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I just like coffee and headphones. Please don't message me. Because I don’t like it. I suspended my blog that I had been writing until September 2022.

Katılım Ocak 2023
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月刊 Casa Brutus(カーサ ブルータス)の5月号。表題は「オーディオとインテリアのいい関係とは?」である。 現代の日本のオーディオファイルは、手に取って見るべき本だろう。少なくとも私は、若い人たちのオーディオに対する眼差しの斬新さに、ショックを受けた。 ここでは、オーディオ機器も音楽も、インテリアの一部として、家具や間取りと美しく溶け合って、調和のある心地よい部屋を作るためにあるのだ。 オーディオそのもの、つまりシステムから出てくるサウンドが、あらゆる事に優先する、古典的なオーディオマニアの世界とは異なる世界が展開している。 この雑誌は、個人的にはステサンよりは役に立つ本かもしれない。なぜかと言えば、ページをめくるたびに、オーディオシステムに関するイメージを大いに掻き立てられるからだ。オーディオ機器に散財したくなる。こんな物欲の高まりは久しぶりだ。 そういえば最近、ナショナルジェオグラフィックという有名な海外雑誌に日本のジャズ喫茶の特集があった。日本のオーディオ界で有名な、あの方が表紙で、目にした方も多かろう。こういう雑誌の特集の背景には、日本のオーディオのスタイルに対する関心の高まりもあるような気がする。 Casa Brutusの特集のページ数は結構多くて、素敵なオーディオのインテリアの写真が沢山見られる。皆さん、とにかく物凄くオシャレにオーディオをやっている。無茶苦茶カッコいい。ステサンの最新号でもお宅訪問がいくつかあったが、かなり違った内容だ。やはり切り口は新しい方がいい。 だが逆に、ブルータスに出てきた人々はオシャレに対するこだわりほど、音質には深くこだわっているとは言えないようだ。 それは機材の置き方や内容を見ればすぐ分かる。ここは気持ち良く音楽を流しながら、リラックスして過ごす場所であって、一音一音に耳を澄まし、オーディオの高みに向かって集中する場所ではないからだろう。 こういうオシャレなオーディオ部屋というか、オーディオを置いたリビングは、ゴリゴリのオーディオマニアの世界とはまるで違う。 例えアルテックのホーンスピーカーがデンと置いてあったとしても、音楽はインテリアの一部としての役割しかしていない。私にしたら不思議だが、彼らはホーンスピーカーの音の良さよりも、むしろその形の独特の美しさに惹かれている部分が大きいようだ。このスピーカーをオーディオとして生かすには、どれくらいの音量を出すべきかなど、考えたことが一度でもなかったという話を聞いたことがある。オーディオそのものに凝ってるわけではないのだ。 彼らのオシャレな部屋にはアナログプレーヤーもCDプレーヤーも置いてあるが、これも単にオシャレだからという部分が大きいらしい。とびきり音の良いCDプレーヤーやアナログプレーヤーを求めているわけではなく、そこそこの音だが、オシャレな機材を探しているのだ。例えば、彼らと話すとフォノイコライザーを全く知らない場合が少なくない。音は出さえすれば良い、くらいなことを言ってる人まで居た。オーディオに詳しくなりたいなどと、あまり思ってはいないようだ。挙句、音の出ないジャンクのオラクルのCDプレーヤーをカッコだけで買い求める者さえいると聞いた。正直、彼らとは全然話が合わない部分が沢山ある。 つまり、現代において、オーディオというものは、分岐し、変化している。そして、その分岐した先では互いに交流はなく、相互理解が全くないわけではないが、明らかに少ない。 イメージとしては、いろいろなオーディオとの関わり方が並行世界のように林立している。それが現代のオーディオだ。 十数種のイヤホンを使い分ける者、有線ヘッドフォンに百万円を払う者、トータル1億円の巨大なオーディオシステムを別荘に置く者、こじんまりしているが極めてオシャレなシステムを自室で静かに鳴らす者、ワイヤレスヘッドフォンで通勤しながら音楽を楽しむ者。ヴィンテージオーディオを集め修理して鳴らす者。 皆、それぞれ自分の好みの道を行くわけだが、自分だけではいつか行き詰まってしまうこともある。 雑誌は、これら様々なオーディオ世界を、それをまだ知らない人たちに紹介して、新たなアイデアを生む刺激になって欲しいものだ。
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土曜の昼下がりはブルーノート青山で、ジャズピアニストのポール・コーニッシュの演奏を聞いてきた。ベースはジョシュア・クランブリー、ドラムスは、きたいくにと、というピアノトリオである。 彼は、最近売り出し中のピアニストで、ライブは初めて聞いたが、非常にリリカルで繊細な演奏であって、感心した。 静けさや間を多用した、個性的なジャズピアノであり、伝統的なピアノトリオの演奏とは一味違う。非常に美しいタッチが随所に見え、抒情的な感じがした。 彼のジャズピアノでは、一続きの曲は、まるで一片の詩のようで、音楽的であると同時に文学的だった。 急遽の代役とは思えないドラムスの演奏も良かったが、ジョシュア クランブリーのベースが、ピアノやドラムに埋もれることなく、常に存在感を出していたのが忘れ難い。 ポール コーニッシュはCDを時々聞いていたアーティストなのだが、今ひとつ、彼の音楽の全体像がつかみきれない感じがしていた。彼のライブに行って、CDでは表現しきれない臨場感を耳にしたことで、初めて彼の音楽が理解できた。やはりライブには行くべきだ。
