

『ちびロボ!』が「ニンテンドー ゲームキューブ Nintendo Classics」に追加 news.denfaminicogamer.jp/news/250813h 2005年に発売された、たった10cmの小さなロボット「ちびロボ」が家族をハッピーにすることを目指すアクションアドベンチャーゲーム
もりー@ゲーム作りおじさん
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@picmory
森山 尋|ゲームデザイナー(株式会社PICTOY) |代表作:ちびロボ!/城ドラ/クリエイトーイ|㊙️新作開発中 開発メモ・手描きノート・開発画面|モンクリ制作日記📔https://t.co/F5KdFb7Mpb |競馬と映画とゲーム垢@bakabonmory


『ちびロボ!』が「ニンテンドー ゲームキューブ Nintendo Classics」に追加 news.denfaminicogamer.jp/news/250813h 2005年に発売された、たった10cmの小さなロボット「ちびロボ」が家族をハッピーにすることを目指すアクションアドベンチャーゲーム




将棋のゲームバランス調整した人はガチのマジで天才だよな。 100年以上修正とかアプデが入らないって普通に考えて頭おかしいわ🙄

ゲーム業界では 企画者の原体験や原風景を通さずに、 いま流行ってるゲームから ゲームを作ることが常態化してる。 ビジネスだから 流行りを押さえる必要があるのは分かる。 それでも ゲーム以外の体験からゲームを作る。 その挑戦をやめたら いずれ作り手もユーザーも飽きる。



ゲーム業界では 企画者の原体験や原風景を通さずに、 いま流行ってるゲームから ゲームを作ることが常態化してる。 ビジネスだから 流行りを押さえる必要があるのは分かる。 それでも ゲーム以外の体験からゲームを作る。 その挑戦をやめたら いずれ作り手もユーザーも飽きる。

ゲーム業界では 企画者の原体験や原風景を通さずに、 いま流行ってるゲームから ゲームを作ることが常態化してる。 ビジネスだから 流行りを押さえる必要があるのは分かる。 それでも ゲーム以外の体験からゲームを作る。 その挑戦をやめたら いずれ作り手もユーザーも飽きる。

ちょっとさー、なんだかしらないけど、このごろ、「言語化」って言いすぎじゃない? 「うまいこと言いますなぁ」というくらいのことで済ませていたのが、言語化能力だとか解像度が高いだとか、わたしたち機械になっちゃったのかちらって思っちゃうよ。

ゲーム業界では 企画者の原体験や原風景を通さずに、 いま流行ってるゲームから ゲームを作ることが常態化してる。 ビジネスだから 流行りを押さえる必要があるのは分かる。 それでも ゲーム以外の体験からゲームを作る。 その挑戦をやめたら いずれ作り手もユーザーも飽きる。

ゲーム業界では 企画者の原体験や原風景を通さずに、 いま流行ってるゲームから ゲームを作ることが常態化してる。 ビジネスだから 流行りを押さえる必要があるのは分かる。 それでも ゲーム以外の体験からゲームを作る。 その挑戦をやめたら いずれ作り手もユーザーも飽きる。

ゲーム作ってる方って何でゲーム作ってるの? 絵より手数多すぎるから、動機が強くないと続かない気がする…。 私含めなんでゲームなんだ? なんでゲームなんですか…?

ゲーム業界にいると「本当にゲームのことしか知らない」という人物に遭遇することがある。たとえばゲーム音楽について。ゲーム音楽を否定する立場などぼくにはまったくないが、新しいゲームのBGMなどを考えるときに、引用がゲームからしか出て来ないのにはさすがに閉口する。これはなにも音楽に限ったことではない



ゲームの開発中止は、珍しい話ではない。業界にいると、表に出てこない中断の話は日常的に聞こえてくる。5割近いプロジェクトが、何らかの形で世に出ずに終わるという話も、あながち大げさではないと思っている。 それでもこのところ、開発中止のニュースが以前より目立つ気がしている。 原因はいくつかある。開発費の高騰、プロジェクトの長期化。そしておそらく最も本質的なのは、「勝ち筋が見えにくくなった」ということだと思う。 例えば、スマホゲームの黎明期は、市場そのものが伸びていた。参入するだけで当たる可能性があり、勝ち筋がそこかしこに見えた。だからプロジェクトが途中で止まることは少なかった。続ければ報われるかもしれない、という空気があった。 今はそうではない。市場は成熟し、プレイヤーの時間は既存タイトルで埋まっている。開発に3年かけて、リリースから数ヶ月でサービス終了が決まる未来が、以前より鮮明に見えてしまう。だから途中で止める判断が増える。 だからこそ今、企画の段階で勝ち筋を明確に描けるかどうかが、以前より問われるようになったと思う。作りながら考えるのではなく、始める前に「なぜこのゲームが選ばれるのか」を答えられなければ、スタートラインにすら立てない時代になりつつある。


何かを作れる人と作れない人の差は才能じゃない。「完成形を何パターン知っているか」の差だ。設計とは選択の連続であり、選択肢の数は知識の量に比例する。知らない構造は選べない。見たことのない解法は思いつけない。引き出しの少なさを才能のなさと勘違いしている人があまりにも多すぎる。

日常の中からヒントを拾い、それをゲームに落とし込む。本当はゲームのアイデアを考える時に他のゲームを参考にしない方が良い。でもこれが、想像以上に難しいんですよ。