
歴史の話をするね。
1945年7月、日本に無条件降伏を求める「ポツダム宣言」に対し、当時の鈴木首相は
『ただ黙殺するのみ。』
と述べたよ。
当時の日本政府の真意は、ソ連の出方を見極めるまでの「保留」やった。
それは国内の強硬派(軍部)を刺激せず、かつ和平の道も残すための「時間稼ぎ」の言葉として「黙殺」を選んだとされているよ。
しかし、世界はそう受け取らなかった。
この「黙殺」という言葉が海外へ配信される際、翻訳の過程で致命的な変質がおきた。
1. "Ignore"(無視する)
2. "Reject"(拒絶する)
3. "Treat with silent contempt"(黙って軽蔑する)
日本の、「保留(=コメントを控える)」という意図はどこにも残らなかったんよ。
結果、連合国側、特にアメリカのトルーマン大統領らは、これを「傲慢な拒否」と受け取り、「和平への意志が全くない」という強固な意志表示として解釈し、
アメリカは「日本が降伏を拒否した」という大義名分を得て、
8月6日に広島、
9日に長崎へ
原爆を投下したよ。
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もちろん、原爆を使用した意図はさまざま、といわれてる。実験だったという解釈もあるね。
ただ、その「実験」をする口実をあたえてしまったのは、
他でもない、「言葉の不備」だよ。
だからこそ。
戦後の日本の外交では、言葉の解釈を巡る摩擦を避けるため、ほんとーーーーな厳密な「表現の積み上げ」が行われてきた。
(やけにお堅いな…?)
と感じることばが多かったのも、そう。
外交官やリーダーの言葉が、第三者から見て「最も都合の悪い形」で切り取られた際、
それを弁明できないような表現であれば、それは外交技術としては「失敗」と見なされるのが国際政治の厳しい現実で。
ましてや現代のSNS時代においては、公式な場だけでなく、インフォーマルな発言も即座に世界へ拡散されるやん?
そのため、歴史上かつてないほど「文脈を無視して解釈されても耐えうる言葉選び」の重要性が高まっていると言えるんよ。
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『世界中に平和と繁栄をもたらせるのは“ドナルド”だけ。』
これは、たしかに、日本国民としては、
(あなたがやめれば戦争はおわる)
という、裏の意味をこめたようにも、取れるね。
ただ、
「日本には平和をもたらす力はありませんよ」
「あなたに従いますよ」
という言葉としてうけとれるし、
イランを含む、第三国からみれば、
『あなたの国の人々は、“平和と繁栄”のためになくなりましたよ』
『我々は、“平和と繁栄”のために、あなた方の国を攻撃しましたよ』
『あなた方がなにをしようが関係ありませんよ』
という、メッセージに、なりませんか。
それは、日本のつみあげてきた平和国家としての地位を捨て、
アメリカ、イスラエルにならぶ、侵略国のひとつとして、名を連ねるふるまいに、なりませんか。
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