クラッシック音楽エピソード
3.9K posts

クラッシック音楽エピソード
@mk9aa7m2
No Life!No Classical Music!中学受験国語、社会を指導している塾講師、家庭教師です。アマチュアオケ大好き💕このアカでは、意外に知られていないが是非残したいクラッシック音楽ジョークやエピソード、名言、コンサートやCDの感想を呟きます👍著書3冊。「やさしい中学社会歴史・地理・公民」(学研プラス)
東京 Katılım Mayıs 2011
1.7K Takip Edilen2.2K Takipçiler

【小澤征爾と村上春樹が語る小澤の4種の「幻想」】
トロント(1966)〜小澤征爾はまだ三十一歳で、傾向としては『前へ前へ』というパワフルな演奏ですね。さっきも言った
ように、音楽がたなごころの上で跳ねて踊っている。
ボストン(1973)〜第四楽章のファゴット、ティンパニーにトロントとの実力差を感じる。小澤も音楽監督として、ボストンの質を上げようと、細部にまでこだわった。最高のオーケストラを得て、手のひらに音楽を包んで大事に熟成させているという感じがあります。
サイトウ・キネン(2007)〜その包んでいた手のひらを少しずつ開いて、音楽に風を通し、自由にさせているという印象を受けるんです。音楽そのものに自発的な余地を与えるというか。外に出ていくのなら出ていけばいいというような。ひとことで言えば自然体に近くなっているのかな。BSOの時みたいに細部にあまりこだわってない。また、肩を壊したため、昔みたいに手が動かない。
サイトウ・キネン(2010)〜オーケストラの自発性がさらに大きい。




日本語
クラッシック音楽エピソード retweetledi

【フルトヴェングラーのカラヤンへの嫉妬】ウィーン・フィルのオットー・シュトラッサーは、1940年代の末、楽友協会でのレコード録音のさいに、フルトヴェングラから呼び止められたことを憶えている。顔を真っ赤にして興奮したフルトヴェングラーは、「カラヤンのレコードのどこがそんなに特別で、批評家や大衆に人気があるのか」と訊ねたのだった。
「質問があまりにあけすけだったので、私は最初面喰らいました。でも、すぐに気を取り直して、あなたの長所――感情の激しさ、音の美しさ、みごとな盛り上がり――が、レコードでは充分に伝わらないのに対し、カラヤンの特徴である鮮明さや正確さは、レコードでも百パーセント再現されるからではないでしょうかと、答えたのです」(オットー・シュトラッサー)




日本語

【「奇跡のカラヤン」に対するフルトヴェングラーの反応】
「奇跡のカラヤン」は、カラヤンとサバタ、フルトヴェングラーを同列に扱い、カラヤンが暗譜で「トリスタン〜」を指揮したことなどをたたえた。
これに対して、フルトヴェングラーは1940年に書いた「手記」で次のように反論している。
「彼らが国立歌劇場指揮者 X(カラヤン)をサバタと同列に並べたとしても、サバタを傷つけるわけではない。だが、彼らは芸術を裏切り、傷つけ、大衆を惑わせた。彼らが暗譜で指揮をする技術といった表面的な資質を過大評価するなら、彼らは芸術性のかわりに勤勉性を讃えることになる。彼らは、いつの世にも絶えることのない愚かな連中、コンサートホールにいながらサーカスを恋しがる人びととみずから肩を並べたのだ」(フルトヴェングラー)




日本語
クラッシック音楽エピソード retweetledi

【カラヤン&ウィーン国立歌劇場1937年の「トリスタン〜」】
「リハーサルは3回という約束だった。
だが、ウィーンに着いたとき、駅に出迎えたオーケストラの幹部から、プログラムが変更になったのでリハーサルは2回しかできないと言われた。
さて、私(カラヤン)は3日間ピアノで歌手に稽古をつけた――これがまたひと苦労だった。イゾルデ(アニー・コネツニ)が、稽古はそっちのけで自分にきた手紙を読んでいたのだ。
そして別の幹部がやって来て、オーケストラは1回しかリハーサルできなくなったと言う。もちろん私は地方出の若い楽長だし、面倒など引き起こしたくなかったから、私は承知した。
最後に何人か奏者が会いに来てこう言った。『たった1回のリハーサルじゃ、なにもできません。リハーサルなどやめましょう。そのかわり約束します。本番のときはマーラーが指揮したときみたいに真剣にやりますから』」
ぶっつけ本番の演奏の出来は素晴らしく、1938年ベルリンでの「奇跡のカラヤン」を思わせるものだった。



日本語

【カイルベルトとモットルの最期】
孤独好きの読者家カイルベルトと内気な仕事の虫カラヤンは、生年が同じで親友だった。
1968年6月にカイルベルトはミュンヘンで、『トリスタンとイゾルデ』の公演中に倒れ、そのまま息を引き取った――「静かなパッセージで、緊張が頂点に達するときだった」と、カラヤンはのちに私(オズボーン)に語った。
それをきっかけにカラヤンは指揮者の内部に生じるストレスについて、医学的な研究をはじめている。
カイルベルトの死にかんして不気味なのは、カイルベルトと同様にカールスルーエの音楽監督だったフェリックス・モットルもまた、1911年6月にミュンヘンで『トリスタンとイゾルデ』の公演中に死去していることだ。
「しかもだ」とカラヤンは驚きを隠せぬ様子で言った。「カイルベルトは〈モットルのように『トリスタン』を指揮しながら死にたい〉と口ぐせのように言っていたんだ。」(リチャード・オズボーン)




日本語

































