Sabitlenmiş Tweetカスマル・ハン@kasunokeirin·7 Mayダービー結果 16:30現地着 マークシートを急いで記入 清水頭の三連単フォーメーションと清水2着固定の二車単 レース番号記入忘れた見たいで選択肢が出る 二車単記入間違えて枠単買おうとしてたのでキャンセル 締切間際で後ろも並んでたので清水を信じ三連単だけ購入した男の叫びをどうぞ 清水!Çevir 日本語031932.3K
カスマル・ハン@kasunokeirin·3d物理学とスピンでの部分でワロタÇevirプロギャンブラーハッチャン@hattyan777【ギャンブルで勝ち続ける男の昔話】 僕は誰もが知っているギャンブルで勝ち続けている男ハッチャンである。 パチンコ、パチスロ、ポーカーは勝ち続けている人が表に出ているが、公営ギャンブルで勝ち続けて表に出ているのは僕だけだと思う。 世の中に日本の公営ギャンブルで稼いでいる人が100人くらいはいると思うが表に出ているのは僕1人だ。 理由は明白でパチンコ、パチスロは労働対価で座らないと稼げないのに対して、公営ギャンブルは放置で稼げてしまうのでロジックと資金さえあれば1人で全ての人の負けを吸い上げてしまうからだ。情報開示出来ないというのは至極当然のことだろう。 僕はパチンコ、パチスロから始まり競馬を攻略して今は競輪とポーカーに行き着いた。 ハッチャンもう人生上がってるわ!と他のギャンブラーから言われても競輪とポーカーはいまだに飽きることが無く大好きだから続いていると思う。 僕の若い頃のストーリーを話していなかったので話そうと思う。 3歳の幼稚園に入る前から足し算、引き算、九九まで出来たほど驚異的な計算能力を僕は持っていた。 小学1年生の時にはもう塾に通っていた。普通の公立小学校に通っていたが同じ塾に公立の小学1年生は僕一人だった。 その時から算数の成績だけは突き抜けていた。 小学生中学年のころには、将来お金持ちになりたくてその時点で日本の仕組み上サラリーマンはベストな選択じゃないと思いその道を捨てていた。 中学生の頃には税金や法律の勉強を始めた。 その時点で将来の選択肢は経営者か投資家に絞られていた。なので経営者や投資家に必要になるであろう勉強を始めていた。 中学卒業する頃には大学に僕は行かないから私大に行ったと思って400万を僕に投資してもらえたらどんな投資やビジネスも成功させるよ!と両親に相談していたほど生意気だった僕はその意見を両親に却下されていた。投資を受けられないことが確定していた。 そこで僕は高校在学中にビジネスや投資を始めるためのお金を稼がないといけないと思うようになっていた。 ただバイトをしてお金を貯めることは効率が悪すぎるため頭に無く、パチスロを始めて当時まだ出回ってなかった天井期待値を自分でエクセルで計算して稼働に活かしていた。(もう時効だから18歳以下でパチスロに行っていたことは許してくれ。) 当時の時給は4000円から5000円程度でホールの中に常に時給3000円以上の台が落ちていて、時間効率やライバルの動きからどういう順番で消化するのが利益を最大化出来るか考えるほどだった。 月に120時間から180時間ほど稼働して手取りは平均50万から80万程度。 高校生には充分な稼ぎだった。 ただこんなしょぼい規模感でやってたって意味がないとも思っており、同時にビジネスを始めていた。 当時流行っていたIT業界で流行っていた情報商材ビジネスやグーグルアドセンスなどのAD広告を使ったHP作成、リードメール、PPC広告を使ったアフィリエイトなど当時流行っていたことは何でもやった。 パチスロほどの稼ぎになるのには5年かかったがこれはこれで楽しかった。 当時業界でもまずまず成功して方だと思う。 特に僕がギャンブル業界に一気に君臨したのはパチンコの期待値攻略法だ。大当たり乱発法みたいな詐欺的な情報商材では無く、いまでは当たり前になっているが1回の大当たり出玉が何発で確率が◯分の1だからボーダーラインは1000円で◯回転で◯回転回し◯発打ち込んでるから1日の期待差玉は◯発で1日の期待値は◯円になるというような計算の仕方、物理学から玉の侵入経路やスピンで調整して回転率を高める方法、止め打ちを駆使して大当たり出玉を伸ばす方法など、今のパチンコ攻略の原点になる情報商材を出したのは僕が最初で最後だった。 