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自分がなぜArcTec Berlin AB 92のサウンドに、これほど惹かれるのか?よくよく考えてみる。 もしかして、これは現代のハイエンドヘッドフォンが発展し洗練されるにつれて、むしろ音の個性から来る面白みが薄くなってしまったことに、私自身が潜在的な不満を感じたからではないか? この言わば「うっすらした不満」を感じるようになったのはここ2、3年のことかもしれない。 実際、ここ2、3年で、ハイエンドヘッドフォン全体にバランス良く整った音、普通さを前面に出した、クセの少ない無個性な音を出すものが明らかに増えてきたのは良かったとは思う。それはヘッドフォン技術が明らかに進歩し、音響特性が向上し、過去には不可能だった、あらゆる音楽ソースに対する公平で忠実な再生が可能になったことを意味するからだ。 だが反面、少しだけ、つまらないかなと思うようになったことも確かだ。そういうフラットな音質の傾向によって、音楽の熱いたぎりや踊り出したくなるようなウキウキした楽しさが削がれたり、麻薬的にクセになってしまいそうな音の感触の気持ち良さが素直なリアリティのみに変換されてしまったと感じたことは少なくない。 元来、オーディオファイルとは限りなく贅沢な心の持ち主であり、一度でもそこに引っ掛かりを感じたが最後、さらなる新しいサウンドを無意識に求めてしまうものなのだ。 確かに、そういう音楽性や魅惑的な音色を持つヘッドフォンが、ハイエンドヘッドフォンという分野においては、高性能を求めたせいで少数派になりつつある気配は感じていて、ArcTec Berlin AB 92の麻薬的なサウンドは、そこに対する鋭いアンチテーゼに、図らずもなっているような気がする。あくまで「図らずも」なんだろうけど。(作り手にとってはベストバランスのサウンドのはず) ハイエンドオーディオの傾向というものは、音楽的で楽しいが多少荒れたサウンドと、高性能で整っているが、少しばかりつまらない音が交互に出現すると看破した人が、かつて居た。 この説は、現代に突如出現した、ArcTec Berlin AB 92について考えた時、真に正しいものだと思わざるを得ない。
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ArcTec Berlin AB 92について毎日考えている。 このヘッドフォンのサウンドを一言で言えば、極めつきの美音系。圧倒的な音数の多さと音の感触の気持ち良さの相乗効果が今まで聞いたことのないヘッドフォンサウンドを創出する。これほど快楽性の強いサウンドはあまり類例がない。STAXやHIFIMANも独特の耳触りの良さを持つが、AB 92のサウンドにあるような、妖しい輝きやペパーミントフレーヴァーを持つことはない。 ここでもFinal DX10000CLは無論すごく気になるが、価格が価格だけに、そしてまだプロトタイプであるがゆえにもっと検討する必要がある。だがArcTec Berlin AB 92の方はもうすぐにでも手を出していまいそうなイメージが、私の中に出来つつある。ハイエンドヘッドフォンの歴史の中で、異彩を放つ傑作を自分の部屋で鳴らしたい。そういう機運が高まっている。
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Woo audioのWA12 Zirconヘッドフォンアンプ。今月発表されたばかりのWoo audioの新しいフラッグシップヘッドフォンアンプである。真空管式ではなく、半導体を用いたフルバランス回路構成であり、ボリュームパーツは、高品質で定評のある、東京光音製のものを採用している。電源は内蔵されたバッテリーと通常のAC電源を切り替えて使えるところが新しい。バッテリー使用時はSNの高いサウンドが期待できる。 このアンプの面白いところは究極のハイエンドヘッドフォンと言う人もいる、あのRaal 1995 – Immanisをダイレクトに繋げてドライブできるところだ。例のRCDI (Ribbon Current-Drive Interface)を介さなくて済むらしいのである。世界的にも、そんなことができるアンプはほとんどないはずで、これならRaal 1995 – Immanisの真の実力を引き出せるのではないか。価格は約8000ドル=127万円とかなりなもの。日本で正規代理店は取り扱ってくれそうにないが、個人的にRaal 1995 – Immanisと、このWA12のペアが奏でるサウンドにはかなり興味がある。
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120万円のイヤホンでも、納得できる内容ならば、この金額でも出すよって人がいて、  この日本でも複数オーダーが入ってるってことですな。個人的に気になっているヘッドフォンFinal DX10000CLの価格はどうやら8000ドル=127万円との噂ですが、こうなると、こちらも最初から売れる可能性が出て来ましたな。
