くるみ
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くるみ
@krmpear
40代で親子共依存や依存体質に取り組むようになった私が、経験を元に共依存を緩めることについて書いています|生きづらさ|共依存|恋愛依存|氷河期

瀬戸内寂聴さんのこの言葉、機能不全家庭育ちさんにこそ刺さると思う。 「執着を手放せない人の考え方」が 7つあるんだって。 相手が悪いとか、自分が正しいとか、 そういうわかりやすいことじゃないんだよね。 もっと意外なことだった。 それが、



アダルトチルドレンは意識が常に外を向いていて、主語が自分じゃない。 親: 機嫌を損ねていないか? →だから大人しくしていよう 友人: つまらないと思われていないか? →だから明るく振る舞おう 職場: 役に立てているか? →だから必死に頑張らなきゃ 幼少期から「どう思われるか」を最優先にしてきたから、心は常に外側をパトロールしている状態。 これでは休まる暇がありません。 でも、五感という自分の感覚だけは、誰にも邪魔できません。 自分の感覚を味わう瞬間、意識は他人から自分の中に戻ります。 今、私はこう感じていると言葉にするだけで、主語を自分に取り戻せる。 「お茶が温かいな」「足の裏が地面に着いているな」 そんな些細な体感でいい。 ひとつずつ拾い上げることが、外側の雑音から離れ、自分らしさを形づくる確かな土台になっていく


まじめにやっているのに報われない内向型、大体の場合はアピールが下手すぎます。 というか、「ちゃんとやれば誰かが見てくれる」と思いすぎです。 9割の人間は他人に興味がない。なので「黙っていい仕事をする」はスルーされるんですよ。 むしろ「そんなのやって当たり前だろ」扱いされてワリを食います。 「誰かが見てくれる」という思いを捨てて、自分からちゃんとアピールする。成果を共有する、実績を発信する。例えば写真だったら自分から写真をバンバン出す。 別にガツガツする必要はないので、ここを意識するだけで違ってくると思いますね。

毒親の「茶化し」がやっかいなのは、その“曖昧さ”にある。まさに引用にあるように「そんなんで傷つく方が悪い」そんな正論で、暴力が偽装されている。殴られたり、怒鳴られたりすれば、「傷つけられた」とはっきり認識できる。でも茶化しは違う。冗談っぽい。親しさっぽい。悪意がないように見える。だから子どもは混乱する。「こんなので傷つく自分がおかしいのかもしれない」「笑って返さなきゃいけないのかな」そうやって、自分の感覚を疑い始める。ここで起きているのは、ただの恥じゃない。自分の感じ方そのものへの不信感だ。それは、人格の土台を、静かに壊していく。

毒親育ちが、″生きづらさ″を克服できない大きな要因のひとつは、「世間の正しさ」だ。親は大切にするもの。家族は愛するもの。そう教えられてきた人からすると、親を憎むことは理解しがたいかもしれない。でも、どんな言葉を言われたのか。どんな扱いを受けてきたのか。それは本人にしか分からない。その体験の重さは、外からは見えない。だからこそ、「許さなきゃ」「感謝しなきゃ」そう思うほど、自分の本音が分からなくなっていく。こうして、「世間の正しさ」までも利用して、感情を押し込めさせる。それが、毒親の作り上げた構造なんだ。


正社員として働いていた頃、「1日8時間働くこと」が自分には難しいと思っていた。体力のなさに辟易していた。ただ私の課題は「長い時間働けないこと」ではなく 「集団の空気に気を配り続けること」で消耗していたのだと徐々に気づいていった。誰かが不機嫌そうにしていないか。自分の発言が場を乱していないか。周囲のペースから取り残されていないか——この「過剰な気遣い」を、8時間ずっと続けていた。 仕事そのものより、集団の中で自分を保とうとする緊張が私を削っていた。 ただこの気遣いを「やめる」のは無理だ。であれば、その対象を変える意識を私は携えた。他者の機嫌より、自分のコンディション。場の空気より、自分の呼吸。周囲のペースより、自分のリズム。 これは決して我儘でも、自分勝手でもない。自身を優先し始めたら、周囲への過剰な気遣いが減った。自分が満たされていると、他者の不機嫌を「私のせい」にしなくなる。 自己中心ではなく、自己尊重。その違いが、自身を削る働き方から、保つ働き方への転換点になった。
