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@malcome_kzn
臨床心理士・公認心理師 柔術(青帯ストライプ0 マスター5 フェザー 🟦1大会 2勝1敗 🥉1 ⬜5大会 4勝3敗 🥇2) 甲斐犬
Katılım Aralık 2012
547 Takip Edilen205 Takipçiler
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「辺野古沖事故の「報道しない自由」とメディアの末路」常磐道バス事故の報道と比較しても、「面倒なことには関わりたくない」という大手メディアの保身は明らかでしょう。こうして事件は「風化」していきます。 tachibana-akira.com/2026/05/18157
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都民の方はこの事実を知っておいてください。
視察は
政策判断や行政監視に必要な公務です。
小笠原諸島は
国や都の重要政策が集中する地域であり
(離島医療、防衛、ごみ処分場、観光施策、環境保全、島しょ振興、、、)
これらを
現地を見ずに議論する方が無責任です。
また、小笠原は船で片道24時間以上かかり、定期船の都合上、滞在日数も長くなります。
「5泊6日」という数字だけを切り取るのは、地理条件を無視した印象操作です。
船の価格が高いのも以前からの課題です。
島民割引を現在の3割から5割にして欲しいという声も出ています。
当然、私だけ安い料金で船に乗ることはできません。
さらに、カメラ撮影についてですが
議員活動を可視化し、都民に公開するためです。
従来の政治は
「何を視察したのか分からない」
「報告書だけで実態が見えない」
「税金の使い道がブラックボックス」
という批判を受けてきました。
その中で、現地で何を見て、誰と会い
何を課題として認識したのかを動画で公開することは、都民への説明責任の一環です。
また、「幼児が同行した」という点についても、それだけで公務性が失われるわけではありません。
むしろ柔軟な働き方は、働く女性の活躍を推進します。
感情的な印象操作ではなく、事実ベースで議論すべきだと思います。
むしろ問題にすべきなのは、
視察していないのに報告書だけ提出する議員
発信も説明もせず税金の使途が見えない政治
都民が活動内容を検証できない状態
ではないでしょうか。
チョコ@gingastar777
都民の方はこの事実を知っておいてください。 「公務」と銘打って、YouTube用のカメラマンとその幼児まで連れて小笠原諸島へ5泊6日の視察をしたさとうさおり都議。往復の船代だけで1人17万円。 そして公務視察と言いつつ幼児との旅行のような内容を個人のYouTubeチャンネルで配信し収入を得る有様。
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堀江貴文氏がプロデュースする会員制レストラン「WAGYUMAFIA」において、オーブンから噴き上がる大規模な炎のパフォーマンスが議論を呼んでいる。
ここで問われるべきは、演出の質ではない。
制御可能性、安全性、そして法適合性という、文明社会の最低限の基準を満たしているか否かである。
まず注目すべきは、オーブンそのものの危険性である。
当該店舗で使用されているとされる炭火オーブンは、本来、内部で高温燃焼を安定的に維持するために設計された装置であり、その火炎は外部に放出されることを前提としていない。
にもかかわらず、扉開放と同時に外気を流入させ、爆発的に炎の拡大を引き起こす現象、いわゆるバックドラフトに類する燃焼の様相を「演出」として利用しているのであれば、それは機器の本来の用途から逸脱している。
ここにおいて、「安全に設計された機器だから問題ない」という弁明はもはや成り立たない。
次に、人体への危険である。
これほどの燃焼規模が屋内で発生する場合、一酸化炭素や微粒子状物質の濃度は瞬間的に上昇し得る。
換気設備には処理能力の限界がある以上、燃焼量との均衡が崩れれば、呼吸器への負荷は避けられない。
さらに、炎に向けて金粉やスパイスとみられる粉末状の物質を散布する行為は、それ自体が吸入リスクを孕んでいる。
粒子の性質や粒径によっては肺胞レベルでの沈着を引き起こし得るものであり、「見た目の華やかさ」と引き換えに、不可視の異物を吸入させることは、客への誠実さと真っ向から矛盾する。
