馬上の先輩|会社のホンネを話す人

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@g6uuk

誰も教えてくれなかったことを話す |新卒6ヶ月で退社 |辞める前に副業で稼いだ |法人8年目が語る仕事術×会社の真実 |成果を出したい人はフォロー

Katılım Eylül 2025
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月曜の朝、仕事に行きたくなくて、布団の中でスマホを見てた。 これは6年前の私の話。独立して2年目、売上が3ヶ月連続で落ちてた時期のこと。 会社員を辞めて自分でやれば自由になれると思ってた。でも現実は違った。月曜の朝、クライアントからのメールが怖くて起き上がれない日があった。 あの日は確か、雨だった。 結局その日は14時まで布団にいた。何も進まなかった。自分を責めた。「独立したのに何やってるんだ」って。 今思うと、あの時期に気づいたことがある。 月曜が嫌なのは、会社員だからじゃなかった。「自分で選んでない感覚」が嫌だったんだと思う。 会社員時代は会社に選ばされてると感じてた。独立後は売上に選ばされてると感じてた。 結局どっちも、自分の人生を自分で握ってる実感がなかった。 6年経った今も、月曜の朝にだるいと思う日はある。でも「行きたくない」とは思わなくなった。 少しずつ、自分で選んでる感覚が持てるようになったからかもしれない。
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前職がパワハラで病んで辞めた私は、思った。 「残業なんて全然いい。人間関係さえまともなら」 実際に入社してみて、驚いたことがある。 月の残業は確かに多かった。平均して58時間。 毎日22時まで働いてた。でも、3ヶ月経っても精神的に病まなかった。 前職では月20時間の残業で適応障害の一歩手前まで追い込まれたのに。 違いは明確だった。全員が同じプロジェクトの成功を目指してた。ミスを責める人がいなかった。 困ったら「大丈夫、一緒にやろう」って言ってくれた。 朝会社に行くのが嫌じゃなかった。金曜日に「やっと休み」と思わなかった。 私はこの経験から学んだ。労働時間の長さと、精神的な負荷は比例しない。 誰と働くかの方が、何時間働くかより重要だった。 今自分の会社では、採用の時に「この人と毎日顔を合わせたいか」を最初に考えている。
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ホワイト企業に転職したいって言う後輩に「入口が狭いよ」って伝えたら、きょとんとされた。 私は法人を立ち上げる前、転職活動を3ヶ月だけやった時期がある。 狙ったのは離職率2パーセント台の老舗メーカー。でも書類選考で12社連続で落ちた。 理由を人材エージェントに聞いたら「ホワイト企業は辞める人がいないから、中途の枠が年に1人か2人しか出ない。応募倍率148倍です」と教えてくれた。 そこで気づいたことがある。 ホワイト企業の採用は「新卒」か「即戦力のハイスペ中途」の二択になりやすいんだと。なぜなら辞めないから育成枠を中途で取る必要がない。 だからポテンシャル採用は新卒に集中する。中途で入るには「入った瞬間から利益を出せる証明」がいる。 私は当時その証明を持っていなかった。だから転職は諦めて、自分で会社を作る方向に舵を切った。 それが正解だったかは今でもわからない。 ただ「ホワイト企業に行けば解決する」という幻想を手放せたことで、別の選択肢を真剣に考えられるようになった。 あなたがもし転職を考えているなら、求人票の「入りやすさ」も見てみてほしい。 楽園は門が狭いことが多いと、私は実感した。
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入社8ヶ月目で「効率上げたら仕事増えた」って気づいたとき、私は絶望したよ。 当時、私は営業事務をやっていて、先輩たちが3時間かけてた月次レポートを、Excel関数を組み合わせて45分で終わらせる仕組みを作ったんだ。 上司に褒められると思った。実際「すごいね」とは言われた。でも翌月から起きたことは、給料アップでも早く帰れることでもなかった。 隣の部署のレポートも私の担当になった。その翌月には、別フロアの資料作成も「得意でしょ」って回ってきた。月収18万4千円のまま、業務量だけが2.6倍になった。 あのとき私が学んだのは「組織の中での効率化は、自分の時間を生まない」ということだった。 組織は空いた時間を放置しない。必ず何かで埋めてくる。 だから私は考え方を変えた。会社の中で効率化するんじゃなくて、会社の外に効率化のスキルを持ち出そうって。退社後の2時間で、知り合いの個人事業主のExcel業務を月3万円で請け負い始めた。 同じスキルなのに、会社では時給換算820円、外では時給3750円になった。 今あなたが「頑張っても報われない」と感じているなら、それはあなたの能力が低いんじゃなくて、能力を発揮する場所が違うだけかもしれない。 私の場合はそうだった。
