たいちびっと|SNSつくってる人
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たいちびっと|SNSつくってる人
@ta1bit
事象と構造を視るITエンジニア。 社会の違和感を起点に、構造を読み解いて言語化する。 情報の流れに身を置き、絶賛SNSを開発している。


「さっきコピーしたやつ、もう一回見たい…」を解決するアプリ、『Queue』を作りました。 コピー履歴はDynamic Islandからワンタップで呼び出し。 定型文もタグ管理でサッと使えます。 コピペをもっとスムーズに、スマートに。 近日公開予定です👀 #個人開発 #iPhoneアプリ

安定の評価1レビューが付いてました🤣 レビューした人特定できないかなぁ。Appleアカウントのユーザー名くらい分かれば嬉しいんですけどね。Appleにお問い合わせしてみます👀

器物損壊の被害に遭いました…注意喚起のため投稿します。 東京都内で、電動自転車のバッテリー錠に瞬間接着剤を流し込まれました。 鍵穴を洗浄してもシリンダー内部まで接着剤が浸透しており、鍵が全く回らない状態に… 最終的に鍵を破壊してバッテリーを取り外すしかないとの判断でした。 修理見積もり(工賃込):約5万円 (バッテリー側だけでなく、後輪リング錠も鍵番号統一のため交換) 電動自転車はバッテリーを切れるまで外さないことが多いため、被害に気づくまでに時間がかかりやすいです… 都内で駐輪場や駐輪時は特に管理にお気をつけください。 皆さんの自転車が無事であることを願ってます。 #電動自転車 #自転車被害 #瞬間接着剤 #器物損壊 #注意喚起 #駐輪場注意 #自転車防犯 #バッテリー錠

深夜に一部、AIに加筆させた前の投稿にある程度、反響があったので その先で言いたかったこともまとめてみたい。 言いたいことは2つ: 1.ベゾス型アントレプレナーと真逆の責任ある経営者はどうなのか 2.規制などによって責任ある経営を世界という賭場のルールにできれば、シリコンバレーに替わって日欧が優位な競争環境ともっと社会を大事に考えた未来づくりが可能になる まず、米国アントレプレナーとは異なる、責任ある企業・経営者はどういうものか。 答えは明解で、リスクを社会に出す前に、できる限り自分たちの中で引き受け揉んでいる。 世界の一流ブランド企業は、新しいアイデアを思いついたからといって翌日に売り出したりはしない。社内では膨大な試行錯誤をする。そして品質、安全性、耐久性、ブランドへの影響など、何重ものチェックを通過したものだけを世に製品として送り出している。 日本の自動車やエレクトロニクスメーカーといった製造業にも、そもそも安全基準などに対する厳しい規制もあるので、こうせざるを得ないし、実際にそうしている。 シリコンバレーなどアメリカのITで、これをやっている数少ない会社はAppleだと思う。 Steve JobsがBusiness Weekに語って有名になった「1000のNo」の思想がそれを象徴している。同社では1つの製品を作る前に社内で出てきた1000ほどの良いアイディアに対してNoと言う。999個は自分たちの中で捨てるという話だ。 そして残った1個についても、それが数億人に普及したとき、人間の行動をどう変えるか、社会に何をもたらすか、環境にどんな負荷を与えるかまで考える。 そこまで考えているAppleですら、多くの失敗をしている。 Antennagate事件も起こしたし、App Storeを一般の開発者に開放したことは巨大な経済圏を生んだ一方で、それが儲かってしまったせいで結果として通知、広告、課金、エンゲージメントを競い合うAttention Economyの巨大な入口にも生み出してしまった。サプライチェーンや資源採掘をめぐる問題も起こしてきた。 どれだけ慎重に考えても間違えは起きる。 だからこそ、、社会に巨大な影響を与える企業は慎重であるべきなのだ。 ところがソフトウェア産業では、正反対の文化が育ってしまった。 多くのIT企業は、1000個のアイデアを思いついたら1000個とも世間に放流してユーザーを実験台にするというやり方に近い。 「とりあえず出す」 「ユーザーの反応を見る」 「問題があれば後で直す」 「永遠のベータ版」 Web 2.0の時代、私自身もこの思想を良いと感じ、ある意味、啓蒙する側にいた。 だからこそ、今ではそれに責任を感じて、こうしたシリコンバレー流に厳しい態度を取っている部分がある。 振り返れば、この「永遠のベータ」という思想は、ソフトウェア時代の新しい公害を生み出すための巨大な免罪符にもなっていたと思う。 工業時代の公害は煙が見え、川が汚れ、人が病気になったので見えやすかったが、ソフトウェア時代の公害は見えにくい。でも、確かに公害はあると私は思っている。 人の注意力を奪う。 依存させる。 怒りや恐怖を増幅する。 社会に分断と不安を広げる。 個人情報を収集し続ける。 生活や仕事をあるサービスに依存させた後、突然サービスを終了する。 アルゴリズムの変更一つで、誰かの仕事や収入を吹き飛ばす。 さらに巨大な計算資源を必要とし、電力や水の需要を押し上げると言った社会環境への悪影響もしっかりとある。 一件一件は工業的公害ほど劇的に見えないかもしれない。 しかしソフトウェアは、物理商品とは比較にならない速度で広がる。 今日作ったものが、数日後には数万人、数十万万人、場合によっては数千万人の行動を変えている。 つまり、本来なら製造業以上に重い責任感が必要な産業なのである。 それなのに「まだ法規制がない」とか「永遠のベータ版」を免罪符に許されてきた。 Calm Technologyを提唱するAmber Caseは、この問題をこんな形で表現している: 建築家は、建築技術だけを学べばよいわけではない。建築の歴史、安全性、法規、そして建物が人間や社会に及ぼす影響を学び、資格を得て初めて、人が何十年も使う建物を設計できる。 医師も同じで、人体への影響を学び、長い教育と訓練を経て、資格を得て初めて人の命に触れることが許される。 ところがソフトウェア産業だけは、昨日Webで色々と見てプログラミングを学び始めた人間が、明日には何百万人に影響を与えうるサービスを公開できてしまう(AIによって、プログラミングの勉強すら不要になりつつある)。 免許もない。倫理教育の義務もない。製品設計の基本も知らない。 社会的影響について学ぶ必要もない。事故が起きたときの保険もない。 サービスを終了するときの原状回復義務もない。 単純にソフトウェア開発を免許制にすればいい、と言いたいわけではない。そんなことをしてもインターネットやデジタル機器の仕組みを根本から変えない限り、信頼できない無責任ソフトが消えることはない。 IT業界が、AI業界にとって代わり、進化のスピードが我々の理解を超えてしまう前に、一度、こうした根本姿勢の部分を、俯瞰して議論し、法整備なども含めて考え直す必要があるのではないか、というのが私の考えだ。 ...と、ここまで書いて文字数流石に多過ぎなので、2の責任あるITを社会のルール化することで、日欧のソフトウェア産業が有利になる基盤を作る話については、また夜にでも書こう... (それにしても前の投稿、後半がAIに加筆させたのそのままの文章でちょっと恥ずかしい...深夜投稿のリスク)

