𝕜𝕪𝕒𝕞𝕚(きゃみ) ❃ No pain, no gain
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𝕜𝕪𝕒𝕞𝕚(きゃみ) ❃ No pain, no gain
@kyamiyama
【せとうちインバウンド民泊コミュニティ】コミュニティマネージャー💡『着想』 #Noblesse oblige #副業サラリーマン #大学生 #テスラ 乗り👇「小川邸」の宿泊は下記から



@kei31 たのむよおおおおお


「保存したいなら自分でやれ」という冷笑が広がるとき、だいたい行政が対話を拒否している。 船の体育館(旧香川県立体育館)の話だ。 民間団体「旧香川県立体育館再生委員会」が「公費ゼロ、自分たちで30〜60億出して買い取り、ホテルに改修します」と提案した。 民間が「お金出します、公費不要です、良い活用案があるので一緒に考えましょう」と言った。 「保存したいなら民間がお金を出せばいい」って言ってる人たち、実はこれ、もうとっくにクリアされてるんですよ。 ところが県の返答は「地震が来たらガレキがあらゆる方向に飛散する崩壊を起こす!壊します」。 そんな壊れ方しませんよ、とあらゆる専門家から突っ込まれても県は頑なに「崩壊する」と繰り返し続けた。 問題は「お金が出るかどうか」ではなく、「対話のテーブルに着くかどうか」だった。 民間はお金を出すと言った。県は対話を拒否した。つまり「金を出せ」への答えは出ていて、次の問題に移っている。実際のところ具体的に事業者が名乗り出た後の知事の記者会見で資金は話題になっていない。 問題はお金じゃなかった。県が対話そのものを拒否したことが、この件の本丸です。 民間が実績のある事業者と一緒に具体的な計画を策定して提案し、約5万の署名を集め、法的手続きを踏み、それでも聞く耳を持たなかった。 この一連を見た市民が学ぶのは「声を上げても無駄」という教訓で、次からは最初から黙るようになる。冷笑は突然生まれるわけじゃなく、こういう積み重ねで静かに醸成されていく。 旧香川県立体育館の件で一番怖いのは、建物が失われることより、「具体的な提案を持っていっても、県は聞くことすら拒否する」という事実が可視化されたことだと思っている。 香川県で次に何かをしようとする人たちに「どうせ無理」という気持ちを植え付けてしまう、それが最大のダメージだし、県議会が狙っていることなのかもしれない。 建物はいつか必ず朽ちる。でも「香川県なら、まだやり直せる」という感覚は、失ったと気づいたときにはもう手遅れなんですよ。 news.ksb.co.jp/article/159199…



香川県立体育館——通称「船の体育館」が閉館して以来、海外メディアに継続的に取り上げられているらしい。 ニューヨークタイムズはもとより、外国人向け香川ツアーには「訪れるべき建築」として組み込まれ、廃墟観光の文脈でもなく、純粋に建築巡礼として訪問者が来る。 海外の論調はこうだ。日本では1960〜80年代の名建築が次々と解体されており、菊竹清訓・黒川紀章・伊東豊雄らの作品も失われてきた。 戦後建築を守る保存制度が機能していないことが根本的な課題であり、世界レベルの日本の遺産の消失は今後も続く——と。 これ、他人事みたいに書いてるけど、完全に日本の恥を国際社会に晒されてるんですよね。フランスなら文化財法典(Code du patrimoine)があり、イタリアならイタリア共和国憲法第9条には「共和国は、国家の景観、および歴史的・芸術的遺産を保護する」があり、文化財を壊すこと自体が犯罪に近い。 対して日本は「古くなったから解体」「維持費がかかるから解体」というオペレーションを超高速で回し続けている。ポジショントークを承知で言うが、これは制度の問題というより、ストック型の価値観が社会に根付いていないという構造的な問題だ。 ヘロストラトスじゃないけど、歴史に名を残したければ「建てる」より「壊す」方が手っ取り早いというのが現状で、解体業者の方が保存団体より強いというのが日本の文化行政のリアルである。虚無。 ただ——散々バカにしておいてなんだが、船の体育館を見ると、正直グッとくるものがある。 空襲で焼け野原にされながら先人が「未来」に持っていた無邪気な自信の結晶で、今の我々には到底あのスケールの楽観主義を持てない。 世界がその価値を認め、わざわざ香川まで見に来るという事実は、建築の話であると同時に「失われていく日本」への弔いでもある気がして、それがちょっと切ない。


















