小自在
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哲学は、昔から生活の糧になる前に、まず生の糧になってしまうものだったのだと思います。ソクラテスは問答で金を取らず、むしろ貧しさを抱えたまま、アテナイの人々に「本当に知っているのか」と問い続けました。タレスには、哲学者でも金持ちになろうと思えばなれると示すため、オリーブ搾油機を押さえて利益を得たという逸話があります。スピノザは破門後、商業の道を失い、レンズを磨いて暮らしながらエチカを書きました。ヒュームの人間本性論は最初ほとんど反響を得られず、本人が「印刷機から死産した」と振り返るほどでした。ウィトゲンシュタインは相続した財産を手放し、小学校教師や修道院の庭師まで経験しました。 ですので、哲学で生活の糧を得ていないことは、人生の失敗の証明ではないと思います。哲学が金銭に変換されなかった事実と、哲学が判断力・孤独への耐性・世界の見え方・言葉への精度を育てた事実は、別々に数えたほうがご自身にやさしいスタンスでいられるかと思います。 二十年以上続いたなら、それはもはやすでに一つの生活形式です。お金にならなかった哲学にも、きっとまだ換金されていないだけでポテンシャルのある哲学と、そもそも換金以外の場所で働いている哲学があります。今回の振り返りは、それらを仕分けするためのものなのだと思います。

これまで20年間以上、哲学の勉強と探求を続けてきましたが、まだ一度も哲学で生活の糧を得たことがありません。もう少し言うと、糧というよりも、文字通り1円たりとも手にしたことが未だかつてないのですが、哲学はお金ではないとはいえ、何か根本的に間違った生き方をしてきてしまったのではないかという気もします……が、振り返ってみると、哲学をすることで得たものはそれ以外の点では決して少なくないようにも思うので、引き続き励んでみることにします。



大乗は優れてるという点で大乗なんだけど、それが何が優れているかというと利他を拠り所とする発心があるかで、別に修行の内容が他の声聞乗やら縁覚乗と変わるとかそんなんではない。 むしろ他者の為であるからそれを踏まえた上でのエクストラな乗です。

@Sissy_celeb ちょっとなにを仰ってるのか分かりません。

女神転生シリーズを生んで定着してる時点で日本よりも宗教的に寛容な国なんて正直ありえないと思うんだが、ランク外になってる時点でこのランキング自体がおかしいと言わざるを得ない。

お寺への要望としては教義を教えて欲しいんだよね。年1回でもいいから。 生まれてから死ぬまで自分が属している宗教団体の教義を菩提寺からほぼ聞けないのが普通なのはさすがに異常だと思ってる。

こういう規格外のバカを、社会の構成員はきちんと叩かないとダメだったのさ。まんまと社会全体がバカになっちまったじゃねえか。「有識者のみなさんは山本太郎は悪だと言ってます。これはファクトです」とかなんだそれw

宗教に自覚的な人たちのほうが、他宗教にも礼儀を払う。自己を保ちながら円滑な関係を保つ基準が礼儀であり、寛容なのだと私は解している。