フジヤエービック -FUJIYA AVIC-@FUJIYAAVIC

【デモ展示開始】 昨日のNAKANO HAKO試聴会でもご好評をいただいた「PMG Audio Apx ME」、本日から店頭でもお聴きいただけるようになりました! すでに複数オーダーをいただいてはおりますが、やっぱりしっかり聴いてから考えたい…という方、ぜひ中野へ! ▶ fujiya-avic.co.jp/shop/g/g200000…

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ArcTec Berlin AB 92は540gと重いヘッドフォンなのですが、音には唯一無二の世界があり、個性派揃いのハイエンドヘッドフォンの中でも、ひときわ孤高の存在となりそうです。以前の試聴で垣間見た、眼前に広がる一面の銀世界は忘れがたい印象を私に残しました。このArcTec Berlin AB 92はFinal DX10000CLと並んで、これから大注目のヘッドフォンであります。
PHILE WEB@phileweb

独「ArcTec Berlin」日本上陸。第1弾はフラグシップ平面磁界型ヘッドホン「AB 92」 phileweb.com/news/d-av/2026…

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本当に良いものは一つあれば、それでずっとやって行ける。この考え方にはすごく共鳴する。完成度が高い製品を一つだけ作って、それをあまり変えずに、ずっと売り続ける。これはハイエンドオーディオになかなかない態度である。素晴らしい。
IidaPiano Audio@IidapianoM

Camertonが日本に入ってきて、ちょうど1年が経ちました。最近、次の製品についてご質問をいただくことがあります。 結論から述べると、近い将来新しいヘッドフォンの予定はありません。ただ、それにはCamertonらしい理由があります。 Binom-ERという製品自体はもともと2021年からヨーロッパで展開されてきた製品です。同じ名前を持ちながら、ユニットフレームを薄い金属プレートからソリッドカーボン構造へ刷新し、ドライバーハウジングへのアコースティックフォームの追加、パッドの大型化と選択肢の拡充など、継続的なアップデートを重ねてきました。そして2024年後半に現在の形へと至りました。日本に入ってきたのはその最新版であり、私たちはその現在地を扱っています。 各サブシステムを独立して改良できるブロックモジュール設計を採用しているこの製品には、既存のオーナーも将来のアップデートを受けられるプログラムが存在しています。近くで接してきた者として確かなことをお伝えすると、メーカーとしてはまだBinom-ERに取り組む余地があると考えています。つまり、この製品はまだ動いている。 ハイエンドオーディオの世界では、新製品が次々と登場します。それ自体を否定するつもりはありませんが、Camertonというブランドはそのサイクルに乗ることを目的としていません。新製品で購買を煽るようなスタンスは、このブランドの哲学ではない。 Binom-ERの時間を、Camertonはまだ大切にしています。 だからこそ、じっくり吟味してください。いつ手にしても、その時点でのCamertonの最高が、そこにあります。 #Camerton #BinomER

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オーディオマニアを30年以上やっている。かなり若い頃からやって来たわけで、昔のオーディオもそこそこ知ってるつもりだ。 日本のオーディオがバブル期あたりを頂点に隆盛を極めていた時代でも、かなり高価な機材はあったが、7000万円のDACなどに代表される、今のラグジュアリーオーディオほど高価なものは、ほぼ皆無だったと思う。 現代の5000万円のDAC、一億円を超えるスピーカーのサウンドは確かに昔とは隔絶した高性能を誇る。それは確かに伝わってくる。だが、私の場合、それらのサウンドを聞いても不思議と冷静でいられる。いや、この冷静なままで終わってしまうところが問題なのだと気づくべきだろう。 飛び切りいい音を聞かせてもらったはずなのに、昔みたいにウキウキして貯金をおろす算段をしようとは全然思わないことが問題なのである。それは預金額が足りてないということ以上に、無理してお金を作ってまで買うことはないような気がしてくるのだ。 それは超高価なオーディオの聴かせるものが、途轍もなく上手い音だけど、音楽として楽しくない場合がほとんどだからだと私は考えている。客観的過ぎるとでも言おうか。 音が楽しいと書いて音楽と読む。こういう主観的な視点が現代のラグジュアリーオーディオに忘れられているような気がしているのは私だけだろうか。客観的な音質がいいのは無論良いことだが、まずその前の前提として、聞こえる音が楽しくないと。 自分の人生経験として、限りなく冷静、冷徹で優秀な人は友達がなぜか少ない。結婚しても結局、離婚したりする。その人と一緒にいても楽しくないからだろうと私は考えている。そんな冷たい感じが、最近の超高価なオーディオの試聴に常につきまとう。 それにしても、なぜ昔のオーディオの音は熱くて楽しかったのか?昔は良かった、とカッコ良くないセリフを呟く前に、私は自分の胸に訊いてみる。 それは、オーディオ機器にメーカーごとの個性が色濃く出ていたからというのが一つある。我々は個性の発露に感動していたのだ。素敵なキャラクターを持つ別な女性に会える、そんな憧れがあった。