
しんり
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しんり
@sinri_splala
鍵と自動ツイRT大半以外はフォロバします 小林さんちのメイドラゴン、小林さんちのメイドラゴンS、小林さんちのメイドラゴン カンナの日常、カンナちゃん、カンナカムイ、カンナちゃんかわいい


日本の生活保護制度のダメな所は、受給者が制度から抜け出す為に働いて稼ごうとすると保護費が大幅に減額されてしまい、結局働かない方が得と思わせてしまう所。長年指摘されているが、何故か改められてないままだ。

CN&EN圏のひと 「口調は性別と年齢がわからないふうにして」 わたし 「むずかしいです」 CN&EN圏のひと 「?そのまま訳せばいいんだよ?」 わたし 「むずかしいです」 CN&EN圏のひと 「??????????」

【マーウィンが痩せた理由ガチ考察】 絶傑の1人であるマーウィンは当初は丸々と太った姿だったが、「十禍闘争」ではスラッとスリムな体型に変わった事が大きな話題を呼んだ。 この変化の理由を「なんか面白そうだから」で終わらせることも出来るが、イラストの要素を読み解いていくと彼の宗教観に大きな変化が生じたとも考えられる。結論から言うと、彼は仏教に目覚めたのである。 そもそも初登場である安息の絶傑・マーウィン(以下安息マーウィン)は頭上な光輪や「安息」というキーワード(旧約聖書で定められた休日)から、キリスト教的(特にカトリック)なモチーフのキャラクターである事が分かる。 特に上半身につけているストールのような服飾から彼はローマ教皇のような権威的存在としてデザインされていると考えられる。 マーウィンの「安息」の思想は、キリスト教の「信仰」を極端に解釈したものと考える事ができる。盲目的に神を信じる=眠りと置き換えると、安息マーウィンの教義はとにかくその信心深さを重視していると見る事が出来る。 そして再登場した絶望の安息(絶望の顕現)・マーウィン(以下絶望マーウィン)だが、そのスリムな体格に触れる前に色合いの変化について考えたい。そう、とにかくオレンジの印象が強いのだ。 元々の安息マーウィンに金色の要素はあるがオレンジの色彩のイメージはなく、また他の絶傑も再登場したとて色合いに大きな変化は無い。つまり、このオレンジという色にも重要な意味があるはずである。 彼の纏うオレンジの袈裟から連想される宗教的イメージ…。それはタイなどに見られる仏教の修行僧の服装だ。実際、絶望マーウィンには何となく東洋的な雰囲気を感じる。 実は「絶望」という言葉は、仏教の開祖である釈迦の思想と大いに接点がある。 釈迦の基本思想に「一切皆苦」というものがある。これは人生のあらゆる要素は思い通りにいかず、苦しみに満ちているというものである。まさに「絶望」そのものである。 釈迦はこうした苦難から抜け出すためには修行によって物事に対する執着を無くすことが重要だと考えた。これが「悟り」である。 仏教は大きく分けて上座部仏教と大乗仏教がある。上座部仏教は仏教の開祖である釈迦の思想を忠実に体現するのに対し、大乗仏教は釈迦の教えが難解でストイック過ぎるため一般的に普及できるようマイルドにした宗派だが、オレンジの僧衣を纏うのは上座部仏教のみである。 つまり、マーウィンは絶傑の教義が反転することで、カトリックから上座部仏教的なキャラクターへ改宗したと解釈することができるのだ。 (※ちなみにオレンジ色である理由には、染料が身近に手に入りやすい実用的な面と、煩悩を焼き尽くす炎を象徴する精神的な面があるようだ。) 実際の両者の教義も、反転していると見ることができるほど対照的である。 キリスト教の宗教的ゴールである「天国に行く」ためには、自身の信仰の深さを神に認めてもらわねばならない。達成には他力が必要なのである。故に神と人の間に立つ司教は権威的となり腐敗しやすく、安息マーウィンは「太る」ことでその立場を象徴していると言える。 一方で上座部仏教は釈迦がそうしたように、己自身が修練を積む事で悟りを開くことが求められる。 上座部仏教で説かれるのは神への内なる信仰ではなく己と世界の向き合い方であり、在り方自体は宗教というかは哲学に近い。 つまり、絶望マーウィンは絶傑という指導者的な立場といえどその教義を体現するには自ら修行を積まなければならないのだ。ゆえにマーウィンは痩せたのである。