そして見逃せないのは、店舗としての安全義務と法的問題である。
日本の消防法および火災予防条例は、飲食店に対し、火気設備の管理について具体的な義務を課している。
可燃物との離隔距離の確保、排気ダクトの安全維持、そして自動火災報知設備の適切な機能保持。
天井近くまで到達する火炎は、これら離隔規定に抵触している可能性がある。
換気ダクト付近での高温燃焼は、油脂堆積を介したダクト火災の誘因となり得る。
ダクト火災は外部からの消火が極めて困難であり、店舗だけでなく、ビル全体、さらには近隣の建物へと延焼する致命的な火災に繋がりかねない。
さらに、通常であれば作動すべき規模の炎にもかかわらず自動火災報知設備が反応していないという指摘が事実であれば、それは単なる過失ではなく、安全装置の機能停止、すなわち法令そのものを無視する行為だ。
この問題の本質は、この一連の演出が、「最高級の体験」や「特別な時間」を標榜しながら、その前提であるはずの「安全」を置き去りにしている点である。
最優先されるべきは、客とスタッフの生命と身体の安全だ。
にもかかわらず、天井に届くほどの火炎を伴う演出が行われ、燃焼の規模や危険性についての説明も示されていない状況は、単なる演出などでは済まされない。
当然予見できるリスクが放置されている時点で、それはすでに危険行為であり、客の安全性を軽視した怠慢である。
どれほど高価な体験であろうと、安全という前提を欠いた空間に、本物のホスピタリティは存在しない。
本物の贅沢とは、安全という静寂に満たされた空間にのみ宿るものである。
#堀江貴文 #ホリエモン #WAGYUMAFIA
がっちゃんです@Gatchan_desu
WAGYUMAFIAのこのパフォーマンスは「消防法および火災予防条例」的に不味いんじゃないかなぁ
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なんでボクシング禍が続くのか⋯スパーリングのし過ぎによる脳への負担、短時間での水抜き、科学的トレーニングによる肉体への過度の負担など。真摯に取り組んでいる人ほど事故にあっている気がする。ギリギリの勝負なんだろうけど。早期の解明を求む。
web.nhk/tv/an/gendai/p…
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「F1のシャンパンファイトと何が違うの?」
堀江貴文氏は、「WAGYUMAFIA」での食用菊ばら撒きが物議を醸している件について、そう述べた。
堀江貴文氏が語る「食用菊ばら撒き」パフォーマンス。
それは「食と芸術が融合した儀式」とされる一方で、「ふざけていると思われてもいい」とも述べられている。
もともとの説明では、菊を「日本の国家(原文ママ)、そして神戸ビーフの象徴」として記載し、それを「食と芸術が融合した儀式」としている。
だが、菊は日本において法的に定められた国花ではない。
問題はその点そのものではなく、そうした基本的な認識すら曖昧なまま象徴として持ち出し、儀式の根拠としていることにある。
この齟齬が、演出そのものの土台の脆さを露呈している。
ここで問われるべきは、「儀式」と「エンターテインメント」の混同である。
本来、儀式とは対象への畏怖や敬意を形式として表す行為であり、そこには越えてはならない一線がある。
しかしここでは、「儀式」と呼びながら、その一方で「ふざけていると思われてもいい」と付け加えている。
このダブルスタンダードは、儀式としての根拠を自ら瓦解させるものだ。
それはもはや儀式ではなく、言葉だけが先行した演出でしかない。
そして、堀江氏が引き合いに出した「シャンパンファイト」との比較。
ここには決定的なカテゴリーエラーがある。
F1やプロ野球におけるそれは、長い研鑽と熾烈な競争の果てに到達した「勝利」という唯一無二の瞬間を祝う行為である。
そこには再現不可能な時間の重みと、達成の意味がある。
一方で、レストランにおける演出は、対価を支払うことで誰もが反復的に享受できる商業的サービスに過ぎない。
達成によって開かれる祝祭と、購買によって提供される演出。
この両者を同列に置くこと自体が、概念の混同である。
そもそも、祝祭における「素材」の扱いには、捧げたり感謝したりする供犠的側面がある。
ビールかけに宿る熱狂と、結婚式のライスシャワーに込められた祈りは、食品を単なる「消費」にとどめず、その瞬間の意味へと昇華させている。
それらは、共有された意味の中で成立している行為である。
