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@krmpear

40代で親子共依存や依存体質に取り組むようになった私が、経験を元に共依存を緩めることについて書いています|生きづらさ|共依存|恋愛依存|氷河期

東京 Katılım Mayıs 2024
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くるみ@krmpear·
@kamiji48 こちらこそ、コメントありがとうございます。
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くるみ@krmpear·
自分の常識は誰かの非常識、なんて言葉があるけれど。 毒親育ちや親子共依存で生きてきた人こそ、ポストのように誰かの作った考えを自分の心に取り入れることも大事だと思う。 何か執着が手放せないときは、自分自身の考え方の心地よさに安心を感じているのもあるからね。 誰かの考えを試してみるのは、依存ではない。自立していくことの一つかもしれない。
かみじ|不器用な自分で生き直す@kamiji48

瀬戸内寂聴さんのこの言葉、機能不全家庭育ちさんにこそ刺さると思う。 「執着を手放せない人の考え方」が 7つあるんだって。 相手が悪いとか、自分が正しいとか、 そういうわかりやすいことじゃないんだよね。 もっと意外なことだった。 それが、

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くるみ@krmpear·
noteにて、私自身が生きることを通して見つけたメンタルブロックや価値観、捉え方について書いています。毒親や、親子共依存、生きづらさに悩んでいる方に届きますように。 note.com/walnut2219/
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くるみ@krmpear·
誰かといるために明るい自分を演じなければいけないなら、一人で生きる方が自分らしくいられるのかもしれない。 誰かといる自分だけに、価値があるわけではないからね。 一人でしっかり生きている、一人で生きようとしている人は強いよ。
レンレン@renren_acx

x.com/i/article/2038…

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くるみ@krmpear·
私はずっと透明人間だったから、このポストがとても分かる。親子共依存や毒親育ちだと、あるあるかもしれない。 私は、自分の意見を言うことが怖くてできなかった。何故なら、親の言葉で沢山傷ついてきたから。 それを他の誰かに私と同じ思いを体験させるなんて、怖いよね。何されるかわからないし。 親と一緒でどうせ感情的に八つ当たりされるかもしれないと思ってしまう。 そんな思いをするなら、自分なんて無くてもいい。自分の気持ちが分からないのは、そもそも透明人間でいたい私というのもいるかもしれない。 けれど、心の中だけは色鮮やかな私でいてもいい。どんな感情を感じてもいい、どんな行動をしてもいいんだよね。 それが透明でも、単色でも、正解は自分で決めていいんだよ。
あい🍀@ai_behappy_2nd

アダルトチルドレンは意識が常に外を向いていて、主語が自分じゃない。 親: 機嫌を損ねていないか? →だから大人しくしていよう 友人: つまらないと思われていないか? →だから明るく振る舞おう 職場: 役に立てているか? →だから必死に頑張らなきゃ 幼少期から「どう思われるか」を最優先にしてきたから、心は常に外側をパトロールしている状態。 これでは休まる暇がありません。 でも、五感という自分の感覚だけは、誰にも邪魔できません。 自分の感覚を味わう瞬間、意識は他人から自分の中に戻ります。 今、私はこう感じていると言葉にするだけで、主語を自分に取り戻せる。 「お茶が温かいな」「足の裏が地面に着いているな」 そんな些細な体感でいい。 ひとつずつ拾い上げることが、外側の雑音から離れ、自分らしさを形づくる確かな土台になっていく

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くるみ@krmpear·
親子共依存の方だけでなく、毒親育ちの方にも読んでいただけると嬉しいです 親子共依存育ちは友達を失うことすら親の影響を受けてしまう|くるみ @krmpear #振り返りnote note.com/walnut2219/n/n…
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くるみ@krmpear·
親子共依存を緩めてきた足跡をnoteにしています。無料です。 note.com/walnut2219
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親子共依存で育つと、幸せになることが怖い気がする。幸せというものが分からないのもあるけど、不幸でい続ける自分から変わることが怖いのかもしれない。
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くるみ@krmpear·
親子共依存で育つと、役に立たない私でいることに不安になる。誰かの役に立つことで、胸を張ってお手伝い出来ていたときのように褒められたい。よく出来たねって、両親に頭を撫でてもらいたい。 自分を褒められずに生きてきた私を、そろそろ認めてもいい頃なのかもしれない。 誰かの役に立つから、私として生きている訳じゃない。親の役に立たなくても、自分の好きに生きても、私は私だから。
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くるみ@krmpear·
何かに依存したいときは、傷ついた心の埋め方が分からないだけかもしれない。そんなことを考えている。 以前の私は、想いを告げた相手に依存していた。 受け入れてもらえた時はよかった。初めて自身の想いを伝えられた高揚感。 ずっと抱えていた空洞のような心の寂しさ、憂いを満たせた気がした。 けれど、依存していた関係は対等ではなかった。 振られたあとも、小さな頃振り向いてくれなかった母の面影を重ね執着していた。 それはまるで、小さな女の子が泣きながら駄々をこねるような、叶えられない願い。 でも悲しいことに、執着していた私は相手のことなんてこれっぽっちも見ていなかったことに気づく。 相手が何を私に望んでいたか、なんて考えられなかったから。 私が欲しかったのは、母の私を優しく包み込んでくれる暖かい手だったのだ。 だから、私は小さな私を優しく抱きしめようと思う。 どれだけ怖かった?泣きたかった?そんな気持ちを丸ごと受け止めること。 私が何かに依存したいときは、きっと誰かに抱きしめて欲しいときだと思うから。 心の傷はまだ埋まらないかもしれないけど、それでいいと思ってる。
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くるみ@krmpear·
共依存育ちは不器用だと思う。甘えたいのに、恥ずかしくてできない。自立しようとして、頑張りすぎて辛くなっちゃう。 けど、器用じゃないからいいことだってある。誰かの手を借りる練習もできる、たくさん悩むから相手の心を考えることができる。 優しすぎるほど優しいから、幸せになって欲しいなって思ってる。あなたにも私にも。
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くるみ@krmpear·
勤務中に自分の体調に耳を傾けてあげること。会社に与えられた仕事ではないけれど、自分も職場の人も大切に出来る働き方だと思います。
詩旅 紡@tsumugi_utatabi

正社員として働いていた頃、「1日8時間働くこと」が自分には難しいと思っていた。体力のなさに辟易していた。ただ私の課題は「長い時間働けないこと」ではなく 「集団の空気に気を配り続けること」で消耗していたのだと徐々に気づいていった。誰かが不機嫌そうにしていないか。自分の発言が場を乱していないか。周囲のペースから取り残されていないか——この「過剰な気遣い」を、8時間ずっと続けていた。 仕事そのものより、集団の中で自分を保とうとする緊張が私を削っていた。 ただこの気遣いを「やめる」のは無理だ。であれば、その対象を変える意識を私は携えた。他者の機嫌より、自分のコンディション。場の空気より、自分の呼吸。周囲のペースより、自分のリズム。 これは決して我儘でも、自分勝手でもない。自身を優先し始めたら、周囲への過剰な気遣いが減った。自分が満たされていると、他者の不機嫌を「私のせい」にしなくなる。 自己中心ではなく、自己尊重。その違いが、自身を削る働き方から、保つ働き方への転換点になった。

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