現代のサウンドはただ中性的を通り越しており、オーディオ機器は単なる音を出す機械に徹しているのである。むしろ、そこに徹しているからこそ、これほどの高音質に行きついたのだから仕方ない。 そしてもう一つの理由は、音を聞くオーディオファイルの我々が若くて、日本も希望に満ちていたから、というのもあるかもしれない。今とは日本社会の機運がガラリと異なっていた。 昨日より今日、今日より明日、暮らしは良くなると、あの頃は愚かにも信じ切っていた。日本は一歩一歩、着実に幸せの階段を登っていると思い、それがずっと続いていくと勝手に思っていた。不意に転落が始まるまでは。 上記のような、使い古された考えが正しいのかはわからない。正しかったとしても、所詮これはただの愚痴にしかなってないわけで。 私はそう遠くない将来に、自分にとって最後になるかも知れない、大きなオーディオシステムのグレードアップを考え、実行しなくてはならない。耳がちゃんと聞こえて、それなりの金が出せるうちにやるべきなのだ。だが、現行のオーディオ製品をざっと眺めても、自分がどうグレードアップしたら良いのか、しっかりしたビジョンは、なかなか浮かばない。 そしてもう既に、世界は戦争の時代に突入している。こうなると平和にオーディオを楽しめるのはいつまでか、想像もつかなくなってきた。 今はただ、平和な日本が1秒でも長く続いて、私に満足ゆく、オーディオのグレードアップの機会を与えてくれることを願うばかりだ。
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Empire earsの突然の閉鎖は、私のオーディオの主要なテーマであるハイエンドヘッドフォンにも、大きな余波を送り出している。 たった一社の破綻ではあるが、ハイエンドイヤフォンでは有名なメーカーだっただけに、ポータブルオーディオ界に燻(くすぶ)っていた、高額なイヤフォンに対する疑念と懸念がSNS上で一挙に燃え上がっていて、その火の粉はハイエンドヘッドフォンの高額機にも降りかかる勢いだ。 確かにSUSVARA UNVEILEDやCamerton Binom-ER、Final DX10000CLという、100万円を超えるようなハイエンドヘッドフォンの価格が果たして妥当なものなのか、それはまだまだ分からない部分はある。 それは一つには、ユーザーがその価格のモトは取れたと考えられるくらいに、長期に渡り安定して、それを使えるかどうかにかかっている。少なくとも保証期間は修理対応は必須だが、今回のEmpire earのケースではそれすら守られない可能性があることを初めて現実として示したことで、リアルな不安感が広がっている。 もちろんこれは、ここのイヤフォンが高価すぎて買えなかった口惜しさの裏返しで、ホラ見ろ、やっぱりなと、すかさず貶める輩(やから)の煽りのせいもあるだろう。だが、それを差し引いてもやはり大変な話なのだと思う。 例えば、ハイエンドヘッドフォンの価格はオーディオテクニカのATH-ADX7000あたり、50万円前後じゃないのか、という説は有力だが、今の製造業が、そういうヘッドフォンに使う特殊なパーツに求めるコストや組み立てコストを考えると、これから先も、この音質のヘッドフォンがこの価格でおさまるなどとは、到底期待できない。この先もインフレがさらに極まる現実世界が待っているのは覚悟すべきだろう。 業界が、この先も高価なイヤフォンやヘッドフォンを安定して売り続けて行きたいなら、とにかくメーカーや代理店が協力して、オーディオファンに見える形でメンテナンスや修理対応の体制を拡充させ、皆の疑念や不安を払拭してゆく必要はあるだろう。
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私個人として、88歳になる寺島氏のコラムを読んで思うのは、自分もいつかはオーディオの終活をしなくてはならないということだ。これはそのうち必ず訪れる切実な問題だ。 また、オーディオアクセサリーの小原氏の文章に書いてあったことだが、60歳ぐらいには最後のオーディオシステムの大きなグレードアップしておかないといけないようだ。 その後は耳の健康問題やら収入の問題やらで、自分のオーディオを大きく変えることは難しいということらしい。これもよく考えておかないといけない。 オーディオ界全体の問題もさることながら、こういう個人的な赤裸々な現実についても真剣に考える、今日この頃なのである。
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今日、取り上げたオーディオアクセサリーの200号の巻末に、お馴染みの寺島氏のコラムがあり、読んでみた。これも、いろいろと考えさせられる内容であった。特に昭和生まれとオーディオファイルは必読であろう。 寺島氏はもうすぐ88才になられるとのことで、耳の聞こえに不安がかなり出てきたこと、雑誌の連載に打ち切りが出てきたことなどを赤裸々に語っておられる。 このような昭和生まれのベテランオーディオファイルが直面する様々な問題から透けてみえるのは、高齢化が進む日本のハイエンドオーディオの危機ではないだろうか。 オーディオ雑誌やSNSを見回すと、先ほど述べたハイエンドオーディオにおける高音質と、それにかかるコストのバランスの破綻の問題や、オーディオファイルの高齢化、出版不況やオーディオジャーナリズムそのものが抱えてきたメーカーや代理店との癒着の問題の積み残し、ストリーミングの流行に伴う音楽業界そのものの変化などが、かつて永遠の楽園と見えたハイエンドオーディオの世界に一気に押し寄せてきて、この界隈を支配していた全ての理(ことわり)が変わってゆくような感覚を覚えるのは私だけだろうか? オーディオ界全体が今、本当に曲がり角に来ているのだと強く思う。
