Tom Hama

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Tom Hama

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@hama2tom

「スポーツなくして民主主義なし」みたいなことを理論化しようとしています。論理学/議論法がベースですが、言論空間におけるプレイヤー、審判、観客の構成や役割にも注目。ツイートは基本的に「自分用の記事等切り抜き+備忘メモ」「他人に聞かれてもいい独り言」です。

Chiba, Japan Katılım Eylül 2010
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Tom Hama
Tom Hama@hama2tom·
衆院選における与党の圧倒的勝利、世界大戦を闘っている民主主義国家の政府へのものに匹敵する規模だよね。有権者が現在の日本を「準戦時中」と認識しているともいえる。正確には「軍拡を続ける近隣の専制国家の指導者に計算違いを起こさせないレベルに日本を強くする闘い」ということだけど。
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CLAP_ANIMATION_STUDIO
CLAP_ANIMATION_STUDIO@CLAP52659123·
#ポンポさん5周年 を記念しての『 #映画大好きポンポさん』設定資料お蔵出し。ここまではキャラクター設定を中心に取り上げてきましたが、来月からはさらに様々な素材を公開し作品を深掘りしていく予定です!  ぜひお楽しみに! #ポンポさん
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ひし
ひし@hisibird·
『パリに咲くエトワール』。ホントに設定資料集と絵コンテ集を観たいなぁ。この作品に関しては、「参考にして描きたい」っていうより、ガチでただ単に「こだわりを観たい」の方が強い感じ。出して。買うから出して。そして観せて。こだわりを観せて。
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白土晴一@「Watch Dogs Tokyo」第1~3巻発売中!
日本人画家でも エコール・デ・ボザールやアカデミー・ジュリアンを目指す人は多かったですが、藤田嗣治のようにそういうアカデミズムとは離れて、当時の前衛的な画家と付き合って、独学で自分の画風を確立した人物もいます。アンリ・ルソーのようにパリの税関で働いて、独学と画家サークルの付き合いの中で絵を描き続け、退職後に画家としての地位を確立した人物もいるので、正規の教育機関は有効ですが、それ以外の方向から画家で大成する人もいます。
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白土晴一@「Watch Dogs Tokyo」第1~3巻発売中!
日本人画家がパリに渡ったケースだと、上野の工部美術学校などの卒業者であれば、教わった外国人講師のコネクションを使って、フランス人画家に師事することは多いですね。黒田清輝みたいに法律を学ぶためにパリに渡ったのに、パリで芸術に目覚めてパリにいる日本人画家のコネクションをつかってちゃっかり入り込んじゃうような人物もいますが。
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白土晴一@「Watch Dogs Tokyo」第1~3巻発売中!
1910年代は、このカサットや洗濯女やサーカスの芸人を経て、画家たちのモデルから画家になったという異色の経歴のシュザンヌ・ヴァラドンなど、女性芸術家が台頭し始め、女性の芸術教育への扉は開きつつありますが、それでも制約も多く、資金がなければ、人脈を広げて教えてくれる人を探すか、独学ということも多かったのです。
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白土晴一@「Watch Dogs Tokyo」第1~3巻発売中!
彼女はアメリカの美術アカデミーで美術を学びましたが、男子学生の見下しに腹を立ててパリに渡り、模写人(Copyist)として独学の絵画修行を始めました。模写人はルーブルのような公共美術館の許可を得て、展示されている名画をその場で模写する人のこと。正規の美術教育から排除されていた人々にとって公共美術館は無料の教師であり、19世紀のルーブルでは名画の前の模写人は名物と言えました。collections.louvre.fr/en/ark:/53355/…
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白土晴一@「Watch Dogs Tokyo」第1~3巻発売中!
それ以外の方法だと、画家の個人的な授業やアトリエに入る方法がありますが、これはコネが必要。女性芸術家の相互補助的なサークルはあったのですが、これもコネが必要ですね。それ以外で「独学」というのは無視できない学びでした。この独学で画家としてのパリで地位を築いたのは、アメリカ人のメアリー・スティーヴンソン・カサットでしょうか。ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1…
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Tom Hama
Tom Hama@hama2tom·
そうなんや。>RP
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白土晴一@「Watch Dogs Tokyo」第1~3巻発売中!
映画「#パリに咲くエトワール」の時代の女性の美術教育ですが、19世紀後半の女性画家が多くの制約を受けていた状況よりは、多少マシになってはいました。女性芸術家の激しい運動を経て、国立美術学校エコール・デ・ボザールが女性に入学資格を許可したのが1897年(あくまで資格で誰でも入学できるわけではない)。私学系のアカデミー・ジュリアンやアカデミー・コラロッシなどは女性を早くから受け入れていましたが、そこそこの入学金が必要。
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take6
take6@take6___·
山口敬之さんが「中川昭一を葬った読売新聞」という見出しには大きな意味があるのです。 読売新聞の創始者の正力松太郎はコードネームPODAMを持つCIAの工作員でした。 最近で印象深かったのが岸田氏が首相のときに、首相自ら読売新聞社に行き、当時存命中の渡辺恒雄氏にお伺いを立てに行ったことです。 普通は民間人を官邸に呼ぶのでしょうが、なぜか? 読売グループは今でも米民主党系グローバリストと近い存在であり、彼らが小泉・林を推しているということからしても明らかです。 また、日テレは取締役に3人もの財務省などからの天下りを受け入れています。 当然、財務省は積極財政派の高市さんが総理になっては困るので、例の鹿問題で、やらせを使ってでも高市潰し報道をやっているのが読売系列の日テレなんです。 中川昭一氏の酩酊会見にも読売は関わっています。彼に薬を飲ませたとされる越前谷知子氏は読売新聞の記者でした。 安倍さんがお亡くなりになった直後、山上被告が統一教会と安倍さんの関係を結びつけて報じたのも読売新聞です。 これから、何かが見えてきませんか?
nao🇯🇵@blackholm2

