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川嶋努 フリーナレーターズユニオン理事 ポジティブナレーター・Sobercurian
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川嶋努 フリーナレーターズユニオン理事 ポジティブナレーター・Sobercurian
@sohovoice
フリーナレーターズユニオン関西支部代表・理事。100人以上のナレーター/声優/外国人ナレーターも数百名紹介!世界中の言語への音声対応!1時間5000円税込みでマンツーマンzoomレッスンも常時開催!エヌクリ大阪でナレ講師。 お仕事はユニオンサイトから「川嶋」からと記述を![email protected]
兵庫県神戸市須磨区 Katılım Temmuz 2012
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難しいナレーションでも、全ての表面上の原稿の裏に、必ず動機と目的と欲求が存在します。
筆者がなぜその原稿をあえて残したのかを深掘りし、裏面の動機・目的・欲求まで共鳴して読むと、代弁者として確かな表現になります。
それができていなければ、表面的で何の思いも伝わりません。
ムトウ@音響SEM@kouichi_mu7381
YouTubeのボイスドラマを聞いていて「セリフは成立しているのに感情が伝わらない」と感じることがあります。 その原因は単なる演技力不足ではなく、キャラクター設定や内面設計の弱さにあることが多いです。 役作りには段階があり、最低限はセリフの意味理解と感情の方向性、標準レベルでは性格や人間関係、目的や背景の把握、さらに深いレベルでは人生観や価値観まで踏み込みます。 しかし重要なのは深さそのものではなく、芯があるかどうかです。 キャラの「今何をしたいのか」「何を一番強く感じているのか」「相手をどう見ているのか」が曖昧だと、セリフはただの情報になり、感情が平板になります。 また、感情を当てはめるだけの演技(悲しいから悲しく読む、など)もリアリティを失わせる要因です。 プロの役者は細かい設定を作り込むというより、目的と感情の核だけを明確にし、現場での演出や相手の芝居に合わせて柔軟に調整します。 つまり、重要なのは情報量ではなく、どんな状況でもそのキャラとして自然に反応できる状態を作ることです。👇
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#西条ゼミ
学校、養成所、事務所レッスン…
どこで誰に習っても状況や環境を意識した演技が出来るように「いま何処に居るの?時間は?どんな服着てるの?誰と話してるの?」みたいな基礎の基礎的なことを教わってきたはず…。
だけどなぜかスタジオでマイク前の芝居をすると、スタジオサイズの芝居で画面や台本に向かって喋り出す声優志望者が多い。
そのキャラはスタジオに居ないし台本見てないじゃん?
今までやってきたことはどこにいった??
練習の為の練習をやらず、練習は本番のように。
本番は練習のように。
そして当然稽古の場は発表の場という意識で、それ以外の時間をどう過ごすかを意識して欲しいなぁと思う病み上がりの朝でした。
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場を支配する俳優
俳優は臆病で繊細だ。謙虚な人が多く、自分の存在を小さくしてしまう。
それは謙遜さなのか、それとも恐怖から来ているのか……。
しかし、「場を支配する」「存在感を放つ」「空気を変える」といった能力は、俳優にとって欠かせない。
以前、ドラマのオーディションで大きな役を勝ち取った俳優は、即興芝居で審査員と交流しただけでなく、会場の扉を開け、事務スタッフとも自然に関わっていたという。
その圧倒的な場の支配力(本人は「場を取る」と表現していた)によって、役を得たそうだ。
また、王立演劇アカデミーの元校長と話した際、オーディションで新入生を選考する基準の一つとして、
「その俳優が、私たちを想像の世界へ連れていってくれるかどうか」
を重視していたと聞いた。
場を支配するとは、一方的にエネルギーを放つことではない。
その場にいる人々の想像力を広げる働きかけである。
空気を変えられるほどの存在感は、気合いや筋力で生まれるものではない。
必要なのは、強烈な想像力と、それに従う自由なマインドと身体である。
そしてもう一つ、自分の存在を矮小化せず、「自分は空気を変えていい」と引き受ける、根本的な自己肯定感が不可欠だ。
それは自己防衛というより、場を味方につけ自分を自由にする術になる。
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【続くかどうかは、スタッフさんへの態度で分かる】