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以下に引用させていただく、この論考の最後の部分は、スピーカーを使うハイエンドオーディオやハイエンドヘッドフォンオーディオに関しても、全く同様に当てはまる。非常に重要な論考だ。 「今回のEMPIRE EARSの事業停止は、物価高騰や諸経費の積み重ねもさることながら、ユーザー側もハイエンドモデルに対して価格上昇に追いつけない部分の疲弊の表れでもあるだろう。 音に興味があっても、価格を考慮した場合に購入までに至らない。長年ポータブルオーディオを楽しむ人でさえ、現在の価格高騰に呆れている人もいる。 求められる音質と開発コストとのバランスがすでに悲鳴を上げ、限界に近づきつつあることを示した結果のかもしれない。」  ここに、オーディオに求められる音質と開発・製造コストのバランスが限界に近づいている、とかいてある。ここがグッと来た。  特にスピーカーを使うハイエンドオーディオでは、その限界を超えているのではないかと私は感じているからだ。 今の単純に、限りなく音を良くするだけのオーディオ機器の開発は、数千万円のスピーカーやDAC、アンプを乱発することになってしまう。 それは一般のオーディオファイルの離反を招き、オーディオの過疎化を生むだけだということに、メーカーはそろそろ気づくべきだろう。ハイエンドオーディオは、もっと一般人にも手に入りやすいモデルの音を良くすべきだし、メーカーごとの個性も、もっと出してゆくべきだろう。
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■EMPIRE EARSが事業停止して思うこと EMPIRE EARSが事業停止を発表した。私はODIN mkⅡを購入する際、保証期間を5年間に延長したが、現実にはわずか半年でその保証は終了してしまったことになる。 まさか、このような事態が起きるとは、誰一人として予想できた者はいないだろう。 昨今のオーディオ市場の状況を踏まえつつ、EMPIRE EARSの音作りを振り返ると、創設者であるDean Vang氏の強いこだわりと揺るぎない姿勢がひしひしと伝わってくる。これは以前、ODIN mkⅡを聴いた際の個人的な印象でも語ったことだ。例えるなら、業界を席巻するchi-Fiが手軽に楽しめるファミリーレストランだとすれば、EMPIRE EARSは一見敷居が高いものの、通好みの高級割烹のような存在である。こちらが食べたいものではなく、店主が食べさせたいものを作る。こだわりは変えず、頑固さこそが、音の個性であり、ブランドの雰囲気でもあるのだ。当然、高額なため、それに対して変わった音だという印象を受ける人もいるだろう。 今回の事業停止の真意は、公式なアナウンスがないため、まだ明らかではない。海外のオーディオコミュニティでは、創設者の健康上の問題が継続困難であり引退の理由とする声もあれば、それは突然事業停止を正当化するための理由で、高額すぎて買わないためという声もある。私は健康上の問題もあれば、一方で、資金面の事情も見逃せないと感じている。もし事前に告知していれば、全世界の代理店や販売店の在庫状況などに対応する必要があり、膨大な手間とお金がかかるからだ。こうした背景も、突然の発表に至った理由の一つと考えている。 しかし、創設者がどれだけ音に対する想いやこだわりが強くても、現実的な仕入れコストの高騰や諸経費の増加を考えれば、経営が厳しくなるのは自然な成り行きだろう。このような場合、普通なら、エントリーモデルを作って敷居を低くして、そこから資金を集めてフラッグシップモデルに回すのが一般的だろう。多くのオーディオメーカーは、エントリーモデルを用意して、そこから自社ブランドを知ってもらうことで窓口を広げている。価格はフラッグシップモデルに比べると手ごろだが、自社ブランドを名乗るにふさわしい音とはまだ距離がある。しかし、そうして上位グレードへの関心を引き出すのだ。VISION EARS や NOBLE AUDIOも昔とは違い、方向性を変えてエントリーモデルに力を入れ始めてきている。 しかし、EMPIRE EARSは頑固さが強かったためか、10年間で1度もそのような手段を取らなかった。リリースされた販売モデルは全てがコンセプトを追求する一品料理のような形だ。恐らくはこれらも創設者本人の決断によるものと推測される。 ポータブルオーディオ業界はオーディオ業界の中でも競争が激しく活気もある。しかし、決してどのメーカーも安泰というわけではない。EMPIRE EARSのような事例は、いつ起きても不思議ではないのだ。カーオーディオやホームオーディオ、そしてポータブルオーディオに至るまで、各メーカーは資金繰りに工夫を凝らしている。例えば、ある韓国のDAPメーカーは、限定版として多彩なカラーバリエーションを販売することで、新規開発のコストを抑えつつ利益を確保する戦略を取っている。フラッグシップモデルの販売サイクルも約3年と他社に比べて早い。これは韓国のDAPメーカーだけでなく、以前は高級カーオーディオと称する国内メーカーも同じことを繰り返していた。カラーバリエーションを増やして売り上げを計ることはよくある手法だ。実際、EMPIRE EARSもREVENにおいて同じことを行っていた。 