➡️中川昭一を葬った読売新聞(3/29 山口敬之チャンネル) m.youtube.com/watch?v=LzIJBQ…

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平井宏治 KOJI HIRAI
当時の映像を拝見すると、中川大臣の表情について多くの疑問が浮かぶ。酒に酔った影響であったのか、それとも他の要因があったのかということ。また、さらに気になるのはテーブル上に置かれたワインの瓶。国際会議の記者会見において、果たしてワインの瓶がテーブルに置かれるものなのか。過去に中川大臣の記者会見では、同様の状況が見られたのかどうか、この点についても関心を持たざるを得ない。同席した方は、この異様な光景に対してどのように感じたのか。
358ちゃん@max358japan

@shimihiro_kitaq 中川昭一財務相は、ローマで開催されたG7サミットで泥酔したかのようなパフォーマンスを見せたため、火曜日に辞任。 最後の記者会見のビデオ映像では、55歳の彼が混乱し、眠気に襲われ、言葉を濁している様子が映し出されています。

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凜@いとお菓子
凜@いとお菓子@ring_arisue·
@mi2_yes あの状態の中川氏を、酩酊会見と散々騒ぎ散らかしたことは目に余る行為ではないとでも言うのでしょうか。 明らかに不自然な行動が散見させるのに。
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Mi2
Mi2@mi2_yes·
拡散されてる中川昭一さんのG7財務大臣会議後の酩酊会見真相まとめ 妻・中川郁子さんがフェイスブックに読売新聞記者を名指しして「この薬を飲んで」と薬を渡されたと投稿 ↓ 著名人達が𝕏で拡散 ↓ 読売新聞「虚偽情報!目に余る投稿の削除を求める法的措置を検討する」
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あんかけナポリ
あんかけナポリ@napori_ankake·
確かに言われてみれば、直近24時間で最もインプレが上昇したのにトレンドに上がらないのは不自然。何より中川氏の酩酊会見はのちに麻生政権総辞職の発端となった事件でもあり、日本の内閣総辞職に関して特定の工作があった事を裏付ける今回の実名告発は本来なら全メディアが大騒ぎしてもおかしくない大事件だろう。
まこ🎌@yutakanitsuyoku

