もとおみ數史
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『ピーピングカメラ術』や『ピーピングマガジン』、『激撮コレクション』などのピーピング系、『スーパー写真塾』などの投稿写真誌にも少女写真の投稿募集や撮り方指南のコーナーがあり、有名どころでは渡羅や近藤昌良もページを持っていましたね。
葛西伸哉@kasai_sinya
一方でこの時代、「アクションカメラ術」とか、ティーンが自分で同世代女子やアイドルのセクシーショットを隠し撮りするというブームもあったのだよな。 この辺も「同一ではないが、無関係でもない。無視できない領域」だろう。
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あぁ。ということは『ムッちゃんの詩』の逸話が映画化された際に、朝鮮人労働者との触れ合いという、史実に無い創作要素が付け加えられたのは、当時の制作者の感覚では極めてポピュラーなことだったのか
りもこん市長@ajgmd542mpc
1959年に発表された白土三平先生の作品「消え行く少女」原爆症が原因でどんどん不幸になって行く少女の悲劇を描いた衝撃作です。驚くのは全2巻のうち、1巻は原爆症の話だが2巻が少女に優しくしてくれる男が日本に強制連行された朝鮮人労働者だという2重の重いテーマを扱っている事だ。その回想シーンは
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女子大生ブームの本格化から、女子高生ブームへの移行期、83~84年の間には「愛人バンク」や『金妻』がブームとなり、女子大生ブームも含め、全てが商品化されていく裏で「女性の性的な自立」のムードはあったように思う。『毎度おさわがせします』やおニャン子のブームもその延長線上かな。
もとおみ數史@mottokazu
82年には、山城新伍が女子大生と曲をリリース、『MBSミスキャンパスDJ』放送開始、日活が『女子大生の下半身 なーんも知らん親』を製作。83年、満を持して『オールナイトフジ』が始まる。が、このブームはあまり長く続かず、ロリコンブームが終わりを告げた85年を境に女子高生ブームへの移行を始める。
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『SMセレクト』(東京三世社)に連載された「ドクター栗林の浣腸看護学」ですかね。85~86年の連載なので、ブームの影響が一般にも降りてきた時期ですね。なお、栗林コレクションは『ロリコンHOUSE』(三和出版)にも掲載されたと但馬オサム氏が書いています。
note.com/spectreman555/…
くらがりこうび@Scats99
ロリコンブームの際限ない拡大の話をするなら、当時の普通のSM雑誌に「現役小児科院長(と言う触れ込み)による初潮前少女への浣腸処置(注入から排泄まで)や性器洗浄処置のレポート(目線入り写真付き)浣腸馴致の有り様、家庭での愛娘に対する日常からの浣腸の勧め」の記事が連載されていた事実や
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すみません。そうでしたね。『気まぐれコンセプト』との間違いでした。そこからの流れで出たのが『見栄講座』なのを混同していました。
ケク(R.N. スモーキー☆ほたて)@kekuxxx
@mottokazu 「見栄講座」の表紙は左の「第五世代コンピュータ」のパロディです。あとがきにもしっかり書いてある。
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