いっちゃん♪♬
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@ic_chan
曲書き&鍵盤弾き。やりたい事では生活できず…。好き♪ 槇原敬之さん、いきものがかり、parismatch、塩谷哲さん、向谷実さん、矢野顕子さん、川村結花さん、松本圭司さん、心地よい音楽、Apple、のだめ、小田急、江ノ電etc…

YOSHIKIさんの君が代アレンジについて 日本GPでのYOSHIKIさんの国歌演奏をF1とX JAPAN両方のファンである僕はなんたる俺得と拝聴していたんだけど、メロディーの最後の部分のコードでぶっ飛んでしまった。 もともと君が代は日本の雅楽の旋律に西洋の機能和声的な和音付けが(割とむりくり)されていて、そのせいでメロディの最後の一音(レ)が 「終わった…? ような終わってないような?」 みたいな感じになる。レを主音にした壱越調(いちこつちょうというらしい)の雅楽のメロディーに対して、和声付けがハ長調(ドが主音)で施されているので、メロディーがレで終わられると「あれ、なんか途中…?」みたいな感じになるのである。なので元々のアレンジではそこは和声付けがなく、ユニゾンになっている。 しかしYOSHIKIさんはその箇所にF6(ファ・ラ・ド・レ)という和声付けをして、心地よい浮遊感と希望が共存するような響きを作り出してみせた。聴いた時に正直「おぉっ!?」と声が出た。 話がちょっと専門的になるけど、Fというのはハ長調で言えばサブドミナントという機能を持ち、どちらかというと安らぎとか明るい雰囲気である。そこに今回はメロディ音でもあるレが加わってF6という浮遊感のある響きになっている。 そしてF6の根音であるF(ファ)はメロディに一度も出てきていない音だというのもポイントだと思う。旋律の最後に、その旋律が持っていない音で、その旋律を支えるという構造が聴き手におやっという驚きを与え、新規性つまり未来を感じさせる。そして先述のようにメロディは6thの場所に浮遊感を持って鎮座している。この未来、希望、浮遊感の組み合わせに、つい声が出てしまったのである。 (余談だけどこのペンタトニックの旋律とそこにない音のコード感の組み合わせというのは坂本龍一さんの世界を連想させる。そう言えば92年のロックフェラーセンターの記者会見でYOSHIKIさんが今ウォークマンに入っているアーティストみたいなのを質問されて「メタリカ・坂本龍一」と答えられていたなと思い出す。僕の記憶が正しければだけど) また、僕が更に素晴らしいと思ったのは、その新規性抜群のコードに至るまでのアレンジはオリジナルの、ドイツ人作曲家エッケルトによる和声付けが尊重されていることである。 エッケルトさんだって好きで「ちょっと変」にしたわけではなく日本のメロディと西洋のオーケストレーションの融合という、言わば無理難題を頼まれて、ベストを尽くして今のアレンジにされたのだと思う。そのアレンジを否定し変えてしまうのではなく、伝統を尊重した上で残された余白に新たな解釈を加えてみせた。 伝統を重んじ且つ、その上に新たなピースを乗せていくというその態度こそ、これからの未来を作る世代にインスピレーションを与えるものだと感じた。 そしてその後件のコードF6はG(多分)を経由して、最後にDメジャーに解決する。君が代にアウトロが付いたわけである。これはエッケルトさん式に君が代をハ長調と解釈すれば、全音上に転調した事になって力強いし、雅楽のメロディを尊重すれば壱越調は西洋風に言うとDドリアンというマイナー系の調になるので、いわばDマイナーで始まった曲がDメジャーで終わるという、これまた希望を感じさせるものである。 このマイナーキーの曲がメジャーコードで終わるというのはXの曲でもよく聴くことができるので(Silent JealousyとかXとか)うーんYOSHIKIさんだなぁ!と嬉しくなってしまった。 もともとのアレンジの終わってない感も大人になって聴き慣れると「そこがいいんじゃない!」と感じてはいたんだけど、子供の頃から燻るように感じていた「君が代の最後終わってなくない?」問題、「ちょっと暗くない?」問題諸々が見事に解決された衝撃で、こんな長文を書いてしまった次第である。 #君が代 #YOSHIKI #F1 #F1日本GP

関東最後のロッテリアである京王笹塚店が閉店しました。 この後23:00に千里中央店が閉店し、ロッテリアは日本から姿を消します。

勝利のハイタッチ!🖐️ #swallows #燕心全開


大坂孝之介withいつか 「ピアノで歌ってみNight vol.2」 お越しいただいた皆さま、ありがとうございました。 いつかさん、嘉風さん、cafeシトカとスタッフ様、本当にありがとうございました。 生駒!!





















