ばるせろな
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ばるせろな
@korehaosake
読書会の主催始めました/ 将棋は人生の友/noteで婚活体験談書いてます

先週末は相互さんお二人とサルサを踊りに行ってきたのです そして、なんと! サルサ部が発足しましたーー!!! 👏👏👏👏👏

今回サルサ初体験のばるせろなさん@korehaosake とサルサの感想を語るスペースを明日開きます 4/27(月)21時から開始 スピーカー参加もお待ちしてますのでよろしくお願いします!

身体の相性が大事だと言うと、快楽のことしか考えていないように受け取られがちだが、そうではない。 欲望が露わになる場面というのは、その人の身勝手さや配慮の有無、相手の反応を見ながら調整できるかどうかがかなりはっきり出る。 自分のしたいことばかり優先する人なのか、相手の違和感や戸惑いをきちんと受け取れる人なのかは、むしろそういう場面のほうが分かりやすい。 だから身体の相性を見るというのは、快楽の相性だけを見ているのではなく、親密さのなかで相手をどう扱う人なのかを見ているということでもある。 欲望が強く作動する場面で気遣いのできない人間が、日常でだけうまく関係を築けるわけがない。 深い関係になってからその粗さや鈍さが露呈するよりは、その前の段階で分かっていたほうがいい。 これは、身体性による判断を軽く見るな、という話でもある。 婚前交渉を禁じる婚活言説には、身体性の視点が欠けている。 そこでは、条件や価値観、会話の相性だけで人を判断できるかのように語られがちだが、親密な場面で相手がどう振る舞うかは、関係性を見極めるうえできわめて重要な情報になる。だからそれを最初から判断材料から外してしまうのは、人間理解としてかなり粗い。と言わざるを得ない。 婚活屋がやたらと「ルール」を強調するのは、身体性による判断を欠いた関係では、関係を継続させる根拠を外側から補強するしかないからだ。 相手に触れたときの違和感、欲望が出た場面での配慮、親密さのなかでの扱われ方。そうした身体を通じた判断を排除すると、相手を見極める材料は条件や会話、形式的な約束に偏っていく。 その結果、関係を内側から支える実感よりも、「こうすべき」「ここまでは許される」「この段階ではこう振る舞うべき」といったルールが前面に出る。 つまり、婚活言説におけるルール偏重は、規律の強さというより、身体性を欠いた関係の脆さの裏返しでもある。