今思えばその時からギャンブル業界のパイオニアだったように思う。 たいしたマーケティングをしなかったがその商材は爆発的に売れ、日本中のパチンコ屋さんから出入り禁止が続発し、今では攻略打ち、止め打ち等の張り紙がホールに貼られるのが当たり前になったほどだ。 僕だけの影響だけはなかったと思うが少なくとも僕の影響も大きかったように思う。 そんなことをしながらIT業界の稼ぐ系の世界で生きつつギャンブルで生きていた僕も挫折を味わうことになる。 次は投資の世界に進出だ!とパチスロ、パチンコで稼いだお金を株に投資してパンクした。 投資の世界はいる人間のレベルが高く凄いと思う大人を見たのはその時が初めてだったかもしれない。 プラスサムゲームである投資で自分が負けるはずが無いと思い、またギャンブルやビジネスでお金を貯めて再挑戦したがまたパンクした。 そこでここにいる大人達は世界中の選ばれた優秀な人達がいる世界で、少ない人間がアリ達のお金を全部吸い上げてるという構造に気づいた。 その時にここで戦うのは辞めようと学び競馬の世界に飛び込んだ。 ただ現実は甘くなく、そこでもパンクした。三回目のパンクだ。 マイナスサムゲームで井の中の蛙になろうとしたがそこにも強い大人がいたのだ。蛙に自分も喰われてしまった。 競馬の世界で生きようとした僕はその後何度もダメージを喰らいつつも何とか稼げるところまで行き着いた。 競馬で稼げるようになったことがきっかけでオッズパークツアーで競輪をやっている若者と出会い競輪を始めるきっかけになった。 その彼が競輪をやっていることもでかかったが、もう一人そこで知り合った競馬プロのプログラマが競輪だけはロジックを作っても攻略出来なかったと話したことが本格的に参入しようと思ったきっかけだった。 そして、競輪の世界に入ったが競馬とは違い競輪で稼げるようになったのは本当に1か月足らずだった。当時はライバルが競馬よりも弱く簡単に稼ぐロジックが作れた。2017年~2018年頃の話だ。 今では競馬も独自のデータベースを持ち、簡単に期待値がプラスになるロジックを作り出せて、色んなパターンで運用しているがどれも変わらず好調である。キャッシュバックが無くなり利益率が多少落ちて、売上ダウンによるマックスベット金額の減少があったとはいえ充分な収入になっている。 最近はポーカーにハマっており世界中にポーカーをしに行っているが、結局競輪も好きで辞める事はないと思う。 noteも購入してくれる方が居なくなった時、無価値なものとなるので辞めると思うが、今はありがたいことにたくさんの方が毎日買ってくれているので、買われなくなるまでは頑張って書き続けたいと思う。 ギャンブルの世界は本当に残酷だ。 20年以上のギャンブル生活の中、今の自分はたくさんの屍の上で生きている。 誰かが勝てば誰かが負けるのがギャンブルだ。 それを理解して噛み締めた上で僕は今日も生きている。 自分が選んだ道だから。 サバイバルすることが大好きだから。 僕は今の年齢には引退していると思った。 もっと若い優秀な人が僕を含め全ての公営ギャンブルのお金を吸い上げると思ったからだ。 でも未だにそんな人は一人も現れずに未だにずっと頂点に居続けられている。 あと何年ここにいられるかは分からないがここに居続けられる限りは抵抗し続けようと思う。 日本語004603
カスマル・ハン@kasunokeirin·4d今週はパチンコパチスロ週間として競輪ほぼやらずにパチ屋へ1週間 始めた時はカスマル荘に渋沢さんが9人住んでたんですが現在はなんと!!! 9人住んでます!!!! … 6000枚とか4万発とか出したのになんでプラマイゼロやねん…(´・ω・`)Çevir 日本語20121.2K
カスマル・ハン@kasunokeirin·5d今週はパチンコパチスロ週間としてコツコツとカスマル荘へ渋沢さんが入居してきたのこの2日間で急に18人の渋沢さんが退去してしまいました…(´・ω・`)Çevir 日本語009427
カスマル・ハン@kasunokeirin·12 Mayリコリコ残業で6000発増えた後8000発減りました…(´・ω・`) くそがよぉ… 4渋沢で16000発とか舐めてんのかダボハゼがよぉ…Çevir 日本語003466