マインド亀(白黒表示中)
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@mindgame2000
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Netflix『ガス人間』7話までいきました。 あの…毎回このイラストみたいに大変なことしておられるんですか………?

僕は山崎貴版のゴジラが好きではない。 理由はいくつもある。けれど、何より受け入れられないのは、『ゴジラ』(1954)が持っていた核心を別のものへと置き換えてしまったことだ。 『ゴジラ』とは、本来「第二次世界大戦という忌むべき戦争の果てに、人間は何も学ばず、冷戦下の水爆実験によって、古代生物を人間の業が生み出した怪物へと変えてしまった」という物語だった。 ゴジラは戦争そのものでも、戦死者の怨念そのものでもない。人間が繰り返してきた暴力と愚かさ、その果てに歪められた存在なのである。 しかし山崎版は、その根底にあるテーマを「戦死した兵士たちの怨念」という、より単純な物語へと寄せてしまったように僕には映る。 象徴的なのが『-1.0』のラストシーンだ。消えゆくゴジラへ人々は敬礼を捧げる。 けれど、もしあの場に山根博士がいたなら、彼は決して敬礼はしなかったはずだ。手を合わせたと思う。 それは敵への敬意ではなく、人間の業によって生み出されてしまった存在への鎮魂であり、自然への畏怖なのだ。 おそらく予告を見る限り、『ゴジラ-0.0』でも「恨み」や「怨念」がより強調される作りなのだろう。もしそうなるのだとしたら、僕はやはり同じことを思わざるをえない。 怨念はゴジラを構成する一つの要素ではある。しかし、それは決して核心ではない。 ゴジラ誕生から70年。このシリーズは数え切れないほどの新しい解釈を受け入れ、おおらかに変化を重ねてきた。 けれど、その多様な解釈が成立するのは、根幹のテーマが揺るがないからではないのか。 最初に打ち込まれた楔を、安易に抜いてはいけない。 ゴジラ70年の変遷を、分かりやすく、また叙情的に魅せてくれる動画がコチラ。 youtu.be/rSuKf4Ntys4?si…























