北極熊猫
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北極熊猫
@_snow_white
絵を描いてます。元気に生きてます。ほっきょくぱんだと読みます。きたぱんって呼んでください。
Katılım Mart 2011
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かつての日本で、「未熟さ」を是とするアニメ漫画を良い「オトナ」が愛好することには、社会規範から逸脱しているという一種の緊張感があった。その退廃性やカウンター精神を仮に“cool”と呼ぶなら、「未熟さ」に寛容になった現在の日本社会で自己批判を伴わないままそれらを消費する様子は、もう“cool”ではないだろうなァ、等と考えたり。
というのも昨日のコミケ50周年記念講義にて、1976年に18歳でコミケに初参加したという安田かほる氏が「当時はその歳でアニメ漫画が好きだとはとても言えるものではなかった(だからコミケに行くと仲間が沢山いて驚いた)」と仰っていたのが妙に心に残っており。高校卒業後(特に女性は)進学より結婚就職が一般だった当時、18歳はすでに「オトナ」であり、そうした趣味は「未熟さ」の表れと見做されていた。
だからこそ、アニメ漫画に「オトナ」──それは現代で想像される「オトナ」よりずっと若い年齢層ではあったんだけども──が大真面目に向き合うことは一種のカウンターだったし、その根底にある社会や既得権益への密かな反発心は、無許可の二次創作やコンテンツの自家流通などアンダーグラウンドな行為を黙認した。でもそんな側面こそが、何よりアニメ漫画及びそのファンダムが「サブカルチャー」であった所以だとも想像する。
それが需要層や世間の印象の変化等々多様な理由はあれど、日本ではアニメ漫画を愛好することは今や特別なことではなくなった。でも特別でなきゃカッコ良く──“cool”でもまたないワケで。
地域によってはまだまだ永遠のモラトリアムを許容しない、成人規範を強く要求する社会が沢山あって、そうした社会ではアニメ漫画への没入は依然として社会規範からの逸脱と非難されうる。私が過去に引用のようなポストをしたのも、そうした社会から逃れて日本に住み始めた海外出身のアニメ漫画ファンと知り合った背景があったから。でもだからこそ、彼らのアニメ漫画の愛好は退廃とカウンターのかおりを帯びているという意味でまだ“cool”たりえるかもしれないし、反対にその前提をすでに失った日本では、彼らと同じ語調で“cool”を語ることは最早難しいんじゃないかと思う。時に我々のそれは、持てる者の無自覚な楽観や、許された者の驕りを帯びることもあるかもしれない。
……とここまでゴチャゴチャ書いてみたけど、こげどんぼ先生が2008年にすでに「オタクに甘い日本を叩き直す」とでじこに豪語させているこのコマひとつで全部足りる気もしてきた。

好事家ジェネ@DilettanteGenet
海外勢が日本の漫画アニメをcoolと言う時、そこに未熟性の肯定や大人になることへの拒否感を嗅ぎ取っているケースがあって、成長を必ずしも是としない退廃性に良さを感じていることがままあるっぽいんですよね。その退廃性が社会に出ることへの日本人の漠然とした忌避感の反映だと考えると興味深いし→
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