中川郁子さんの投稿でこれだけ騒ぎになっていても、トレンドに一切あがらない これが日本の闇

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なか
なか@nakashin401·
#パリに咲くエトワール のギャルソン 視聴3回目の気付き✨東洋人差別者の超絶イヤな奴かと思ったら実はフジコ推す様になり… ギ「チケット買う金あるのか?」 フ「実はですね〜✨」 ギ「ハァァ〜?😩」 ↑多分コレはチケット工面してあげる気満々だったのに拍子抜けだったんじゃないかと 多分良い人☺️
なか tweet media
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june🌸
june🌸@merjune3·
酩酊会見で、新聞テレビは麻生政権と中川氏を徹底的に叩き、世論を民主党支持に誘導していた。米民主党のオバマ氏は安倍さんの靖国参拝を批判したり、日本より中国寄りだったのは言わずもがな。安倍さんはトランプ大統領を味方につけ、中国の一帯一路に対抗する「自由で開かれたインド太平洋計画」を推進。中川昭一氏が亡くなるまでの日本と米国は 🇺🇸2007年サブプライムローン問題からバブル崩壊 🇺🇸2008年リーマンショックが起き 🇺🇸2009年1月米オバマ政権へ 🇯🇵2009年2月G7でIMFへ融資を決定、酩酊会見 ↓ メディアによる激しい自民党批判と民主党の耳障りの良い政策に騙され、多くの国民が騙され ↓ 🇯🇵2009年8月自民党大敗(麻生政権)→民主党政権交代 🇯🇵2009年10月中川氏の不審死 中川氏の死後 ①玉木林太郎氏は、財務官に昇格しOECD事務次長へと異例の出世。 ②中川氏に玉木氏を紹介した人物は民主党政権で外務事務次官に昇格 ③自民党政権に戻ると、安倍総理は②の人物を更迭。9ヶ月で退任となる。 ③の件で、郁子さん曰く、「安倍総理は、何かを知っていたのかも知れません。」 今のアメリカがトランプ政権だからこそ、告白できたのかもしれませんね。日本は米国政権次第です。米国が民主党になると日本もリベラル政権。バイデン氏だった時は岸田元総理によるリベラル路線でした。トランプ大統領に代わり安倍政権、高市政権。日本を独立させないために、米国は日本から最先端技術やお金を取り上げてきました。でも軍も核も持たない島国日本は現実的には米国と協力し合うしかない。自民党に保守とリベラルが存在するのは米国政権に対応する所以かなと。 ※中川郁子さんの全文はリプ欄に貼っておきます。
june🌸 tweet media
june🌸@merjune3

だけど、中川郁子さんは、何故今になって故中川昭一氏に対しての陰謀を暴露したのだろう?

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こたママ kotamama
こたママ kotamama@kotamama318·
2009年、不自然な酩酊会見の真実。 ネットでは周知の事実ですが、 奥様の中川郁子さんが直接投稿されるのは重い。 美しい家族写真が切なすぎる。 中川昭一さんの汚名を晴らしてほしいです。 facebook.com/yuko.nakagawa.…
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諸井真英/Masahide Moroi@moronojapan

