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@takymuras

リベラルテックとインターナショナリズムの掛け算による、グローバリズムとナショナリズムの同時超克、人類の善性が最も活かされる方向性はこれかな。能動的スナフキン主義者にして言葉ゾンビ。amz民

Katılım Kasım 2020
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T.M@takymuras·
新しく公開しました 三十二億年、一日 - 三十二億年、一日 - カクヨム kakuyomu.jp/works/29120515… AIが極限まで発展した先に、人類はホモ・エクスペリエンス(体験する人)になった
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T.M@takymuras·
@nntnarabot なんでやねん(小)→理屈は分かってるけど感情的には納得しがたい なんでやねん(中)→上の逆で、感情的には分かるけど理屈がおかしい なんでやねん(大)→両方おかしい
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T.M@takymuras·
面白い資料もらった。古書としてなら流通してるようだけど。こういうのはイマジネーションの元になるよね
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T.M@takymuras·
@nntnarabot ネイティブ感としては、「結果に関わらず仲良くやろうぜ」くらいかな
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T.M@takymuras·
#ヘイトスピーチ  ヘイトスピーチが何故ダメなのかを一言で言うと、それが「暴力の前駆」だからだ。  少し長くなるが解説を置いておこう。  さて、まず、いわゆる表現の自由との関係だが、ヘイトスピーチに表現の自由が適用されないというよりかは、いったん適用されてしまうけど即座に否定されるというのが本来の構造だ。  否定の原理は単に公共の福祉とか他者の権利保護というより、基本的人権観と歴史文脈が複層的になったものと理解するのがより正確だ。  また、表層的には、日本語英語としての「ヘイトスピーチ」のイメージが単に○○人は嫌いだみたいな好悪、快不快程度に留まってしまっていてそれが特定の人種や民族に対する実質的な危害予告、歴史的に言えば抹殺宣言に該当し得るというところまで及びにくい。  すなわち、歴史文脈がすっぽり抜けて、今の、自分の、周囲で考えられがち。すなわち、この手の「スピーチ」が集団的、構造的、持続的暴力の準備段階として用いられてきた歴史的事実への認識が希薄だからある種の誤解、誤読が現象的に常態として発生している。だから言えてしまう。  ここにあるのは、本質的に規範の劣化である。ヘイトスピーチに関する法的整備の困難さはここに起因している。  要するに、ヘイトスピーチとは、単に「個人的な(過激な)意見」に留まるものでなく、人類史的な誤りとその修正、あるいは報復や償いを含んだ歴史、その長期記憶との切断を契機とした倫理的空白の表出そのものだから、この前提から離れるとヘイトスピーチ論はどうしても空転する。  僕の意見が誰に届くかどうかは分からない。だからここに置いておく。
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T.M
T.M@takymuras·
適用されないというよりはいったん適用されてしまうけど即座に否定される。また、日本語英語としてのヘイトスピーチのイメージが単に○○人は嫌いだみたいな好悪、快不快程度に留まってしまっていてそれが特定の人種や民族に対する実質的な危害予告、歴史的に言えば抹殺宣言に該当し得るというところまで及ばない。歴史文脈がすっぽり抜けて、今の、自分の、周囲で考えられがち。すなわち、この手の「スピーチ」が集団的、構造的、持続的暴力の準備段階として用いられてきた歴史的事実への認識が希薄。だから言えてしまう。
井上純一(希有馬屋)『逆資本論』発売中@KEUMAYA

ヘイトスピーチには言論の自由は適用されないんだよ。 それはヘイトスピーチとは、相手の人権を直接的に攻撃する行為だから。 特定の民族・国籍・人種・宗教などの集団に対して「排除せよ」「殺せ」「出ていけ」というのは、対象者の安全・尊厳・平等権を直接侵害する。 なんで国際法的にも、日本の法律でもヘイトスピーチは禁止されてるの。 ヘイトスピーチには言論の自由が適用されないの。

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T.M@takymuras·
これは面白いね。国家権力が人の身体そのものを物化するのが徴兵制の本質だ。それが当たり前になってしまった時代に逃れるというのはあまりに困難だったろう。二度と繰り返してはいけない。
映画ナタリー@eiga_natalie

森山未來が徴兵を忌避した男に、「笹まくら」ドラマ化 川栄李奈・青木柚・堀田真由が共演(コメントあり) 丸谷才一が1966年に発表した小説を、劇作家・秋之桜子が脚色 natalie.mu/eiga/news/6721… #笹まくら