「この人は、業界で長くやっていけるだろうな」
実は現場に入った瞬間、これが明確に分かるポイントがあります。
(いやいや、腕があれば生きていけるでしょ…)
そう思いたいところですが、
腕よりも、ある種大事にしないといけないものがあってですね。
それは、
「内々の評判」です。
演技を見る前に、これって必ずついて回るものなんですよ。
例えば、僕が現場に入っていて顕著に感じるのが、広告の現場。
・椅子が用意されるのが当たり前
・日傘が出てくるのが当たり前
・寒い日にダウンを持ってきてくれるのが当たり前
・飲み物が用意されているのが当たり前
・ スタッフさんは演者のために動いてくれるのが当たり前
その「当たり前」が、立ち振る舞いの端々に出ている方。
お願いをして、その見返りを全く想定できていない方。
辛い評価になりますが、おそらく順調に活動を継続していくことは難しいでしょう。
なぜならば、周囲がいずれ「応援してくれなくなる」からです。
(本人は全く気づいていないことが多いんですけどね)
でも、こういう事って、この行為がどうして致命的なのかを知るところからだと思うんですね。
スタッフを体験しろとは言いません。
しかし、業界に入る前に「どういう観点で動いて、実は何を感じているか」。
上記をまず知ることが大事だと思います。
(義務教育でも習うはずなのですが、つい忘れてしまうようです。商業芸能の世界って、慣れていないとそういう部分が一瞬でバグるんですよ…。)
加えて、スタッフさんは、現場の様々な情報を共有することがあるということを忘れてはいけません。
誰が印象が良かったか。
誰と一緒に仕事をしたいか。
誰に「どんな目」にあわされたか。
そういう意見交換は、スタッフの間のみで行われ、俳優さんには言ってくれません。
そして、スタッフさんは、将来、出世する方も沢山います。
現場で指揮を執るようになる方もいれば、企画を提案する側になっていることもあるんです。
どこかの現場で、ぞんざいに扱った方が、数年後に内部キャスティングの審査権を持つ立場になることも、珍しくありません。
(少なくとも僕の周囲は覚えておりますし、そういうことが現場で起こる可能性があると示唆します)
そのとき、現場での「かつての振る舞い」は必ず加味されてしまうんですよ。
思っている以上に、話は伝わりやすいと思ってください。
なににせよ、誰かに何かをお願いした際に、「やってくれて当たり前」という態度だと危険です。
お願いをしている以上、そこには相手の時間と労力が存在しています。
それを当たり前にした瞬間に、相手への「想像力」も「敬意」も実は消えています。
そういう態度は、外から見ていると違和感を覚えるのですが、気づかないものなんですよね。
そういう態度が積み重なると、現場の空気って一気に変わるんですよ。
この連鎖は、思っているより早く起きます。
(ので、誰かが強制的に明るくして場を「流す」光景も良く見ます)
また、統計上になりますが、スタッフさん(事務所・マネージャーさん含む)の仕事の大変さを把握している俳優さんは、演技も伸びやすいという特徴があります。
これは、倫理や精神論の話じゃありません。
シンプルに想像力や「業界に居るための努力の仕方」が違うんです。
また、こういったことを心がけられている俳優さんは、現場の情報を自然と拾えたりします。
スタッフさんは、監督や演出家が言わない現場の文脈も知っていたりしますしね。
その情報が、演技の質に直結することもあるし、何より、多くの経験値を得られるじゃないですか。
態度は、人格の話である前に、パフォーマンスに関わる話でもあります。
現場に入るとき、自分はお客さんとして来ているか、共同事業者として来ているか。
その答えが一番正直に出るのが、スタッフさんへの接し方。
長く愛される俳優さんは、全員そのノウハウを持っているということを忘れないでください。
でも、あんまり教えてくれないんですけどね。
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演技がうるさい人がいる
その台詞を使って
考えうる限りの演技を詰め込む
演技で台詞を過剰に修飾する
そういう人は
とにかく表現状態の維持が
「演技が上手い」と信じている
だから見せつけるように
たくさん背びれ尾びれをつけて
過剰に演じてしまう
彼らは
なにもしないことが不安なのだ
だけども
不安を埋めるための演技は
「余白」と「余韻」がない
お客さんがなにかを感じる前に
「こうやって感じてほしい」を
押し付けてしまう
お客さんはその意思を察知すると
「感じること」を義務に感じて、
または説明され過ぎていて、
心が動かなくなってしまう
すると──
「あの人なんか上手い気がするけど