故・中川昭一元財務相の奥様、中川郁子元衆院議員がSNS上で2009年のローマでの記者会見について何が起こっていたのかを明らかにしました。 私は関係者から大体聞いていた話なのですが、私から後悔することは控えていました。 公開投稿なので以下引用します。 夫は、帰国して成田空港を出て、わたしと電話で話をするまで、ローマの記者会見について、日本のテレビやネットで大炎上していたことを知らなかった… 同行していた財務省の方々が、なぜ、夫に伝えなかったのか。 今でも疑問に思います。 〜〜〜〜 2009年2月13日、ローマでのG7会合の合間を縫って 夫は、日本の財務金融担当大臣として、IMFのストロスカーン専務理事と調印式を行いました。 リーマンショック後の金融危機に対応するため日本からI MFに1000億ドルの融資を実施するという合意文書に調印したのです。 日本がIMFの資金基盤を強化し、新興国を含む世界経済の安定に貢献するための重要な金融支援でした。 日本が世界的な金融危機に大きな貢献をし、その危機管理能力を高く評価されるものと、夫も、麻生太郎総理大臣も確信していたのでした。 夫は、成田空港到着後、財務省の公用車に乗りこむと直ぐに、わたしに電話をかけ、 「日本のテレビはどうだった?ずいぶん褒めていただろう?」 と聞きました。 日本では、IMFとの調印式について全く報道されないどころか、 朝から「酩酊会見、日本の恥だ!」 テレビもネットも大騒ぎだったのです。 スマホ、タブレットもSNSもない時代です。 本人は、役所の方々から聞かされなければ何も知ることは出来ません。 ローマには、篠原財務事務次官も玉木林太郎国際局長やその他の幹部職員も、財務省側の秘書官などたくさんの方々が同行していました。 成田空港には、大臣出張を出迎えるほかの幹部もいたはずです。 成田空港到着は午後3時過ぎ、わたしがテレビで見たのは午前9時。息子がインターネットで大騒ぎになっていることをわたしに知らせてくれたのはそれより前です。 なぜ、夫には情報は伝わっていなかったのか? わたしは、夫の問いに 「なにも知らないのですか?その車に乗っている秘書官にすべて聞いて下さい!」 と答えるのが、やっとでした。 翌朝、山本高史秘書(中川事務所)が泣きながら、わたしの家に来ました。 IMF調印式のあと「今日の会見はなくなりました」と財務省側の事務秘書官から言われたので、財務大臣会合で各国の大臣からいただいたお土産などを、パッキングするために自分の部屋に 戻ったのだそうです。 しかし、その後、 「会見が始まります」と言って誰かが連れ出したのだ、 と説明をしました。 後日、夫を連れ出したのは、玉木林太郎国際局長だったことがわかります。 山本秘書が部屋に戻ったのを確認すると、玉木林太郎国際局長は、まず、夫をランチに誘いました。 オフィシャルなランチ会合は既に終わっていましたが、内輪でやり直そう、と玉木林太郎さんがセッティングしました。 そこには、読売新聞の越前谷知子記者、日本テレビ原聡子記者がいました。 越前谷さんは、玉木林太郎さんとは特段の仲らしく、わたしは面識はありません。 一方、原聡子記者は、夫の好きな「笑点」の公開録画に誘うなどずいぶん近づいていましたが、日本テレビ社内的には担当外でした。 夫も、玉木林太郎さんから「記者会見はなくなりました」と聞いたそうです。 このとき、夫は、越前谷さんから、「記者会見がなくなったのなら、この薬を飲んで食事のあと、ゆっくり休んだら?」と言われて、渡された薬を飲みワインを一口だけ飲んだのだそうです。 夫は、ワイン好きでしたが、海外出張のときは飲まないようにしていました。 この直後、越前谷知子記者は、「おもしろいことが起こるわよ」と、複数の人に伝えていたそうです。 事件後、越前谷記者は、アメリカ勤務になり日本からは姿を消しています。 原聡子記者は、誰より先にわたしたちの自宅前に到着して夫の帰宅時にマイクを向けていました。 その後、日本テレビの花形情報番組の「バンキシャ!」のキャスターに抜擢されています。 話は戻ります。 ランチのあと、部屋に戻り休んでいる夫を、玉木林太郎さんが 「記者会見は、やはりやることになったので」と言って迎えに来たのです。 夫の死後、葬儀が終わったあとになってやっと現れた玉木林太郎さんは 「ホテルの部屋にお迎えに行ったとき、中川昭一大臣は酩酊状態ではなく、しっかりとしておられました。これによって中川大臣の名誉は保たれます。」 と言われました。 わたしからは 「財務省の名誉が保たれる、の間違いではないですか?」 とお応えしました。 玉木林太郎さんは、麻布高校の同級生でしたが、在学中も卒業後も全くお付き合いはありませんでした。 夫が玉木さんを認識したのは、玉木さんが在アメリカ合衆国日本大使館経済公使になられた頃です。 ワシントンで、別の経済公使から紹介されました。 夫が財務大臣に就任してから、玉木林太郎さんも国際局長へとジャンプアップし、なにかにつけて相談しているようで、いちばん近くにいた印象があります。 帰国後、予算委員会での審議の2日目の夜、自民党から慶應病院に入院するように促され、テレビのテロップで「財務大臣更迭」を知らされました。 「病室ではテレビを見ないでね」と、 高校生だった息子が、TSUTAYAで夫が大好きな映画をたくさん借りて来ました。 数ヶ月後、会見を見たのか恐る恐る尋ねると、 「見た、信じられなかった…」 そのときの夫の顔を忘れることができません。 わたしは、その後、何度も「記者会見」を見ましたが、ろれつがまわっていない夫の両脇には、篠原財務事務次官と白川日銀総裁が、何も言わず、表情をひとつ変えずに座っていたこと、テーブルにはワインが置かれていたことは、極めて不自然に思いましたし、今でも不思議でなりません。 玉木林太郎さんは、その後、財務官に昇格し、夫の死後は、 OECD事務次長へと異例の出世をして行きます。 夫に玉木林太郎さんを紹介した方もその後、民主党政権で外務事務次官に昇格しましたが、自民党に政権が戻ると、安倍総理から事実上の更迭、僅か9ヶ月で退任することになります。 安倍総理は、何かを知っていたのかも知れません。 〜〜〜〜 「自分は、アメリカから殺される」 「こどもたちを頼む」 夫が繰り返し、わたしにそう話すようになったのは、亡くなる10年ほど前からだったと、思います。

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