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T.M@takymuras·
@suna_kago これ、めちゃくちゃ面白い。振り切ってる、めちゃ味がするやつだ
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籠原スナヲ
籠原スナヲ@suna_kago·
宣伝します。歴史小説『大河ラノベ 与謝野アキコ』完結済です。 明治から昭和の終戦間際まで生き抜いた、日本を代表する歌人・与謝野晶子の視点で日本を描きます。平塚雷鳥や森鷗外や紫式部や清少納言も登場しますよ。ぜひに。 RT 大河ラノベ 与謝野アキコ - カクヨム kakuyomu.jp/works/16818093…
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T.M@takymuras·
そう言えば、東大の五月祭の参政党講演の件で表現の自由云々という意見が流れてるけど、表現の自由って国家からの自由なんだから、学生イベントを巡る民間人同士の衝突って表現の自由は直接関係なくないか?まあ言いたいことは分かるけどさ
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T.M@takymuras·
@niimishohei 公務員は政治的中立性を厳格に保つべきだが、それが破られた場合に謝罪する相手はあくまで国民だ。維新を軽視している、という文言とともにこの情景を公開した時点で懲罰と見せしめの意図があったとしか思えない。コミュニケーションミスではない。自分たちの内面をこそしっかり掘るといい
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新実彰平/参議院議員・京都・維新
本件、様々なご意見を賜っています。 政府が「小浜京都ルートありき」の立場であると表明するが如き発言を政府高官がなされた以上、真摯な協議に戻るためのプロセスとして、謝罪・撤回を頂くことは不可欠でした。また、国民の皆様からの整備委員会への不信感を取り除くためにも、公の場でご発言の修正を頂く必要がありました。その感覚には今も変わりありません。 しかし、その様が一枚の写真や、数十秒の動画に収まった時の印象の力に、(私個人に関しては)想像が及んでいませんでした。メディア出身であるにも関わらず。 この瞬間の前後、メディアがいないところにおいては、淡々とした相互の段取りの確認も、和やかなトーンでの先方からの次回会合の話題提起も、なされています。恫喝も、叱責も、当然ながらありませんでした。このプロセスはお互いのために必要なものだ、との共通認識があったものと思っています(パワハラ当事者の典型的な言い分だ、とどこまでいっても言われてしまうかもしれませんが)。 しかし、カメラが入ったこの瞬間における、一方が直立し一方が頭を下げているという構図や、前後の雰囲気からは想像の及ばなかった"涙"、それらだけが世に届くことが国民の皆様とのミスコミュニケーションを招く可能性を、その場においても感じるべきでした。 真摯で落ち着いた協議を取り戻すという目的のために、より良い方法があったのではないか。私としては、今そのように考えています。
新実彰平/参議院議員・京都・維新@niimishohei

謝罪・撤回を頂きました。 粛々と、議論に臨ませて頂きます。 【北陸新幹線延伸で鉄道局長が日本維新の会に謝罪「不適切発言を撤回」】 news.yahoo.co.jp/articles/96f72…

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T.M@takymuras·
@takatorishuichi 〉国旗を大切に思う一般的な国民の感情 いや、その、人によってあったりなかったりするものを法益と言われても。これを与党議員が真面目に議論してると言われたら情けなくなるねえ
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高鳥修一(たかとりしゅういち)
国旗損壊罪制度検討PT 今日まで5回全ての議論に参加してきたが、骨子案に私が主張して来た内容: 公然と国旗を損壊したという外形的•客観的事実を対象とする。 保護法益を「国旗を大切に思う一般的な国民の感情」とした点を評価。 主権国家としての尊厳の明記を求めました。詳しくはブログに。
高鳥修一(たかとりしゅういち) tweet media
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@niimishohei パワハラ・カスハラ研修に使えそうなエピソードだなこれ。過度な謝罪の要求ってやつだね
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新実彰平/参議院議員・京都・維新
謝罪・撤回を頂きました。 粛々と、議論に臨ませて頂きます。 【北陸新幹線延伸で鉄道局長が日本維新の会に謝罪「不適切発言を撤回」】 news.yahoo.co.jp/articles/96f72…
新実彰平/参議院議員・京都・維新@niimishohei

引用ポストにある、 今般の国交省・鉄道局長の発言、 「自ずから結論は決まっている」 「B/Cとうなされるように言う人がいる」 「B/Cだけで決まるなら政治はいらない」 等につき、維新の新幹線PT議員団として 撤回・謝罪を求める会見を行いました。 私からは以下のような趣旨で発言しました。 ========= 「B/C(費用対効果)を含む着工5条件を重んじることは自民・維新の高度な政治的協議の末合意した本会議体の大前提であり、政府側の方がそれを否定することは看過できない。また、今後もし費用対効果が要件を満たさずとも何らかのルートで着工するというフェーズが仮に来るとしても、それもまた極めて高度な政治決断を要するもの。政府側がそれを予断するなどあり得ない。」 「加えて言えば、こうした政府の姿勢が、北陸新幹線延伸議論を硬直化させてきたのだと改めて感じたと言わざるを得ない。『自分たちの理屈では小浜・京都ルートが唯一の合理的なルートであり、それを理解できない地元(京都)がおかしいのだ』とも言わんばかりの姿勢が、地元の同意を遠ざけ、着工を遠ざけてきた。今後また政府と、方針を一にする自民党さんが『決定』をされ、結局(事実上着工5条件に含まれる)地元の同意のメドは無い、という、従前と何ら変わらない状況が待っているように思えてならず、このままでは協議に復帰することは困難である。」

