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シルクロード🏝️の向こうからやって来て、今は東京のかたすみに住んでいる『シルクの女神 絲色れんか』(いとしきれんか)の公式アカウント! 絲色れんかの見ている風景をほぼ毎日更新中! 歴史、文化好きの日常系女神としてがんばってまいりますわー! キャラクターデザイン:板垣伸 ©シルクの女神 絲色れんかプロジェクト

Katılım Şubat 2026
13 Takip Edilen96 Takipçiler
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ついでに! 八幡様といえば現在は「八幡神社、応神天皇」ですが、中世から江戸時代にかけては神仏習合のもとで「八幡大菩薩」として信仰されていました! 関東では戦国時代の後北条氏の猛将、北条綱成が黄色い布に「八幡」と書いた「地黄八幡」の旗で活躍したことでもつとに有名ですわね!
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というわけで本日は日本全国にもっとも多く、武家から庶民まで信仰を集めた八幡様のご紹介でした! それではみなさま、おやすみなさいませ!
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さて、こうして長く武家の信仰だった八幡様ですが、天下泰平の江戸時代になりますと、徳川家が源氏の正統を名乗ったこともあり、武家だけでなく広く庶民の信仰を集めて「勝負事、厄除け」の神様として、また富岡八幡宮の勧進相撲や、深川八幡祭りを通じて親しまれていくようになりますわ!
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こうして「武士といえば源氏、源氏といえば八幡宮」という形で出来上がったイメージは、後に徳川幕府を開く徳川家康にまで繋がっていったと考えられます! 今回は本筋ではないので割愛しますが、実は家康公は「源朝臣」を名乗っていますが、もともと松平氏が源氏であったかどうかは不明なんですわ〜!
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とくに源頼朝が鎌倉に幕府を開いて後、八幡太郎やその兄弟である源義綱、源義光(新羅三郎)と関わりの深い武士や、鎌倉殿(幕府)に近い御家人たちは次々に各地に八幡神を祀る社を勧請しました! 写真は八王子の梶原八幡神社ですが、こちらは梶原景時が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したと伝わりますわ〜!
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日本の重大事件にたびたび出てくる八幡様ですが、全国的な人気となったのはやはり「源氏の英雄」、八幡太郎源義家の存在が大きいですわね! 京都の岩清水八幡宮で元服した義家は前九年の役をはじめ、多くの戦で功績を立てました。これにより八幡神は武家、源氏とも強い繋がりを持つようになります!
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ちなみに! 平将門も八幡神を厚く崇拝し、関東最古の八幡宮とされる茨城県の大宝八幡宮に度々戦勝祈願をしていたとされ、「新皇」への即位も同宮の巫女の神託によってなされたともいわれますわ!
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「宇佐八幡宮神託事件」をめぐっては、道鏡による策略というものから、称徳天皇と道鏡を陥れるための計画だったというもの、さらには宇佐八幡の神官たちが自分たちの存在感を高めるために行った、というものまで諸説あります! ですが、結局称徳天皇の死後、道鏡は栃木県の薬師寺に左遷となりました。
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八幡神が日本の歴史に大きく関わる最初の事件が奈良時代の終わりに置きます! それがかの「宇佐八幡宮神託事件」ですわ〜! 当時、女帝である称徳天皇が寵愛していた僧侶の道鏡に「皇位を譲るべし」という神託が宇佐八幡宮に下ったという報告がなされ、これにより朝廷は大騒ぎとなりました!
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八幡様は大変古く、九州は現在の宇佐神宮の地に欽明天皇の時代にはじめて顕現されたとされます! その後、八幡神は「応神天皇=誉田別命」と同一の神霊とされ、朝廷との結びつきを強めていきました。東京府中市の国府八幡宮は聖武天皇の時代、各国に置かれた国府守護の八幡社であるとされていますわ!
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江戸時代の信仰、というよりこちらは日本の歴史を通じて非常に重要な神様ですわね! というわけで本日ご紹介するのは「八幡様」ですわ〜! そして関東の八幡様といえばやはりこちら……鎌倉の鶴岡八幡宮です! 八幡様は日本で一番多い神社ともいわれますわね!
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立川市の郷土資料館とその近くに咲いていたアジサイを Σp[【◎】]ω・´)パシャリ 梅雨のむし暑さを癒やしてくれますわね!
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中野坂上駅近くから撮ったものですが、こういう風景も現代の東京らしくて好きですわ〜!
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というわけで本日は江戸の庶民が実際にいける信仰の聖地「江の島」のご紹介でした! ちなみに! 江戸時代から江の島詣、大山詣りに訪れる人々から絶賛されている景勝地が「七里ヶ浜」ですわ〜! とくに冬の夕暮れ。江の島と富士山が並ぶ日没のひとときは大変に美しいですわね ⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝⋆*
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もちろん! 江戸の人々は「江の島詣」でといっても、ただ江の島に参拝して返って来たわけではありません! 江の島の周辺には東海道の藤沢宿もあり、娯楽も充実していました。さらに帰りには鎌倉に向かい、鎌倉の社寺などにも参拝しながら帰路についたそうです! 現代の人々と同じですわね ( ´﹀` )
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そのため江戸時代には弁天様を祀る江の島旅行に多くの芸能関係者が訪れたといいます! 江の島の弁天様には鎌倉時代に制作された「八臂弁財天」(はっぴべんざいてん)という八本の腕に宝珠や武器を持つお姿の像と、「裸弁財天」と呼ばれる妙音弁財天の像があり、強い信仰を集めていたそうですわ!
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弁財天はもともとインドのサラスワティーという女神で、その名も伝説のサラスヴァティー川に由来しています! 日本では厳島神社の女神市杵島姫命と習合し、水の神として信仰されましたが、江戸時代には「七福神」人気もあり芸能の女神として大人気となりました。(写真は国立市南養寺の弁天様像です)
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江戸の人々に人気の信仰! これまでにご紹介した「お伊勢参り」、「富士講」はいずれも江戸から遠い聖地への巡礼でしたが、今回は「江戸の庶民が歩いていける聖地」として大人気だった場所をご紹介します! それはずばり、江の島ですわ〜! 現在でも大人気の観光地ですわね! (*´ ˘ `*)
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ここから水攻めと兵糧攻めの黒田官兵衛が誕生するんですわね・・・ #豊臣兄弟
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