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【 現代戦における追跡技術ーー『スカウト』の手法と戦術的価値について (戦術の基礎) 」
『スカウトの定義と歴史的背景』
「スカウト」技術とは、戦場で敵が残した物的な痕跡(足跡、踏み倒された草木、捨てられた物品、匂いの痕跡など)を手がかりにその所在や動向を探り、追跡する技能を指します。
これは軍事上は視覚追跡術(ビジュアル・トラッキング)とも呼ばれ、古くは狩猟本能に基づく人類普遍の技術です。
熟練した追跡者(トラッカー)は、地形や環境に残された「サイン」すなわち敵の物理的痕跡を読み取り、標的(クォリー)が何名でどの方向へ移動し『どの程度の速度か』『どんな装備で、どれくらいの戦闘練度か』といった情報を割り出すことができます。
追跡により得られるこうした手がかりは、リアルタイムの情報となって指揮官の意思決定(敵を発見、目標固定し、殲滅するーー「ファインド・フィックス・フィニッシュ」プロセス)を直接支援することになります。
スカウト技能は20世紀中頃からゲリラ戦への対処で再注目され、ベトナム戦争期にその近代的応用が本格化しました。
第二次大戦後、イギリス軍はマラヤ緊急事態(1948–1960)を始めとする各地の紛争で、ゲリラ追跡分隊を編成して敵を密林から追跡・掃討する戦術を確立します。
彼らは精鋭の追跡兵と軍用犬を組み合わせ、ゲリラのヒット・アンド・アウェイ戦法に対抗して大きな戦果を上げました。
こうした英国の成功に着目したのが、当時インドシナでゲリラ戦に苦戦していたアメリカ軍でした。
ベトナム戦争中の1966年、アメリカ陸軍司令官ウェストモーランド大将は英陸軍のジャングル戦学校(マレーシア・ジョホールバル)に将校団を派遣し、イギリス連邦軍の追跡戦術を調査させます。
その結果に基づき、米軍は英国からの協力を得て戦闘追跡チーム(Combat Tracker Teams, CTT)を新設することとなります。
訓練契約によりアメリカ兵140名がマレーシアの英連邦訓練校に派遣され、英国陸軍SASやニュージーランドSAS、グルカ兵出身の教官団の下で65日間に及ぶ過酷な追跡課程を修了しました。
1967年初頭に最初のチームがベトナムに戻り、第25歩兵師団に配属されて以降、各野戦師団ごとに4個チーム(旅団単位に2個分遣)という編成でCTTが全戦域に投入されました。
CTTの基本編成は5名と1頭の軍用犬です。
すなわち士官または上級曹長をリーダーとし、トラッカー(追跡手)、無線手、援護・警戒担当、そして軍用犬ハンドラーで構成されました。
追跡犬には静かで温和かつ忍耐強い ラブラドール・レトリバー犬が採用されました。
ラブラドールは足取りを追う能力が高いうえ、吠えにくく、扱う兵士が交代してもよく懐くため、任期交代の激しいベトナムでは特に適任だったとされています。
CTT要員の訓練期間は視覚トラッカー要員で約2ヶ月、犬の担当兵は約3ヶ月と長期に及び、最後の2週間で犬と追跡チームを連携させ実戦さながらの演習が行われました。
この訓練にはニュージーランドSAS隊員や英軍の軍用犬訓練チームも参加し、候補生は「訓練終了時には、ジャングルでは北ベトナム軍より自分達の方が精通していると感じるだろう」と告げられるほど徹底した内容でした。
1967年以降、編成を完了した米軍の戦闘追跡チームは各地で活動し、その任務は「逃げ足の速い敵との接触を再確立すること」にありました。
例えばゲリラの待ち伏せ攻撃を受け撃退した後、追跡チームが残敵の退路を追いかけて再び交戦する、あるいは迫撃砲・ロケット攻撃を行い撤収した敵班の足跡を追って発射地点近くで捕捉するといった要領です。
実際、第1歩兵師団隷下の第61歩兵追跡小隊(IPCT)は1968年の作戦で「敵の地下壕300箇所以上を破壊し、敵兵120名を戦死させ35名を捕虜にした」と報告されています。
追跡チームは通常、小規模な歩兵分隊(1個小隊程度)に随伴されつつ前方を先行し、物音を立てないよう最新の注意を払って敵に接近する運用が取られました。
こうした米軍CTTは1971年頃までベトナム各地で活動し、戦場で一定の成果を収めます。
しかし米軍の撤退とともに追跡チームも解散し、ベトナム戦争終結後、専門的なスカウト技能は米軍の教範や教育課程から姿を消してきました。
1973年に米陸軍は教範FM7-42『追跡・軍用犬の訓練運用』を発行したものの、スカウト専門チームの実働部隊は存在せず、その後長らく米軍全体で追跡術が忘れ去られる時期が続きました。

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