私見だが、EMPIRE EARSは、2024年にAstell&KernとコラボレーションしNOVUSを発表したあたりから、資金繰りが厳しいのではないかと感じたことがあった。強い違和感ではなく、本当に些細な違和感だ。あの音にこだわりの強いEMPIRE EARSが、二度も連続でコラボレーションという形に加えて、限定版としてフラッグシップモデルを発表したからだ。普通、限定版をフラッグシップモデルとして発表した場合は、それに改良を加え、コスト面や生産・流通の確保を考慮したうえで、量産モデルを販売するケースが多い。限定版はマーケティング調査の意味合いも含まれているからだ。 コラボレーションは、必ずしもではないが費用の多くを相手側が負担してくれるという面が大きい。そのため、開発費や制作費をある程度確保できる余裕が生まれる。自社でバリエーションを増やすという意味でも、音の研究や開発に充てることが可能でありながら、コラボ商品として宣伝にもなる。一方で、自社ブランドとしての自由度は制約されて、相手側の音質要求を受け入れる必要がある。 いまとなっては憶測にすぎないが、二度目のコラボレーションを後押ししたのは、息子のJack Vang氏ではないかと思う。むしろ、EMPIRE EARS側からコラボレーション側に案を持ち掛けた可能性もある。音へのこだわりを考えれば父のDean Vang氏は乗り気ではなかったものの、EMPIRE EARSの運営状況を踏まえれば、この手段が最善であり苦肉の策だったのではないかと感じる。88万円という高額な価格設定、Jack Vang氏が担当した点など、EMPIRE EARSらしくない点が多々ある。いま思えば、この時点でお互いの方向性はほぼ決まっており、事業停止を決める前兆だったように感じる。VOLK AUDIOを立ち上げる決意はすでに確固たるものになっていたのではないかと私は推察している。あくまでも推察であり、憶測だ。 個人的には、EMPIRE EARSは米国らしい熱量のある音作りがポータブルオーディオで楽しめることに魅力を感じていた。ODIN mkⅡ発表時、創設者Dean Vang氏は「今作に心血を注ぐ」と語り、フラッグシップモデルはこれ1機種に絞ると明言していた。当然、2026年もフラッグシップモデルが発売されると思っていただけに、今回の事業停止は非常に残念でならない。 ポータブルオーディオ業界の音は、この10年で飛躍的な進化を遂げた。しかし、近年の音は、10年前のカーオーディオやホームオーディオの音の傾向に似てきているとも感じる。いわゆる音の定位が明確で、各帯域の繋がりが滑らかなサウンド。簡単に言えば「整った音」が主体となっている。売れ線ではあるが、音の感動や個性が希薄になりがちである。NOBLE AUDIOのフラッグシップモデルでさえ、その方向性を強めてきた。 整った音作りには安定感と高い評価がある。しかし、今よりも高みの音に触れた際に、それまでの音に対する感動が薄くなるという欠点もある。つまり、それ以上の音を出すモデルと出会った際に価値を見出すのが大変になるのが整った音を出すモデルの欠点だ。 昔の例で言えば、ドイツ車と比べられたトヨタ車の評価に近いだろう。全体の性能としては80点だが、ドイツ車のようにエンジンフィールや操縦性で「感動する体験」「運転する楽しさ」がないため「100点ではない」といった具合だ。いま、ほとんどのポータブルオーディオメーカーの音はその路線に集約されつつあるように感じる。 メーカーブランドとしての音も提供したいが、そもそも売れなければそれを実現することはできない。その狭間に立たされている。 しかし、それはポータブルオーディオ業界だけの話ではない。現在、ホームオーディオでは、整った音を出すことは必然となり、メーカーは空間表現力や音像の中で、演奏者の熱意やパッション、音の精密さをいかに伝えるかが大切になっている。自社ブランドの価値を価格に上乗せすることで、音に品格を与える超高級路線へとシフトする例もあり、メーカー独自の高級税が新設されたと言っても良いだろう。 つまり、これまでのホームオーディオやカーオーディオの時系列を見れば、まず機材が音域をしっかり出すことが重視されて開発される。やがて将来的に整った音が仕上がった機材が流行する。しかし、整った音も時が経つにつれて普通の音と感じられるようになり、整った音を崩さない上での熱意を感じる音が求められる。さらにその後には、それを崩さない上で実像を感じる洗練された音が求められる。要は整った音 → 楽しい音 → 整った音、このサイクルが繰り返されるのである。 ポータブルオーディオ業界においては、音域をしっかり出せるようになりつつ、今は多くのハイエンドモデルが整った音が主体だが、2年後にはそれを維持したままメーカーならではの楽しさがあることが前提となる可能性が高い。いや、実際にはすでにその取り組みは始まっているだろう。 そのような流れを汲み取れば、EMPIRE EARSのようなこだわりの音作りが消えることは、やはり大きな衝撃である。 過去、ホームオーディオやカーオーディオの世界では、ピュアオーディオやHi-Fiオーディオが確立されるにつれて、熱量のあるメーカーは徐々に廃業していった。理由は明快で、面白みのある音作りをしても、メーカーごとの音の個性がユーザーの好みに合わず、一定の支持を得られなかったためである。楽しい音ほど好みが分かれて、購入の差は激しい。しかし、高級で整った音は好き嫌いとは別の感受性、多くの人に受け入れやすい。ある意味では楽しい音と称して粗悪品も存在したことから、市場の淘汰はむしろ健全な傾向でもあった。 ポータブルオーディオの業界は、常に進化のサイクルが尋常ではないほど速く、変化も激しい。今回のEMPIRE EARSの事業停止は、物価高騰や諸経費の積み重ねもさることながら、ユーザー側もハイエンドモデルに対して価格上昇に追いつけない部分の疲弊の表れでもあるだろう。 音に興味があっても、価格を考慮した場合に購入までに至らない。長年ポータブルオーディオを楽しむ人でさえ、現在の価格高騰に呆れている人もいる。 求められる音質と開発コストとのバランスがすでに悲鳴を上げ、限界に近づきつつあることを示した結果のかもしれない。