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看護師を10年やって主任になった友人が、手取り18万円だと聞いたとき、私は言葉を失った。 彼女とは高校の同級生で、年に1回くらい会っていた。32歳になったある日、食事をしながら給与明細の話になった。 「主任手当が月8千円ついたんだよね」と彼女が言った。それで手取り18万円。 私は自分の会社員時代と重ねて、背筋が冷たくなった。命を預かる仕事を10年続けて、その対価がこれなのかと。 私は経営者になって8年目だけど、この話を聞くたびに「給与は能力や貢献で決まるわけではない」という現実を思い知らされる。 業界構造、保険点数、人員配置基準、いろんな制約の中で給与の上限が決まっている。 だから私は「今の給料が低い」イコール「あなたの価値が低い」ではないと、強く伝えたい。 私の友人は間違いなく社会に必要な仕事をしている。それでも仕組みの問題で報われにくい構造がある。 もし給与に不満を感じているなら、自分を責めるより先に「この仕組みの中にいて幸せか」を問いかけてみてほしい。 私はそうやって会社を辞める決断をした。
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世界の絶景
世界の絶景@sizennaa·
ナミブ砂漠は300m級の砂丘が存在する。 その高低差によってこんな絶景を眺める
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会社の飲み会を、2年間全部断った。 最初は「体調が悪くて」。 次は「先約があって」。 その次は「親の具合が」。 嘘のバリエーションが増えていった。 最初の頃は罪悪感があった。 でも4回目くらいからは完全に慣れた。 今思えば、あの判断は正しかった。 月1回×24ヶ月で24回。 1回あたり3時間として、72時間。 その72時間で私は何をしていたかというと、副業の立ち上げをしていた。 具体的には、フリーランスとして最初のクライアント3社に営業をかけていた期間と重なる。 2年後、その副業の月収が会社の給料を超えた。 飲み会に毎回参加していた先輩たちは今もその会社にいる。 課長になった人もいる。 仲良くなった人もいると思う。 でも私はその会社にいない。 先日、当時の同期と久々に会った。 「あいつ飲み会サボりまくってたよね」と笑われた。 「そうだったっけ」と返しておいた。 その飲み会で何を学んだか、一つでも具体的に言えるか聞いてみたかった。 でもやめた。 時間の使い方に正解はない。 ただ「断れない」と「断らない」は全然違う。 あの頃の私は「断ってもいい」と気づいていなかっただけだった。
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同期が先に課長になった朝、私は特に悔しくなかった。 それが一番の発見だった。 入社2年目、同じタイミングで入った同期が先に昇格した。 上司から「Aくんが課長になります」と全体に伝えられたとき、私でも驚いたけど、胸の中に何もなかった。 悔しくない。 焦りもない。 嫉妬もない。 ただ「そうか」と思っただけだった。 その3ヶ月後に私は退社届を出した。 辞めてから気づいたことがある。 あのとき感情が動かなかったのは、私がその場所に本気でいなかったからだ。 本気でいないから、勝ち負けの感覚がない。 勝ち負けの感覚がないから、悔しくない。 悔しくないということは、その場に私の人生を賭けていないということだ。 会社員時代、残業を月50時間以上していた月が何度もあった。 でも「頑張っている」という感覚がまったくなかった。 身体は動いているのに、魂が入っていないみたいな感じ、とでも言えばいいのか。 独立してから初めて受注したプロジェクト、金額は18万円だった。 でも達成したとき、会社で何百万の売上を作ったときよりもずっと嬉しかった。 同期の昇格を聞いて何も感じなかったあの朝が、実はサインだったんだと今は思う。 感情が動かない場所に、居続けなくていいよ。
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これ見て思い出した。 私が23歳の時、上司の不正を「知らなかった」と言ったら「同じ部署で気づかないわけない」と詰められた。 結局3ヶ月後にその上司、普通に昇進してた。 「知ってて当然」って言葉、上に向かっては絶対使われないんだよね。 誰が言ったかで正しさが変わる会社、まだ多い。
s maa@smaa07315266449

サントリーの社員さんは当然皆さん知ってたんですよね? え?知らなかった? 同じ会社の社員なのに? おかしいなぁ… そちらの新浪元社長が社員が社長の行いを知らないなんてことない、知ってて知らんぷりしてた社員も同罪だ!って言ってたんですよ? で、サントリーって名前いつ変わります??

