ふきんぎょ
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ふきんぎょ
@fkyish
Global CIO of Tsuritter Japan Co.

しかも、30代後半〜40代の人は 東京オリンピック直後から不動産は暴落する。 と言われて、それで買わなかった人も多いでしょうからね。 今思えば、住宅金額も金利もあの時が1番安かった。

「FSD? 最初は毎日使ってたよ。」 US駐在から戻った同僚がそう言った。 正直、羨ましかった。 「で、どうだった?」 少し間があって、彼は笑った。 「今は、ほとんど使ってない。」 意外にも理由がシンプルだった。 「結局、監視しなきゃいけないから。」 そういって彼はドライバーに運転を任せていた。 日本では Tesla Full Self-Driving が いつ来るのかと盛り上がる。 新しい技術を体験したい。 これはすごく自然な感情だと思う。 でもアメリカは、 既に体験後の段階にいる。 彼らの基準はわりと現実的。 本が読めるなら使う。 メールが返せるなら使う。 でも常に前を見ていないといけないなら? 「それ、結局運転してるのとあまり変わらなくない?」 って感覚らしい。 ここでハッとした。 技術って、 ハイレベルなだけでは長続きしない。 人はすぐ慣れる。 一度体験したら、 次に欲しくなるのは性能の向上よりも あたらしい体験になる。 タスクを軽くするのと、 タスクを手放せるのは別物なんだよな。 監視が必要な自動化は 負担は減らすけど、タスクは残る。 完全自動運転の本質は ハンドルがいらなくなることではなく、 縛られていたタスクからの解放。 そこが変わった瞬間、 移動時間は拘束時間とは違う意味を持つ。 ただの移動が、 使える時間になる。 これは根本的な 設計思想の話かもしれない。 私はエンジン開発をしてきたので 速さや効率を追い続けてきたし、 達成しても更なる性能向上を目標としてきた。 でも今感じているのは、 次に評価されるのはそれではないということ。 どこまで人の作業を引き受けられるか。 技術は、性能で注目される。 でも社会に残るのは、 人の役割を変えたものなんだと思った。 あの同僚が少し物足りなさそうに笑った理由も、 きっとそこにあるのかな。