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現代のオーディオに関する、非常に深い論考が、ここにある。これは単にEmpire earsの事業停止の話題にとどまることなく、現代のオーディオの問題を深く抉(えぐ)る内容である。真剣にオーディオについて考える契機として、全てのオーディオファイルにぜひぜひ読んで頂きたい。
ClöLab@cloneacoustics

■EMPIRE EARSが事業停止して思うこと EMPIRE EARSが事業停止を発表した。私はODIN mkⅡを購入する際、保証期間を5年間に延長したが、現実にはわずか半年でその保証は終了してしまったことになる。 まさか、このような事態が起きるとは、誰一人として予想できた者はいないだろう。 昨今のオーディオ市場の状況を踏まえつつ、EMPIRE EARSの音作りを振り返ると、創設者であるDean Vang氏の強いこだわりと揺るぎない姿勢がひしひしと伝わってくる。これは以前、ODIN mkⅡを聴いた際の個人的な印象でも語ったことだ。例えるなら、業界を席巻するchi-Fiが手軽に楽しめるファミリーレストランだとすれば、EMPIRE EARSは一見敷居が高いものの、通好みの高級割烹のような存在である。こちらが食べたいものではなく、店主が食べさせたいものを作る。こだわりは変えず、頑固さこそが、音の個性であり、ブランドの雰囲気でもあるのだ。当然、高額なため、それに対して変わった音だという印象を受ける人もいるだろう。 今回の事業停止の真意は、公式なアナウンスがないため、まだ明らかではない。海外のオーディオコミュニティでは、創設者の健康上の問題が継続困難であり引退の理由とする声もあれば、それは突然事業停止を正当化するための理由で、高額すぎて買わないためという声もある。私は健康上の問題もあれば、一方で、資金面の事情も見逃せないと感じている。もし事前に告知していれば、全世界の代理店や販売店の在庫状況などに対応する必要があり、膨大な手間とお金がかかるからだ。こうした背景も、突然の発表に至った理由の一つと考えている。 しかし、創設者がどれだけ音に対する想いやこだわりが強くても、現実的な仕入れコストの高騰や諸経費の増加を考えれば、経営が厳しくなるのは自然な成り行きだろう。このような場合、普通なら、エントリーモデルを作って敷居を低くして、そこから資金を集めてフラッグシップモデルに回すのが一般的だろう。多くのオーディオメーカーは、エントリーモデルを用意して、そこから自社ブランドを知ってもらうことで窓口を広げている。価格はフラッグシップモデルに比べると手ごろだが、自社ブランドを名乗るにふさわしい音とはまだ距離がある。しかし、そうして上位グレードへの関心を引き出すのだ。VISION EARS や NOBLE AUDIOも昔とは違い、方向性を変えてエントリーモデルに力を入れ始めてきている。 しかし、EMPIRE EARSは頑固さが強かったためか、10年間で1度もそのような手段を取らなかった。リリースされた販売モデルは全てがコンセプトを追求する一品料理のような形だ。恐らくはこれらも創設者本人の決断によるものと推測される。 ポータブルオーディオ業界はオーディオ業界の中でも競争が激しく活気もある。しかし、決してどのメーカーも安泰というわけではない。EMPIRE EARSのような事例は、いつ起きても不思議ではないのだ。カーオーディオやホームオーディオ、そしてポータブルオーディオに至るまで、各メーカーは資金繰りに工夫を凝らしている。例えば、ある韓国のDAPメーカーは、限定版として多彩なカラーバリエーションを販売することで、新規開発のコストを抑えつつ利益を確保する戦略を取っている。フラッグシップモデルの販売サイクルも約3年と他社に比べて早い。これは韓国のDAPメーカーだけでなく、以前は高級カーオーディオと称する国内メーカーも同じことを繰り返していた。カラーバリエーションを増やして売り上げを計ることはよくある手法だ。実際、EMPIRE EARSもREVENにおいて同じことを行っていた。 私見だが、EMPIRE EARSは、2024年にAstell&KernとコラボレーションしNOVUSを発表したあたりから、資金繰りが厳しいのではないかと感じたことがあった。強い違和感ではなく、本当に些細な違和感だ。あの音にこだわりの強いEMPIRE EARSが、二度も連続でコラボレーションという形に加えて、限定版としてフラッグシップモデルを発表したからだ。普通、限定版をフラッグシップモデルとして発表した場合は、それに改良を加え、コスト面や生産・流通の確保を考慮したうえで、量産モデルを販売するケースが多い。限定版はマーケティング調査の意味合いも含まれているからだ。 コラボレーションは、必ずしもではないが費用の多くを相手側が負担してくれるという面が大きい。