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10円のうまい棒を万引きしたら、即警察を呼ばれる。 当然だ。れっきとした犯罪だから。 でも毎日15分早く来させて、着替えと掃除をさせて、タイムカードを押させない会社は、誰も警察を呼ばない。 同じ犯罪なのに、扱いがまったく違う。 会社員4年目のとき、上司から言われた。 「朝礼前に掃除の担当があるから、8時45分には来てね」 朝礼は9時。 その15分に給与はなかった。 月20日働くとして、15分×20日=300分=5時間。 毎月5時間分の給与が消えていた。 1年では60時間。 私がその会社にいた3年間では、180時間分だ。 「掃除くらい当たり前でしょ」という空気があった。 誰も文句を言わなかった。私も言わなかった。 でもこれは労働基準法違反だ。 使用者は、労働時間を適正に把握しなければならない。 未払い賃金の請求権は、今は3年間ある。 当時の私はそれをまったく知らなかった。 知っていれば、少なくとも選択肢があった。 職場を変えるにしても、交渉するにしても、「知っているかどうか」で行動が変わる。 法律は、知っている人のためにある。 知らないままでいることが、いちばん損だ。
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新卒で入った会社を6ヶ月で辞めた私が、後輩に就活の相談をされたことがある。 「就活って、本気でやる必要ありますか?」 迷わず「ある」と答えた。 というよりここで手を抜くと 文字通り【地獄】が待っている。 私は就活をほぼ手を抜いた。 「なんとかなるだろう」と高をくくっていた。 ESを真剣に書いた会社は3社くらいで、面接対策もほぼゼロだった。 それでも何社か内定をもらって、「就活って意外と簡単じゃん」と思った。 でも独立して8年経った今、新卒カードの重さを痛感している。 あの時期だけが、実績ゼロでも最大手に挑戦できる唯一の機会だ。 その後に同じ会社に入ろうとすれば、圧倒的なスキルか実績が必要になる。 新卒で入った会社で積む経験と人脈は、10年後を大きく変える。 逆に言えば、ここで手を抜いた分のツケは、後で何倍にもなって戻ってくる。 私は6ヶ月で辞めてなんとかなった。 でもなんとかなったのは、相当な運があったからだ。 運に頼れる根拠は、当時の私にはなかった。 後輩に伝えたのはこれだけだ。 「選択肢が最も広い今、全力を出せ。後悔するのは一瞬じゃなく、ずっと続くぞ。」 就活をガチることを、私は手を抜いた側の人間として言っている。 だからこそ、本気で言っている。
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「副業で月30万稼いでます」 独立前、その言葉に何度も振り回された。 セミナーで出会った人に言われた。 SNSでも繰り返し見かけた。 「何をやってるんですか?」と聞くと、たいてい返答が曖昧だった。 会員権利を売るとか、紹介して稼ぐとか、インフルエンサーになれるとか。 本当に副業で稼いでいる人は実在した。 でも「副業30万」を見せびらかす人の多くは、その「仕組みを売ること」で稼いでいた。 つまり、30万の正体は「稼げる方法を教えます」という情報商材だった。 独立して8年、今の私には実際の副業収入がある。 クライアントとの契約から生まれる収入だ。仕事の対価として振り込まれる。 気づいたことがある。 本当に稼いでいる人は、稼ぎ方を見せびらかさない。 サービスの中身を語る。成果を語る。失敗を語る。 「副業で稼ぐ方法を教えます」という人のビジネスモデルは、「その情報を売ること」だ。 そしてその情報を買った人が、次の売り手になる。 副業を始める前に、まず何を売るかを決めた方がいい。 稼ぎ方より先に、届けられる価値を考えた方がいい。 私はそれに気づくまで1年かかった。 遠回りした分だけ、今は伝えられることがある。
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上司に評価されたいなら、成果を直接報告するな。 入社5年目のとき、それを実感する出来事があった。 私より後輩のAさんが、年次評価で私を上回った。 仕事の量も質も、私の方が上だったと思っていた。 後で気づいた。 Aさんは成果を上司に直接言っていなかった。 代わりに、隣の部署の先輩に仕事の話をしていた。 上司の耳には、第三者から「Aさんがこんなことをやっていた」という話が届いていた。 第三者から聞く話は「客観的な評価」として処理される。 本人から言われると「自己アピール」として処理される。 これは人間の認知の問題で、上司が意地悪なわけじゃない。 成果を語るより、成果が第三者の口から届く仕組みを作る方が評価される。 独立してからも同じ原理が働いている。 私が「私はすごいです」と言うより、クライアントの声を提示した方が信頼される。 若手のうちに気づいた方がいい。 仕事の質と評価は、自動的には連動しない。 どんなに良い仕事をしても、それが上司の耳に届かなければ存在しないに等しい。 質の高い仕事と、届け方の設計、その両方を持っている人だけが正しく評価される。 どちらか片方では足りない。