感動しないんだよな」
という状態が生まれる
演技がうるさいとは
演技を押し付けている状態だ
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【現場における俳優さんの3つの立場】
意外と教えてもらえないことなのですが…。
俳優さんが現場に入った時―――
実は、3つのポジションに分かれます。
① お客さん
② 従業員
③ 共同事業者
厄介なのは、本人がどの性質を持っているか知らないまま現場に入ってしまうこと。
どの立場にいるかで、評価も、リピート率も、まったく変わってきます。
まず避けたいのが、
①の『お客さん状態』です。
言ってしまえば
「現場で誰かに手を焼かせている状態」。
自分の演技や役割を頑張っていても、場の流れや共演者の都合、制作の優先事項。
そういったものを読めないと、①の状態に簡単に陥ります。
演技の現場前にしっかり準備をしたといっても、
それはあくまで「個人」の範疇。
現場にはたくさんのスタッフさんが常駐しますし、
「あなた以外の他人」がそれぞれの事情を抱えています。
作品制作は、決して一人では行えません。
集団で行う「共同作業性」という鉄則が存在します。
ここを忘れてはいけません。
次に多いのが、② 従業員状態。
言われたことをきちんと成し遂げ、求められた仕事を正確に遂行する。
この能力がないと現場は成立しません。
ただし、この状態だけだと「印象に残りにくい」という側面もありますのでご注意を。
そして最後が、③ 共同事業者。
作品の完成度を、一緒に高めるチームメイトです。
・現場の流れを読む
・共演者の芝居を支える
・制作の意図を汲み取る
・作品のコンセプトを押さえる
(後は、場を明るくする…とかも大事ですよ)
こういった視点が自然と働いている状態です。
制作サイドの皆さんはシンプルに、
「この人がいると、作品は良くなるか?」
「また仕事がしたいか?」
という観点も大事にします。
だからこそ、演技力だけが大事と思ってはいけません。
作品の完成度を一緒に高めてくれる存在になった時、
自然と「また一緒にやりましょう」という流れが生まれます。
長く現場に残る俳優さんの多くは、お客さんでも、従業員でもなく。
共同事業者として作品に参加しているということを忘れないでください。
現場で求められているのは、演技力だけじゃありません。
その人がいると何かが良くなるという「必要性と必然性」です。
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ボイスサンプルを聴いていて、もうひとつ小さな違和感に気づいた点があります。
それは語尾に空気感が残っていないことです。
例えば「〜でした」という言葉でも、読み方ひとつで聞き手の印象は大きく変わります。
「〜でしたっ」と語尾を尻切れトンボのように短く切る場合と、「〜でしたぁ」と母音を少し残して余韻を持たせる場合とでは、伝わるニュアンスがまったく違ってきます。
前者のように「たっ」と切る読み方は、言葉がはっきりと閉じるため、断定的でテンポの良い印象になります。
しかし、これをどの文章でも同じように使ってしまうと、どうしても硬い印象になり、言葉に余韻が残らないため、聞き手にとっては少しせわしなく感じることがあります。
一方で「〜でしたぁ」と母音を少しだけ残す読み方は、柔らかさや余韻が生まれます。
ストーリー性のあるナレーションなどでは、こうした語尾の空気感があることで、情景や感情が自然と耳に残りやすくなります。
言葉が空間に溶けるような感覚が生まれ、聞き手が内容をイメージしやすくなるのです。
もちろん、どちらが正しいというわけではありません。
大切なのはナレーションの内容やトーンに合わせて、この語尾の処理を使い分けられるかどうかです。
ところがボイスサンプルを聴いていると、この使い分けが十分に理解されていないまま、すべての文章を同じ語尾処理で読んでしまっているケースを時々見かけます。
クライアントや制作会社がボイスサンプルを聴くとき、意外と重視しているのは声質そのものよりも、こうした技術的なコントロールです。
語尾の処理、間の取り方、言葉の抜き差しといった部分から、そのナレーターが現場でどこまで対応できるのかを判断しています。
もしこの点に自信がないのであれば、もう少し研究を重ねるか、実際の収録現場を知っているプロに一度査定してもらうのも良いかもしれません。
第三者の耳で客観的にチェックしてもらうことで、自分では気づかなかった読みの癖や改善点が見えてくることも少なくありません。
語尾のほんのわずかな処理の違いが、ナレーション全体の完成度を大きく左右することもあるのです。
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