そのため、開発費や制作費をある程度確保できる余裕が生まれる。自社でバリエーションを増やすという意味でも、音の研究や開発に充てることが可能でありながら、コラボ商品として宣伝にもなる。一方で、自社ブランドとしての自由度は制約されて、相手側の音質要求を受け入れる必要がある。 いまとなっては憶測にすぎないが、二度目のコラボレーションを後押ししたのは、息子のJack Vang氏ではないかと思う。むしろ、EMPIRE EARS側からコラボレーション側に案を持ち掛けた可能性もある。音へのこだわりを考えれば父のDean Vang氏は乗り気ではなかったものの、EMPIRE EARSの運営状況を踏まえれば、この手段が最善であり苦肉の策だったのではないかと感じる。88万円という高額な価格設定、Jack Vang氏が担当した点など、EMPIRE EARSらしくない点が多々ある。いま思えば、この時点でお互いの方向性はほぼ決まっており、事業停止を決める前兆だったように感じる。VOLK AUDIOを立ち上げる決意はすでに確固たるものになっていたのではないかと私は推察している。あくまでも推察であり、憶測だ。 個人的には、EMPIRE EARSは米国らしい熱量のある音作りがポータブルオーディオで楽しめることに魅力を感じていた。ODIN mkⅡ発表時、創設者Dean Vang氏は「今作に心血を注ぐ」と語り、フラッグシップモデルはこれ1機種に絞ると明言していた。当然、2026年もフラッグシップモデルが発売されると思っていただけに、今回の事業停止は非常に残念でならない。 ポータブルオーディオ業界の音は、この10年で飛躍的な進化を遂げた。しかし、近年の音は、10年前のカーオーディオやホームオーディオの音の傾向に似てきているとも感じる。いわゆる音の定位が明確で、各帯域の繋がりが滑らかなサウンド。簡単に言えば「整った音」が主体となっている。売れ線ではあるが、音の感動や個性が希薄になりがちである。NOBLE AUDIOのフラッグシップモデルでさえ、その方向性を強めてきた。 整った音作りには安定感と高い評価がある。しかし、今よりも高みの音に触れた際に、それまでの音に対する感動が薄くなるという欠点もある。つまり、それ以上の音を出すモデルと出会った際に価値を見出すのが大変になるのが整った音を出すモデルの欠点だ。 昔の例で言えば、ドイツ車と比べられたトヨタ車の評価に近いだろう。全体の性能としては80点だが、ドイツ車のようにエンジンフィールや操縦性で「感動する体験」「運転する楽しさ」がないため「100点ではない」といった具合だ。いま、ほとんどのポータブルオーディオメーカーの音はその路線に集約されつつあるように感じる。 メーカーブランドとしての音も提供したいが、そもそも売れなければそれを実現することはできない。その狭間に立たされている。 しかし、それはポータブルオーディオ業界だけの話ではない。現在、ホームオーディオでは、整った音を出すことは必然となり、メーカーは空間表現力や音像の中で、演奏者の熱意やパッション、音の精密さをいかに伝えるかが大切になっている。自社ブランドの価値を価格に上乗せすることで、音に品格を与える超高級路線へとシフトする例もあり、メーカー独自の高級税が新設されたと言っても良いだろう。 つまり、これまでのホームオーディオやカーオーディオの時系列を見れば、まず機材が音域をしっかり出すことが重視されて開発される。やがて将来的に整った音が仕上がった機材が流行する。しかし、整った音も時が経つにつれて普通の音と感じられるようになり、整った音を崩さない上での熱意を感じる音が求められる。さらにその後には、それを崩さない上で実像を感じる洗練された音が求められる。要は整った音 → 楽しい音 → 整った音、このサイクルが繰り返されるのである。 ポータブルオーディオ業界においては、音域をしっかり出せるようになりつつ、今は多くのハイエンドモデルが整った音が主体だが、2年後にはそれを維持したままメーカーならではの楽しさがあることが前提となる可能性が高い。いや、実際にはすでにその取り組みは始まっているだろう。 そのような流れを汲み取れば、EMPIRE EARSのようなこだわりの音作りが消えることは、やはり大きな衝撃である。 過去、ホームオーディオやカーオーディオの世界では、ピュアオーディオやHi-Fiオーディオが確立されるにつれて、熱量のあるメーカーは徐々に廃業していった。理由は明快で、面白みのある音作りをしても、メーカーごとの音の個性がユーザーの好みに合わず、一定の支持を得られなかったためである。楽しい音ほど好みが分かれて、購入の差は激しい。しかし、高級で整った音は好き嫌いとは別の感受性、多くの人に受け入れやすい。ある意味では楽しい音と称して粗悪品も存在したことから、市場の淘汰はむしろ健全な傾向でもあった。 ポータブルオーディオの業界は、常に進化のサイクルが尋常ではないほど速く、変化も激しい。今回のEMPIRE EARSの事業停止は、物価高騰や諸経費の積み重ねもさることながら、ユーザー側もハイエンドモデルに対して価格上昇に追いつけない部分の疲弊の表れでもあるだろう。 音に興味があっても、価格を考慮した場合に購入までに至らない。長年ポータブルオーディオを楽しむ人でさえ、現在の価格高騰に呆れている人もいる。 求められる音質と開発コストとのバランスがすでに悲鳴を上げ、限界に近づきつつあることを示した結果のかもしれない。

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