たつや

2.5K posts

たつや banner
たつや

たつや

@edu_tatsu

小学校非常勤講師 / 京都大学でイギリスの形成的アセスメントについて研究しています。

Katılım Şubat 2022
334 Takip Edilen1.8K Takipçiler
たつや
たつや@edu_tatsu·
【参考文献】 田中耕治(2008)『教育評価』岩波書店、p.129。
日本語
0
0
0
26
たつや
たつや@edu_tatsu·
田中(2008)「子どもたちが『自分は前よりもよくわかった』とか『自分はこれはできないが、これならできる』と評価できるには、またその評価が極端な主観性を免れるためには、教師の側からのねらいに即した評価を提示し、『外的な評価』と『内的な評価』の双方向からなる関係性を創り出すことが大切」
日本語
1
0
2
35
たつや
たつや@edu_tatsu·
【参考文献】 松下良平(2000)「自生する学びー動機づけを必要としないカリキュラムー」グループ・ディダクティカ編『学びのためのカリキュラム論』勁草書房、p.237。
日本語
0
1
3
385
たつや
たつや@edu_tatsu·
けれども、人類の長い歴史においては、つまり近代の学校教育制度が成立する以前の、人類史の圧倒的に長い期間においては、必ずしもそうした意図や装置がないにもかかわらず人びとは学んできた」
日本語
1
1
6
447
たつや
たつや@edu_tatsu·
松下(2000)「動機づけは、学習者の外側から学習が誘いだされる場合にせよ、学習者自身が自ら学習を呼び起こす場合にせよ、学習をさせようという意図を持って学習者以外のだれかが何ごとかを仕組むことを必要とする。
日本語
1
2
19
2.6K
たつや
たつや@edu_tatsu·
【参考文献】 田中耕治(1994)「戦後授業研究史覚え書き」グループ・ディダクティカ編『学びのための授業論』、勁草書房、pp.7-8。
日本語
0
0
3
459
たつや
たつや@edu_tatsu·
これに対して「新しい系統学習の原理として、①知識の系統的な教授 ②子どもの発達段階に則すること ③認識の発達段階に則すること ④知識と実践の統一」を提起している。
日本語
1
1
2
482
たつや
たつや@edu_tatsu·
田中(1994)は「問題解決学習の批判として、(a)近代主義(個人的自由主義) (b)知識の系統性の欠如 (c)基礎学力の低下 (d)はいまわる経験主義 (e)指導性の後退」をあげる。
日本語
1
4
27
4K
たつや
たつや@edu_tatsu·
【参考文献】 遠藤貴広(2017)「教育実践を支える評価ー民主主義の新たな基盤ー」田中耕治編『戦後日本教育方法論史』ミネルヴァ書房、p.163。
日本語
0
1
2
332
たつや
たつや@edu_tatsu·
遠藤(2017)「民主的な社会の実現に向けては、異質な他者と協働して新しい価値を創造する営みが欠かせない。例えばパフォーマンス評価の基準を調整するためのモデレーション活動も、信頼性確保の土台としてだけではなく、自分の行動や判断の拠り所となる基準を多様な視点から問い直し続ける契機になる」
日本語
1
0
6
1K
たつや
たつや@edu_tatsu·
【参考文献】 福田誠治(2023)『思考の世界は概念が支えるー主体的で、対話的で深い学びの行き着くところ』東信堂、p.46。
日本語
0
2
17
613
たつや
たつや@edu_tatsu·
ヴィゴツキーとデューイの学習と発達の概念が比較されている図。ヴィゴツキーは大人からもたらされる科学的概念の影響を重視する。一方で、デューイは、あくまでも、子どもの経験から学習が始まり、子どもが興味を持ち、学ぼうとしたことしか学習されないと考える。
たつや tweet media
日本語
1
34
198
11.9K
たつや
たつや@edu_tatsu·
【参考文献】 イヴァン・イリッチ(1977)東洋・秋山孝男訳『脱学校の社会』東京創元社、p.80。
日本語
0
0
2
488
たつや
たつや@edu_tatsu·
イリッチ(1977)「実際には学習は他人による操作が最も必要でない活動である。学習のほとんどは必ずしも教授された結果として生じるものではない。それはむしろ他人から妨げられずに多くの意味を持った状況に参加した結果得られるものである。たいていの人は『参加すること』によって最もよく学習する」
日本語
1
3
10
1.1K
たつや
たつや@edu_tatsu·
【参考文献】 桜井智恵子(2012)『子どもの声を社会へー子どもオンブズの挑戦』岩波新書、p.137。
日本語
0
2
9
959
たつや
たつや@edu_tatsu·
桜井(2012)「子どもたちにひたすら『教育』を要求しているのは、いったい誰なのか。どういうしくみなのだろうか」
日本語
1
3
20
3.4K
たつや
たつや@edu_tatsu·
【参考文献】 岩垣誠(1995).相互主体的な授業と教師の指導性―新しい学習観の検討―.『千葉大学教育学部研究紀要 第I部 教育科学編』,43,p.108.
日本語
0
0
1
161
たつや
たつや@edu_tatsu·
教師と子どもによる授業の共同構成について語る場合、授業の過程的構成だけでなく、授業内容の構成についても、子どもにその決定の余地と権限を認めるということが必要なのである」
日本語
1
0
1
170
たつや
たつや@edu_tatsu·
岩垣(1995)「教授者と学習者がすでに客観的に加工されたそしてカリキュラムの中にある授業内容をさらに取り上げて加工し合う時に、両者は、その授業内容に働きかけ、それと対決して、それを確認したり、訂正したり、それを要約したり、深めたり、それを両者の対象やテーマにしたりする。
日本語
1
1
5
693
たつや
たつや@edu_tatsu·
【参考文献】 岩垣攝(1995).相互主体的な授業と教師の指導性―新しい学習観の検討―.『千葉大学教育学部研究紀要 第I部 教育科学編』,43,105–112.
日本語
0
0
2
249
たつや
たつや@edu_tatsu·
岩垣攝(1995)「相互主体的な授業と教師の指導性」 「主体的な学び」と聞くと、子どもに任せ、教師は一歩引くイメージがある。しかし本論文は、教師の指導性を否定するのではなく、教師と子どもが授業内容や授業そのものを共同で構成する関係として捉え直している。
たつや tweet media
日本語
1
3
22
1.7K