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残業60時間した月、給与明細を開いた。 深夜0時を超えることが週3回以上あった月だ。 土曜も出た。 合計で60時間を超えていた。 増えた手取りは、約1万2千円だった。 頭が真っ白になった。 1時間あたり200円だ。 これはおかしい、と思った。 でもそのときの私には、それが「制度としておかしい」という言葉にならなかった。 ただ「なんか損してる気がする」という感覚だけがあった。 後になって知ったこと。 残業代は「基本給」を基準に計算される。 でも会社によっては基本給を低く設定して、その分を手当で補填している。 手当は残業代の計算に含まれないことが多い。 だから「月給28万」でも、残業代の計算ベースは「基本給16万」というケースがある。 見かけの給与と、残業したときの実入りが全然違う。 入社前に誰も教えてくれなかった。 独立してから改めて労働基準法と給与計算を調べた。 そのとき初めて「あの計算はそういうことだったのか」と腹の底から理解した。 怒りよりも、先に悲しくなった。 知らなかった私を守る仕組みが、どこにもなかった。 給与明細の計算式、一度ちゃんと確認してみてほしい。
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副業で初めてお客さんに感謝されたとき、泣きそうになった。 金額は5千円の案件だった。 クラウドソーシングで受けた小さな文章の仕事で、納品したら「すごく助かりました、またお願いしたいです」とメッセージが来た。 そのとき気づいた。 会社では、一度も「あなたに頼んでよかった」と言われたことがなかった。 売上の数字は見ていた。 目標達成の報告もしていた。 でも「あなたが作ったものが、誰かの役に立った」という直接の言葉を、もらったことがなかった。 会社の仕事は、私の貢献がどこに届いているかが見えにくい。 お客さんの顔が見えない仕事が多かった。 5千円の案件で「また頼みたい」と言われたとき、初めて私の仕事が誰かに届いた感覚があった。 なんか、手が震えた。 たった5千円で、こんなに満たされるのかと思った。 それから少しずつ副業の規模を上げていった。 独立を決めたのは、あの体験がなければなかったと思う。 誰かに直接「ありがとう」と言われる仕事がしたい。 その気持ちが、今の私の原点になっている。 5千円の案件が、人生を変えたんだよ。
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転職を決めた日、誰にも言わなかった。 止められると思ったからじゃない。 言葉にした瞬間に、迷いが生まれると思ったからだ。 会社員5年目のある夜、一度だけ直属の先輩に相談したことがあった。 「今は転職市場が厳しいから、もう少し様子を見た方がいい」 その先輩は入社13年目だった。今もその会社にいる。 気づいたことがある。 転職を決意した人の周りには、たいていその決意をしていない人が多い。 だから「リスクを知っている人」と「その先を経験した人」の数が、最初から不均衡なんだ。 相談すれば、リスクは丁寧に教えてもらえる。 でも「そのリスクを越えた先に何があるか」は、越えた人しか知らない。 私が転職を決めた日、決め手は単純だった。 「5年後もここにいる私を想像したとき、まったく嬉しくなかった」 それだけだった。 家族にも、友人にも、誰にも言わずに退職届を出した。 誰かに言葉にして整理する前に、私の感情がもう答えを出していた。 相談が必要なこともある。 ただ「決断の前に必ず相談」が常に正解とは限らない。 時には、黙って動き出すことが、正しい選択のこともある。 感情はもう、答えを知っていることがある。
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この会社が好きです」と言えなかった。 入社してすぐ、先輩に「うちの会社どう思う?」と聞かれた。 「いいと思います」と答えた。 3年目の面談で上司に「この仕事は好きか?」と聞かれた。 「はい、やりがいがあります」と答えた。 全部嘘だった。 正確には、嘘というよりも「本当のことを言う選択肢が見えなかった」という感じだった。 好きでも嫌いでもなかった。 ただそこにいただけだった。 会社って「好きか嫌いか」を確認する場所じゃないから、それで別に問題はなかった。 仕事はこなせていた。 人間関係も悪くなかった。 でも退社する日に6年分の荷物をまとめながら、ふと考えた。 この場所を好きだと思った瞬間が、6年間で一度もなかった。 悲しいとか、もったいないとか、そういう気持ちもなかった。 ただ「そういうものか」と思った。 それがなんか、一番怖かった。 感情が麻痺していたのかもしれない。 独立して8年、今の仕事は好きだ。 朝起きて「今日も仕事がある」と思えることが、普通に嬉しい。 この感覚が、6年間まったくなかった。
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