ちゃこ
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介護現場で 「ドンッ」という音を聞いた瞬間。 心臓が跳ね上がるのと同時に、 これから始まる「事故報告」と 「家族への謝罪」のループを察して 目の前が暗くなります。 どれだけ気を配っていても、 起きる時は起きる。 それが「生活の場」のリアルです。 なのに、書類の上では 「なぜ防げなかったのか」 「見守りは適切だったか」と、 まるで現場の怠慢だったかのような 追及が待っている。 謝罪の電話を入れる時の あの重苦しい空気。 「預けているのにどうして」 という言葉を飲み込んでいる 家族の気配を感じるのが、 一番、心が削られます。 事故そのものよりも、 その後の「犯人探し」のような 報告体制に疲弊している 介護士は少なくありません。 私たちは、ただ安全に 過ごしてほしいだけなのに。



「あの息子さん、面会に来ても5分で帰るし、スタッフにも挨拶しない。冷たいですよね」 以前、まさにこんな息子さんがいた。 週に1回施設へ来るが、無口で、寝ている母親をただ見下ろし、すぐ帰る。 でも、母親のベッド脇にある、ひっそり置かれたノートの存在に気付いた。 そこには毎週末、びっしりと不器用な文字が書かれていた。「 今日も仕事が長引いた。ごめんな」 「今日は息子の入学式だった」 誰に見せるわけでもない。スタッフへの良い家族アピールでもない。ただ、母親を施設に預けたことへの罪悪感と、不器用な愛情だけがそこに書かれていた。 「施設に親を預けている」という事実だけで、自分を責めている家族は山ほどいる。 「もっと長く面会しないと」「スタッフに愛想よくして、親を良く扱ってもらわないと」と気を張って悩んでいる人も多いはず。 介護現場に10年以上いる人間から、はっきり言わせてもらう。 そんな気遣いは、マジでいらない。 親を施設に預けるという重い決断をした時点で、もう十分すぎるほど責任を果たしていると思う。愛の形なんて、表面的な言葉や面会時間の長さで測れるほど底の浅いもんじゃない。






ちょっと聞いてみたい。 大阪の人って、 たこ焼きプレートが 家にあるのが当たり前で、 みんな普通に焼けるって 本当なんだろうか? なんとなくそんなイメージあるけど、 実際どのくらいの人ができるのか気になる。 よかったら、 そっと教えてほしい。


「家では歩けていたのに、介護施設に入って急に歩けなくなった」と怒る家族。 これは施設が弱らせたわけじゃない。家で限界を超え、ボロボロになりながら無理して動いていた緊張の糸が、施設に入ってやっと切れただけ。 「歩かなくちゃダメになる」「リハビリしてくれ」と家族は焦る。だが、それは転倒・骨折リスクから目を背けた家族側のエゴに近い。 自宅では、痛む足を引きずり、夜中に壁伝いに這ってでもトイレに行くしかなかった。それは歩けていたのではなく命がけでサバイバルしている状態。施設に入れば、スタッフが安全を担保し、車椅子もある。本人はここでようやくもう無理しなくていいんだと心身を休めているんだよ。 「歩かせろ」と迫る前に、まずは限界まで頑張ってきた親の身体を労ってやってほしい。 歩くことは目的じゃない、ただの手段。親が老いていく現実を受け入れる覚悟がないと、結局一番苦しむのは親本人になる。








