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本当にこれ。
(すみませんワイに息子はおりませんが血税を兵器輸出や自国の飢えを顧みずに他国へ資金援助するのは大反対です)
Transporter@retopsnart
3万6,000人が震えた、二児の母の叫び。
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美味い酒や肴、楽しい物事、華やかなショーパブ、誠実で優しい人間、美しく可愛い動植物、沖縄や沖縄離島の海が好きです。介護系限界社畜独身中年、満48歳。

3万6,000人が震えた、二児の母の叫び。



鬱や適応障害になったときの判断として後悔しているのは、もう傷つきたくないからという理由で「人との関わりから過剰に距離をとったこと」だ。相手の些細な言葉を受けただけで怯えてしまう——だからとにかく人と接触せずに済む仕事や職場を探し続けたのだ。ただ私は人を避けていくうちに 「働くことそのもの」を恐れるようになってしまった。 どんなに人との接触を最小限にしても、完全に避けることはできなかったのだ。報告、確認、些細な会話——それらが、全て恐怖に変わっていった。避ければ避けるほど、わずかな接触すら重く感じる。 のちに気づいた。必要なのは「人を遠ざけること」ではなく、「言葉の受け取り方を変えること」だった。 たとえば上司から指摘を受けたときに、「自分という存在全体が否定された」として受け取るのではなく、「今、この行動についてだけの話だ」と見ること。存在ごと裁かれているのではなく、ひとつの出来事が起きているだけ。そこを省みる。 人との関わりが少ない仕事を選ぶこと自体は、今も悪くなかったと思っている。 ただ「傷つかないため」に選ぶのと、「自分に合った環境」として選ぶのとでは、同じ選択でも意味が変わる。前者は恐怖が理由だから、どこへ行っても怖さはついてくる。後者は自分を知ることが理由だから、選ぶたびに少しずつ自分の輪郭が見えてくる。 選ぶ理由が変わると、同じ選択が、「逃げ場」から「心の足場」になる。