Sabitlenmiş Tweet
みつえ
1.7K posts

みつえ
@Yamafusou
愛知県出身 長野県在住 17年続けた「名ばかりフリーランス」を やめる決断をしてから 毎日がチャレンジのアラ還です
Katılım Haziran 2024
647 Takip Edilen520 Takipçiler
みつえ retweetledi
みつえ retweetledi

目立ちたがりとのコメントをいただけて凄く嬉しく思っております。というのも、AEDを普及させるために【移動するAED体験】と題してこのGW期間中に都内を走行しておりました。単に街かどでAED体験をやっても興味をもってもらえないので、電動自転車ベロモービルに乗って巡りました。




しょお🔅@ishoji49
@jetmomonga70331 なんでそんなのに乗るのか意味不明 目立ちたがり?
日本語

このチラッと見える袖が
ひでお(37)だった場合...
最終日の朝、
あさの『声すら聞きたくない』で
揉めたひでおが出ていき
しんじ(43)が救いにいく...
つまり恋愛病院において
しんじがお医者さんになる超展開...
ある?
明日が楽しみすぎる!
【服が同じ色...?】


🪨⭕️meigen@pavi42238671256
オープニングのこのシーン、よく見ると…😳 #恋愛病院 #しんじ43
日本語

@Ryosuke_Nishida あの肌の感触を そう捉えるとは❗
人は 千差万別なんですね💦
ハンドクリームを塗る習慣も身につかず カサカサの手でしたが 昨日は 27才の娘の手をさわったあと 私の手に触れてもらったら すべすべなので 驚いてました。5ヶ月の孫には 負けました😅
日本語
みつえ retweetledi

@onagahayashi @saiseichosen それなら よかったです。
石丸さんが ブースターズで 対談した木村泰子さんの話の中に でてきた
″廊下の右側を歩く女の子″に 近いものを 感じたので…
右側を歩けと さんざん言われてきて
正しいことをしてるのに 否定され抗うような。どこか純粋すぎるというか…違ってたらごめんなさい🙇♂️
日本語
みつえ retweetledi

自分と周りとの境界線をしっかりと持つ。
「自分が見ている世界」と「他人が見ている世界」が重なり合っていると錯覚してしまうと、期待が裏切られた時に「なぜわかってくれないのか」「どうして俺の思うとおりにやってくれないのか」という嘆きや怒りが生まれる。
境界線をしっかりと分けていれば、他人に期待しない代わりに、自分も他人の期待に応えるために生きる必要はないという自由が手に入る。人のすることにいちいち反応したりすることもなくなる。
一見冷たく聞こえるかもしれないけど、実は自分も他人も尊重するための、誠実で成熟したスタンスと言えるのではないかなと。
どうしても他人のすることが気になって仕方ない、我慢ならないというのなら、自分がその「やるべき行動」をする以外にない。
他人の世界は変えられないが、自分の世界なら変えられる。しかしそれもまた、自分で行動せねば変わらない。他人にやってもらうわけにはいかない。
日本語

@onagahayashi @saiseichosen 翁長さんが 決めないでほしいですね💦
言葉の定義も 翁長さんのものなので
誰もが そう思ってませんよ😅
だいぶ 不思議な返しをしてますよ🙂↕️
日本語

@pacemakerm @kattunger35 たしかに なんか SNSは 良くないよ臭が におってきますね🙂↕️
こういう問題文にも フラットな視点が ほしいですね😉
日本語

個人的には
『良い影響』と『悪影響』
の両方が考察できる設問であって欲しいなと。
SP社長(元警視庁SP)@SPshacho
【中学入試でこのテーマ👏🏻】 12歳の自分なら… 爆睡か窓際席から空を15分は眺めます。 選挙×SNSの本質 中学入試で出る時代 普通にスゲー🧘🏻♂️ #未来は任せた #おじさんが警護して護ります
日本語

@Yamafusou 自分もスルーしようかとは思ったけど
ツリーで発信してるし
正しい情報も混ざってるから
逆に指摘しないとマズいかな?と…🤔
日本語

これは政治家の仕事なのだろうか。
せっかく若くして政治家になったのだから、もっと新しい政治家像を見せもらえたらな、と思います。
あくまでも個人的な感想ですが。
大空こうき / 衆議院議員(江東区-東京15区), OZORA Koki@ozorakoki
GWもバス旅行のお見送りをはじめ、地元の皆さまのもとにお伺いしています。様々いただくご要望をひとつひとつカタチにするため、微力ですが頑張って参ります。皆さま、良いGWをお過ごしください。お仕事の方も大変お疲れ様です。
日本語
みつえ retweetledi

【「生きる力」とは何かを、問い直したい】
これまで学習指導要領では、「生きる力」を育てるために「知育・徳育・体育をバランスよく」と示されてきました。
しかし、冷静に考えてみると、ここには大きな違和感があります。
そもそも「生きる力」とは何なのでしょうか。
私は、「主体性」と「当事者性」こそが、もっとも大切な力だと考えています。
主体性とは、自分の頭で考え、判断し、行動する力。
当事者性とは、多様な人々と共に生きる社会の中で起こる問題に、自分事として関わり、持続可能な方向へと解決していく力です。
ところが現実には、「生きる力」を身につけるための“手段”であるはずの「知・徳・体」が、いつの間にか目的そのものになってしまっています。
つまり、本来最も大切であるはずの「主体性」と「当事者性」を後回しにしてでも、「知・徳・体」を育てようとしてしまっているのです。
この「手段の目的化」こそが、現在の日本の教育を歪めている大きな要因ではないでしょうか。
さらに気になるのは「バランスよく」という言葉です。
これは平均的にバランスを取るという意味なのでしょうか。
それとも、一人ひとりの特性に応じた最適なバランスを意味するのでしょうか。
例えば、身体に障害のある子どもにとって、「体育」とはどのような意味を持つのでしょうか。
体育の授業に参加できない場合、その評価はどうなるのでしょうか。その評価は、本当にその子の学びを見ているのでしょうか。
また、教育基本法の第1条にはこうあります。
「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」
あえて言えば、この条文にも違和感を覚えます。
「心身ともに健康な国民の育成」とありますが、この「心身ともに健康」とは何を指すのでしょうか。
生まれながらに障害のある子どもや、病気とともに生きる子どもたちは、そこからこぼれ落ちてしまわないのでしょうか。
さらに言えば、「人格の完成」とは何なのか。
ここにも大きな問いがあります。
そもそも「人格」という言葉は、哲学や法学の中で発展してきた概念であり、その意味については多くの解釈が存在しています。つまり、「人格とは何か」は、専門家の間でも議論が分かれるテーマです。
にもかかわらず、そのような専門的で曖昧さを含む言葉が、法律の中核に据えられています。
専門家でなければ十分に理解できない概念を前提に制度が設計されていること自体、私たちは一度立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか。
こうした根本的な問いを、私たちはこれまで十分に考えてきたでしょうか。
専門家と言われる人々がつくった制度や言葉をそのまま受け入れるのではなく、その前提を問い直すこと。
そこからしか、本当の意味での教育の転換は始まらないように思います。
現場にいる私たち一人ひとりこそが、教育の専門家であるはずです。
日本語
みつえ retweetledi

@SYVgtOjAdcRNj9U ありがとうございます🙇♂️
誰か教えて~😭と 思ってました。
いつもは チャットは 目が疲れるので 見ないのですが この日は 本編が脱線して…
4つくらいしか 追えてなかったので、ほんと感謝します🙏
日本語


