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T.M@takymuras·
【替え歌】可愛くてごめん / 勝てなくてごめん ~日本の戦争と平和~ youtu.be/5Lv1bZiZpgk?si… @YouTubeより うむ、表現の自由とは実に素晴らしい
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T.M@takymuras·
#国旗損壊罪 表現の自由を弱めることは、社会が自らを問い直す力、すなわち更新性を弱めることにつながるのよ。で、難しいのは、どのような表現が更新性の確保につながるのかは事前には予期しにくいわけね。だから表現はもうかなり広範に認めた上であとは基本的には実害とのトレードオフでしかないわけよ。 で、このわかりやすい実害に回収されきらない部分ね。これをね、法でやるのはかなり難しいわけ。説明が困難だから。 国旗損壊罪の場合、象徴を攻撃したら何が損なわれるのか、科学的、合理的に説明出来なくてせいぜい心理モデルか社会現象モデル、しかも長期影響予想でしかないわけよ。だからかなり直観的、感情的な議論を喚起しちゃうんよね。 ここからね、結論を一つ出すのはリソース的にもかなり厳しい。それを今やる必要があるか?というさらにメタな議論にもなるんよね。 で、このリソース論の一つのわりと便利な解が、規範論なんよ。はっきり結論を出したわけじゃないけど大体みんなが共有してるんです、という「規範」に落とし込んで、制度的結論自体を先送りしたり、リソースを節約しながら社会そのものを運用可能なものにしてきたんよ。 人類はわりと昔からこういう知恵を使ってきた。
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T.M@takymuras·
#国旗損壊罪 ふむ、では、「自国の国旗を燃やしてその様子を動画にし公開する行為」がいったい、誰の何を害していて、この行為をどう受け止めるのが社会全体にとって最も合理的なのか、を考えてみようか。 まず、状況から考えて燃やされているのは動画作成者の所有物であり、延焼の危険は低いだろう。器物損壊にも放火にもあたらない。まあ、この辺はサクッとクリアだ。 じゃあ次に、それを見た人が嫌な気持ちになるとしよう。うん、それはあり得る。ここは人それぞれだが、嫌な気持ちになる人は確かにいるだろう。となるとここは、燃やして公開したいという気持ちと、それを見たら嫌な気持ちになるという気持ちの衝突になる。 衝突である以上、何かしらの対処が必要になる。必ずしも法令でなくてもいいが、必要になる。 そのうち、一番簡単なのは、見なければいい、ということだ。意に反して延々とそれを見せつけられる、みたいなおかしな状況を設定しない限り、「日本国旗が燃やされるのを見て嫌な気持ちになる人」は単純にそれを見ないと選択をすればいい、その選択が可能であるだけで、この人の「それを見たくない」という権利はかなりの程度保護される。 ここで当然想定される意見は、望んでなくても目に入ってくる、強制的に見せられるようなものだ、という「回避可能性の否定」である。これは一定、現実的だ。SNSのアルゴリズムなんかを考えれば分かる。 ただし、ここで一つ重要なのは、その「瞬間的かつ偶発的な曝露」「瞬間的な不快」まで法令をもって防ぐようにする合理性があるのか?である。 まず重要な前提を明示しておこう。 それは「法とは、社会の設計図そのものではない」ということだ。法は社会の一部に対して有効であるが全部に対しては必ずしもそうではない、局所的に強い影響を持ち全体に対して波及的効果を及ぼす、と言い換えてもいい。 で、本題に戻ると、この「一時的・偶発的な曝露」「一時的・偶発的な不快」まで全て防ぐとなると、それはもはや法の想定を超えてくる。莫大なリソースをかければ、過大なリスクを抱え込めば不可能ではないが、それでは均衡を保てない。 例えば、具体的にどうするのだろうか?そういう動画がSNS上に溢れかえった時にそれを一つずつ削除していくのだろうか?開示請求して?税金で?一部だけやるとしたら、その基準は? さらに、そこから波及してくるより複雑な争点をどう処理するつもりなのか、という非常に厄介な問題が浮上する。 確かに、「国旗を燃やして動画にして流す行為」も表現であることは間違いない。しかも、合理的に考えたら、「政治的意図を持つ言論と接続された表現」、すなわち、民主主義社会を守るために積極的に保護されるべき表現、と言える。つまり、この規制に踏み込むことは莫大な「コスト」を伴う。 要は「収支」が合わないんだ。 「誰かがそれに偶発的・一時的に曝露して嫌な気持ちにならないようにする」ためにこのコストは払えない。 最後に残るのは「規範論」だろう。要は国旗損壊とは誰かの快不快の問題ではなくて、国家全体の規範に関わる問題なのだという意見だ。ふむ、確かに規範は必要だろう。だが、それがあくまで規範論なのだとしたら、今度はじゃあ何故それをわざわざ法によって守らなければならないのか?というより根源的な問いが出てくる。規範はあくまで規範である。法があろうがなかろうがだ。 政府はこの問いに答えているか? 僕はそうは思わない。
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