Sabitlenmiş Tweet

例えば戦争で、生まれてすぐに死んでしまう赤ちゃんがいます。
そういった話しを見聞きする度、私は神様は居るのだろうか、どうしてそんな酷いことが起きるのだろうか、やはり神様は居ないのだろうか。
その内なる問いに説明が付かず苦しんできましたが、それが仕方がない事だと気付かされました。
私達の体には、例えば腸の中に数え切れないほどたくさんの細菌が住み着いていて、細菌がいなかったら生きていくことすらできません。
菌に支えられる「私」は、もはや一つでは無く、共同体であり、「私」はひとつでは成り立ちません。
宇宙には数え切れない星々があり、毎日おびただしい数の星が生まれたり消滅したりしています。
その中のたった一つの地球。
その中のたった一つの命。
生まれたばかりの命が奪われても宇宙は悲しまないでしょう。それは星が一つ消滅する事と同じです。
神様が居ないのでもなく、残酷でありながら、残酷なことでもありません。
私たちが自分の体の中の微生物が死んでしまっても悲しむことはおろか、気づくこともなく過ごすことと、何ら変わりがないのです。
つまり、これらは全て因縁なのです。
「闘わず穏やかに生きる」
菌や細胞によってそれぞれ仕事は違いますが、そこに優劣はありません。
白血球が司令塔でも、奢ることはないでしょう。
お腹の悪玉菌は善玉菌を強くします。
そこには善悪の境目すらありません。
菌類にとって私たちの体は、大地のような存在なのかも知れません。
私達もまた、お母さんの腕に抱かれる赤ちゃんのように宇宙に抱かれ、「穏やかに、与えられた仕事に励んでいるだけでいい」という宇宙からのメッセージのように感じました。
私たちは、あくせくと、何かを成功させようとしなくていいのではないでしょうか。
私は今日、雨の音を聞きながらスカートのサイズ直しをしています。
膝に犬を乗せて穏やかな気持ちで。
それらが腑に落ち、ぴたりと静止した心で、常に穏やかにいることができたらそれはひとつの悟りなのかもしれません。
#気付き #哲学 #仏教
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