シリコンバレーのアントレプレナーが「私はリスクを取ってきた」と武勇伝のように語るたびに思う。 本当にあなたが取ったリスクなのか。 会社が成功すれば、創業者は株式価値と名声を手にする。失敗すれば、社員は職を失い、取引先は損失を抱え、ユーザーのデータや購入したサービスは放置され、地域社会には住宅高騰や交通問題が残り、地球には大量の電力消費、水消費、資源採掘、電子廃棄物が残る。それでも創業者本人は有限責任に守られ、次の会社を始め、「失敗から学んだ」とTED Talkのような顔で語る。 それを「リスクを取った」と呼ぶのは、あまりに都合がよすぎる。 自分が全責任を引き受けるのがリスクテイクである。他人の人生、社会、公共インフラ、環境、未来世代を勝手に賭け札にして、自分だけがアップサイドを取り、失敗時のダウンサイドを社会に押しつけるのは、勇気ではない。単なるリスクの外部化だ。 「Move fast and break things」も同じである。自分の玩具を壊すなら好きにすればいい。だが彼らが壊してきた「things」には、雇用、報道、住宅市場、都市、選挙、子どもの精神環境、地域文化、地球環境まで含まれる。何世代もかけて社会が築いた安全装置や規制を「レガシー」「friction」と見下し、先人の失敗と犠牲から生まれたルールを邪魔者扱いする。そして問題が起きれば「イノベーションには失敗が必要だ」と言う。 必要なのは、あなたの失敗ではない。あなたの失敗の後始末を、無関係な人間にさせないことである。 Jeff Bezosのような億万長者が「大胆にリスクを取れ」と語る姿にも、私は同じ欺瞞を感じる。巨額の資産を持つ人間がさらに一つ事業に賭ける「リスク」と、解雇されれば家賃を払えない労働者のリスクは、同じ言葉で呼べるものではない。まして、自分の意思決定によって発生した社会的・環境的コストを自分のバランスシートの外に追い出しておいて、「私は勇敢だった」と胸を張る資格などない。 成功は私有化し、失敗は社会化する。 利益は自分のもの、損害は他人のもの。 規制を破って市場を取り、十分に大きくなった後で「今さら止められるのか」と迫る。 社会を実験場にし、人間をA/Bテストの被験者にし、環境を無料の資源として使い、それでも自分たちを「世界をより良くする人々」と呼ぶ。 これは勇敢さではない。 責任の所在を巧妙に消すための英雄神話である。 だから私は、シリコンバレーの「Risk Taker」という自己像をほとんど信用していない。 問うべきなのは「どれだけ大胆な賭けをしたか」ではない。 誰が決めたのか。 誰が儲けたのか。 誰が損失を負ったのか。 誰が後始末をしたのか。 そして会社が消えた後も残り続ける損害について、最後まで誰が責任を取ったのか。 その答えが一致して初めて、その人をRisk Takerと呼べばいい。 一致しないなら、それはRisk Takerではない。 Risk Externaliserである。

【ジェフ・ベゾス氏が語る、米国が起業大国であり続ける理由】 ジェフ・ベゾス氏は、米国が世界で圧倒的に強い起業国である最大の理由は、リスクを取る資本が豊富にあることだと語っています。 米国では、成功確率が10%程度しかない事業でも、将来の可能性を見込んで巨額の資金が集まることがあります。創業直後の企業が数千万ドル規模の資金を調達できることも珍しくありません。 一見すると無謀に見えますが、投資家は一社ごとの成否ではなく、多くの挑戦の中から生まれる大成功企業によって、全体として大きなリターンを得る仕組みを理解しています。 ベゾス氏は、米国では金融システムや投資家の文化が、失敗を前提にしながらも次の挑戦へ資金を流し続けると説明しています。これがAmazon、Google、Meta、Teslaのような巨大企業が生まれやすい背景です。 優秀な人材や技術だけでは、大企業は生まれません。失敗を許容し、まだ利益も実績もない段階で未来に資金を出せるか。 米国の強さは、AIや半導体だけでなく、「大きな失敗を恐れずに資金を賭けられる仕組み」そのものにあるのだと思います。 この点については日本は致命的なリスクがありますね。失敗を許容しない。さらには銀行も借り入れについては経営者に保証人として責任を求める。さらには既得権益のしがらみが強すぎる。チャレンジできない土台が揃ってしまっていますから。

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