
PTA会長の頭の中
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PTA会長の頭の中
@nakami_pta
練馬区小学校PTA連合協議会の会長をやっています。単位PTA会長も兼務しています。(2025年度/令和7年度~)所属団体名をプロフィールに記載しておりますが、本アカウントの発言は団体を代表するものではなく、私個人の考えによるものです。#練馬区 #PTA


先日、クラスになじめないという理由で、帰宅後に毎日泣く娘を案じた母親が、学校に相談した。相談相手は男性の担任で、母親はクラスでの娘のようすや人間関係について説明を求めたという。しかし担任は、3回、4回と連絡を重ねても「たいしたことではない」とまともに取り合わなかった。 ところが5回目、父親が同内容で連絡を入れた途端、担任は態度を一変させ、初めて真摯に話を聞く姿勢を示したという。このように、学校があからさまな性差別の主体になることは、けっして珍しい話ではない。 この過程で母親の訴えは「まだ問題化する段階ではない」「過剰に心配しすぎ」として後景化される一方、父親の訴えは、対処を先延ばしにすると不都合が生じかねない「現実的な案件」として前景化する。この差異は、語りの中身ではなく、誰が語っているか、そしてその語りが学校への管理負担をどの程度予告するかによって生じている。 こうした対応は、必ずしも特定の教師の性格や倫理観に帰されるものではない。学校の内部では、秩序や安定を乱しかねない事態を最小限の労力で処理するための判断が、つねに「理性的」「公共的」「現実的」なものとして正当化されやすい構造が温存されている。母親の訴えを軽視し、父親の訴えに反応するという振る舞いは、その構造が日常実践として露呈したものだと言える。 本来であれば、母親の訴えがあった時点で、担任は熱心に子ども(母親の娘)の声に耳を傾ければよかったのである。子どもとクラスの間の関係性を編み直すための時間を割き、その経過を母親に共有することさえできれば、母子ともに早めに安心を得られたかもしれない。 しかし、このような「子どもの声を聞く」「関係をほどき直す」といった実践は、秩序維持の前線からは距離を置いたものとして扱われがちである。それらはしばしば「甘さ」や「情緒的配慮」、あるいは主たる統率を補助する付随業務として周縁化される。だから、いつまでも学校文化の中で関係を編み直す技法は共有されることなく、それらの多くは個人技に留まっている。 daiwa-log.com/magazine/toba2… 学校後遺症 第4回 身体が沈黙する学校——ジェンダーの再生産と男性性、ケアの問題 鳥羽和久




【#練馬区/独自】練馬区の中学校教員の“残業時間”が、文科省の調査から23区ワースト1と判明。月平均46.8時間、月80時間超は23区で最多。4人に3人が年360時間を超えて働いている状況。支援員の更なる増加を含め、区として負担軽減のための取組が不可欠。#教員の働き方改革 iwasetakeshi.net/2026/05/overti…

まさにですよ。 一貫校あたりでASD系な子達で不登校になるケースを良くので見ていると、かなり多いパターンなんですが、小学生の時点で、「程々の勉強➕リアルで様々な経験を通じて最低限度の生存能力をつける」という形にもっていけば様々な能力を出せたはずの子達が 中学受験の過程で、勉強にのみ全力ベットして、そういうカバーを考えない歪んだ片盛りをした結果、只管の勉強を支えるためにストレス解消に安価で子供達を扱いやすくなるからとゲームを与えまくって生活をこわしたり、モチベのためのくだらない選民思想を看過してモラオの芽を育てストレス発散を親に依存する歪んだ親子関係の源にしたり、中学受験後に学校に入る頃にはすっかり社会スキルがおちて、入学後にわりとすぐに壊れて不登校にいたるという痛々しい案件が沢山来ています。 問題は、中学受験自体というよりも、中学受験をした際に子供達に対して「学校でどう生きるのか」という戦略性が欠如して、無茶な勉強を達成をさせるために過剰なリソース投入の失敗をしてバランスを崩した結果の崩壊なんですが、それ自体が見えてない親御さんも結構いますからね。 しかも、毎年全く似たような観点の行為をして、似たような失敗をして、似たように子供達の不登校を招く親御さんが多くいますが、失敗学的な視点で見たらここの集団では狂気レベルの伝達失敗が起こっているのではないかなと思います。

先日、Podcastで日本特有の不登校の構想的問題と不登校になった本人とその家族を救うために、私自身が行なっている方法について、お話ししましたが、そのほとんどすべてを福田さんが記事にしてくれました。 僕もYouTubeチャンネルを立ち上げ、それら全てのノウハウを公開する予定ですが、その前に是非読んでみてください。 note.com/onlinet/n/n825…


4/30配信の教育新聞電子版お品書き① 不登校の学びに寄り添う3つの評価手法を提示 数値と記述を選択可能に kyobun.co.jp/article/202604… 生成AI、デジタル学習基盤の活用 創意工夫と留意事項が示される kyobun.co.jp/article/202604…


ameblo.jp/ray-shimoda/en… 子どもの読書問題は、 “読む時間がない”のではなく、 “読まれない環境”があるのではないか。 小学校の読み聞かせの会に参加し、 現場で感じたことを整理しました。 「やってる感」で終わるのか。 それとも、“読む子ども”を増やせるのか。

自分のところも、”コア型PTA”という表現をいただいたけど、結果的にこの形になっていて、あえてPTAを名乗っているという意味において、PTAなのか?というところは自問するとこではあるが、「PTAという言葉を聞いた瞬間に、保護者が何となくイメージできる」という社会的文脈の蓄積は、ゼロから新しい名前を作るより圧倒的に共通認識のコストが低い。そう言った意味では、戦略的にPTAを称している部分はある。時代に合わせるというよりも、「これを欠いてはPTAではない」を絞り込んだ結果、他の組織・制度で代替できるものはPTAの本質ではない。よって、「その学校の保護者が、学校という場を介して、子どものために自発的に集まる」という構造的な事実そのものをどう維持していくのかに注力しているのかなとは思う。自分で書いてても、なんのこっちゃ感はありますが。

@GShimokata まさに!外形的な要素(入会届・個人情報等々)は、しっかりと整えられるべきなんですが、そもそもの最上位の目標「保護者と先生の『自発的アソシエーション』」であるPTAでなにをするのか(何を実現するのか)?」というとこの議論が空洞化しているのが、最大の課題感ですかね。


「時代に合ったPTA」ってなんですか? 『PTAアップデート』とかいっておる私が言うのもなんですが