だが、このレストランの演出は、その前提を欠いたまま、食材を散らかして盛り上がること自体を目的としている。
堀江氏はまた、「店では日常だが、客にとってはハレの舞台」と語る。
しかし、この言葉はむしろ逆説的に、その行為の形骸化を示している。
本来、「ハレ」とは提供者と受容者がその特別性を共有することで成立する。
提供側がそれを「日常」として扱っている時点で、そこにあるのは儀式ではなく、反復可能な手順としての演出である。
それは、祝祭の形式を借りた商品であり、儀式の名を借りたルーティンだ。
象徴として語られた食用菊を、場の盛り上がりのために大量に散らし、床に落ちた分を無駄にする。
そこに前提となる敬意が欠けている以上、これは価値の誇示ではない。
むしろ、自ら掲げた価値の否定である。
そこにあるのは、祈りでも分かち合いでもない。
「これだけ無駄にできる自分たちは、これだけの富を持っている」という誇示。
すなわち、誇示的消費の露骨な表れに他ならない。
価値とは、浪費によって証明されるものではない。
むしろ、その扱いに滲む節度と感受性にこそ現れる。
#堀江貴文 #ホリエモン #WAGYUMAFIA
ユーチュラ-YouTubeランキング@ytranking
堀江貴文プロデュース「WAGYUMAFIA」、食用菊をばらまく演出に批判集まる 料理研究家リュウジ「品性まで失った?」 yutura.net/news/archives/…
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「母親は何してんのよ」
著名人がSNSで感情的な発言をするとき、それはいつ「意見」から「私刑」に変わるのか。
この問いを考えるための事例がここにある。
京都で発生した遺体遺棄事件に対し、元タレント・木下優樹菜氏が捜査進行中のままSNSで被害者の母親を公然と糾弾した。
その発言の是非を問う前に、まず問われるべきは、この発言が孕む、三重の矛盾である。
その矛盾を読み解くことで、「意見」が「私刑」へと変質する瞬間の構造が見えてくる。
「母親にものすごい怒りを感じてるのは私だけ?でないはず」
「何してんだよ母親。同じような立場だからなおさら。」
木下氏は自らを「同じような立場(ステップファミリー)」と位置づけ、その共感を根拠に被害者の母親を糾弾している。
しかし、ここには致命的な論理の飛躍がある。
「同じ立場である」ことと「被害者の母親が何をしたか(あるいは何をしていないか)を知っている」ことは、全く別の事象である。
捜査が進んでいる最中に、自身の経験則という極めて狭いフィルターで、見知らぬ他者の置かれた複雑な状況を断定し、攻撃する。
これは共感ではなく、自らの正義感を振りかざすための「他者の犠牲」に他ならない。
さらに、木下氏は自身の発信を「個人の自由」「率直な思い」と捉えているようだが、多くのフォロワーを抱えるインフルエンサーであるという事実を完全に忘却している。
過去にタピオカ店への恫喝で多大な社会的不信を招き、自らの発言がどれほどの破壊力を持つかを学んだはずの人間が、公的な捜査が進行中の事件に対して、確定情報もないまま母親を公然と非難する。
「言葉が誰かを傷つける可能性があることを忘れてはならない」という教訓を、皮肉にも彼女自身が体現し続けている。
そして最も根本的な問題がある。
彼女が母親に怒りを感じる理由は、「なぜあの子が殺されなければいけないのか」という被害男児への慈しみだとしている。
しかし、その感情をSNSという不特定多数の目に触れる場所に吐き出す行為は、最も繊細なケアを必要としている遺族を、世論という名の私刑に差し出す行為である。
このようなデリケートなタイミングにおいて、その言動が遺族をさらに追い込む可能性があることに、想像力が届いていたなら、発言は別の形をとったのではないだろうか。
怒りが理性を追い越し、他者への想像力が断たれるとき、意見は私刑になる。
その怒りの炎は、他者を浄化できるという錯覚を生む。
だが、焼き尽くされるのは他者ではない。
自らの良識だ。
#木下優樹菜 #京都男児遺体遺棄事件
女性自身【公式・光文社】@jisinjp
【「被害者の家族を非難してどういうつもり」木下優樹菜 京都小6遺体遺棄事件への私見が物議】 jisin.jp/entertainment/… #木下優樹菜 #京都男児遺体遺棄事件 #私見 #女性自身[@jisinjp]
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