



戸塚ヨットスクールの戸塚宏のように「体罰は正しい」と主張する大人たちは、自らの実績で体罰の無意味さを証明している、桑田真澄のような成功例には何故か触れない。体罰…いや、子供に暴力を振るい、あまつさえ自らの所業を正当化するのは結局、戸塚宏と同じレベルなんだよ。恥を知れ。
ダークサイド・1号
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@dark_side_01
もうすっかりtwitterおじい。 『怒鳴るのやめましょうよ。お互い教育を受けた者同士。』 シティボーイズが人生の柱。 砲撃の下で考える。




戸塚ヨットスクールの戸塚宏のように「体罰は正しい」と主張する大人たちは、自らの実績で体罰の無意味さを証明している、桑田真澄のような成功例には何故か触れない。体罰…いや、子供に暴力を振るい、あまつさえ自らの所業を正当化するのは結局、戸塚宏と同じレベルなんだよ。恥を知れ。

渋谷の風景が変わってくのは寂しいけど、中1娘は友達たちと、Nintendo TOKYO、JUMP SHOP、ポケモンセンター、アニメイト、まんだらけ、GiGO渋谷2FのFangamer Japan、バンナムのCROSS STORE、渋谷モディ、そして今のTSUTAYAによく行ってるので、もう下の世代の「渋谷」になってるんだと思う。

3人の子供を育ててきて、それぞれ社会人、大学生、中学生になった現時点で、僕個人の意見ではありますが。 特に「子供が小さな時ほど」何でも買ってあげるようにすると、非常に予後がいいと結論が出ています。 大きくなっても欠落感やコンプレックスに悩まされることがなく、「欲しいものは必ず手に入った」というプラスの経験があるので、自分の力で、正々堂々と目標を達成するようになるんですよね。 これも個人の観測範囲ですが。 それをしてもらえなかった子供が大きくなると、ネガティブな記憶から生まれた歪みから、人に言えないような方法で「欲しいものを手に入れようとする」ことが多いです…(親に言っても聞いてくれない、相談に乗ってくれないと確信しているから)

日本人って鬼滅の刃をあんなに流行らせといて作品からは何も学ばないんだから、フィクションの力も無力だよな




今は無き渋谷の映画館 ●シアターN渋谷(桜ヶ丘) ●シネマライズ(宇田川町) ●シネセゾン渋谷(道玄坂) ●シネマ・アンジェリカ(道玄坂)

@dark_side_01 どうでもいい話ですが、呪術廻戦の渋谷事変自体は2018年10月の出来事なので、実は今ある建物がまだ建ってないことがちょくちょくあって、小さい子どもさんは知ってる渋谷じゃないことが時々あるかもですね



面白い問いを見かけたので。「なぜアジアの幽霊は女なのか」。 お岩、お菊、貞子など、日本の怪談では虐げられた女性の怨念がそのまま恐怖になるパターンが多いですよねえ(韓国もそうだと伺った)。髪、白装束、声など、女性性の記号と共に戻ってくる。そして、抑圧が強いほど、戻ったときにパワフル。 〔その意味では、武道館ライブを目前にして非業の死を遂げたパンクガールというのは恨み文脈では出てこなさそう。屈強な男性しかり、“虐げられる”というイメージが薄いからでしょうか。〕 一方、欧米ホラーでは女性は「女のまま戻る」のではなく、魔女、ヴァンパイア、憑依された少女など「別のものに変容する」ことで恐くなるのがほとんど。いわゆるポータルの役割ですね。キャリーは虐められた少女として怖いのではなく、超能力が爆発するから怖い、みたいな。 この分野まったくのド素人なので妄想混じりの想像ですが、違いの根っこにあるのは、死者との関係の文化的な差かも、とぼんやり思っています。日本では死者がこの世に留まることに何の違和感もない。でも、キリスト教圈では死者は天国か地獄に行くもので、そもそも留まること自体が異常。だから「女のまま戻る」より「境界を侵犯する別の何か」が恐怖の形式になるのかなと。 クローヴァー『男と女とチェーンソー』やクリード『怪物的女性の回帰』は欧米が中心ですが、この議論でお岩さんや貞子を読んだらどうなるか――考えると止まらないテーマです。

そもそも「軽率で下品な大阪文化嫌い、あれもこれも皆吉本のせいだ」とかいうけど、良く言えば爆笑、悪く言えば品の悪い、スピードや饒舌たる落語やった桂春団治、「大阪人≒滑稽な人」を植え付けた花菱アチャコや藤山寛美とかに誰も言及しないんですよね


