格だけを残したまま10年以上放置されていた中央庁は、1962年11月にようやく大規模な修復工事を終えて再開館した。こうした紆余曲折を経て、中央庁は実質的に約26年間、政府庁舎としての機能を果たすことになる。
1970年12月23日、中央庁近くに政府ソウル庁舎が竣工し、政府各省庁が次第に移転していくにつれ、中央庁の機能は徐々に縮小されていった。1982年12月に政府果川庁舎1・2棟が竣工したことで、1983年には行政庁舎としての機能が完全に終了する。この時、一時解体の議論が持ち上がったものの、国立中央博物館への用途変更という結論に至った。
1983年5月、総務処から文化公報部へ建物の管理が移管され、改修工事を経て1986年8月21日に正式開館。この建物は「国立中央博物館」という名称に生まれ変わった。1・2枚目の写真が当時の姿である。この時期、日本人観光客はソウルを訪れる際、ここをほぼ必須の観光コースとして訪問していたと伝えられている。
韓国の民主化後、朝鮮王朝の王宮である景福宮の復元計画が確定したことで、この建物の解体は事実上避けられない流れとなった。そもそも日本が朝鮮総督府庁舎を建立した際、興礼門や周囲の行閣、永済橋をはじめとする景福宮内の殿閣の大半を取り壊し、その跡地の上に建物を建てたためである。
1991年、盧泰愚政権でも解体を推進しようとしたが、秘書陣の交代などさまざまな現実的問題から議論は先送りとなり、金泳三大統領就任後にようやく実質的な解体計画が立案される。
1995年、金泳三大統領は「歴史を正す」取り組みの一環として、光復50周年を記念し、朝鮮総督府庁舎の解体を電撃的に発表した。これに対し建築界の一部では、「建築的価値の高い近代建築物である」として解体反対の声が上がったものの、植民地支配の象徴を取り除き、景福宮本来の姿を取り戻すべきだという国民世論は圧倒的であった。
結局、1995年8月15日、韓国の光復節(終戦記念日)を期して中央ドームの尖塔を撤去することで解体作業の開始が告げられ、1996年11月13日には建物の完全解体が正式に完了した。これにより、光化門の背後から景福宮・北岳山・青瓦台へと続く、現在の景観が完成した。
解体後、切り取られた尖塔と一部の残骸は、現在、天安の独立記念館に展示されている。余談ながら、日本統治時代に建設されて現在もソウルに残る主な建築物としては、旧ソウル駅舎、韓国銀行貨幣博物館、ソウル市庁本館、旧国会議事堂などがある。
筆者は歴史学徒として、あらゆる遺物の破壊に惜しむ思いを抱いている。屈辱の歴史もまた歴史の一部である以上、当然保存されるべきだと考える立場だ。その意味で、朝鮮総督府庁舎についても、全て解体するのではなく、余裕をもって一部なりとも移設・保存できていたなら、と悔やまれてならない。
また、そもそも朝鮮総督府が景福宮を毀損することなく、近隣の空き地に庁舎を建設していたならば、今日の中華民国総統府庁舎のように、歴史的建造物として保存されていたのではないかとも思われる。
写真出典:e映像歴史館
#韓国 #日本 #朝鮮 #歴史




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何故立命館側にリゼロのキャラが?
まあリゼロ見たことないけど
Univlife-FYD@daigaku_fyd
【第5回】大学Twitter影響力選手権 決勝戦 次のうちTwitterでの影響力が大きい大学は? #第5回大学Twitter影響力選手権
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